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東電会長への就任も噂される日立・川村氏の人生論

「老いに学べば即ち死して朽ちず」
 政府は、東京電力ホールディングス会長人事で、数土文夫氏(76)の後任に、日立製作所の川村隆元社長・会長(77)を充てる方向で最終調整に入ったと複数メディアが報じている。

 日刊工業新聞では日立製作所が巨額赤字から復活した2010年と会長を退任した2014年の2回、川村氏の寄稿連載を掲載している。その中から特に日本のあり方や人生観について言及した回を取り上げて、川村氏の人物像に迫る。

意思決定の一つひとつが社会を動かす


 中国のアジア覇権主義が危惧される中で、日本は日米関係の重要性を再認識する必要がある。米国は超大国でなくなったという意見もあるが、世界を見ても懐の深さで比肩するところはない。米国経済は強欲資本主義が破たんし、米ゼネラル・エレクトリック(GE)なども金融部門を縮小させようとしている。

 しかも米国には軍事技術という秘蔵がある。インターネットもペンタゴンの中央制御コンピューターシステムから生まれた。電池性能を一変させる材料技術などが潜んでいるかもしれない。それが実用化されれば、今の電池ビジネスの構図が崩れる。

 シリコンバレーでは電池や電気自動車(EV)関連のベンチャーが台頭してきた。テクノロジーこそが自力で現状を打破するというシリコンバレーのイデオロギーは、米国の駆動力の一つだ。日本は米国とアジアをつなぐ貴重な存在であり、新しい秩序とルールを作り出す絶好の機会を迎えている。

 福沢諭吉は「文明論之概略」の中で、幕末から明治維新への変化を「あたかも一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」と表現した。まさに今の企業人もそのような感性が必要だろう。第1の開国である明治維新、第2の開国である第二次大戦後の2回とも結果論かもしれないが、二生の切り替えが難しい古い世代が後ろに退いて、若い人たちが道を切り開いた。

 日立製作所でも創業者で初代社長の小平浪平が公職追放になり、役員の世代交代が進んだ。多くの日本の会社がそうだった。日本は、今は第3の開国期に当たりその初期にいる。

 この後、若い人々の中で未来を創造しようという意志を持つ人たちがどれほど多く生まれるかに、日本の再生がかかっている。日本の天然資源は人材だけだ。社会に問題があるのは誰かのせいだと考えず、まずは自助の精神でことにあたろう。

 変化への対応に優れるのは大企業や大組織ではなく「個」である。そして大変化の時代を恐れず、面白い時代に生まれたという気持ちで楽しむことだ。

 最後に昨年4月に私が日立製作所の会長兼社長になってからの感想を述べたい。7年前までの副社長の時とは全く異なる緊張感と達成感がある。それは、大きな組織の最終意思決定者になって、その意思決定の一つひとつが全社を動かし、ひいては社会を動かすという実感がある。

 ただしこの仕事は第3の開国の一環でもあり、できる限り早く若い人にやってもらうつもりだ。第3の開国が始まりつつある現在、意志ある若い人々から必ず未来が生まれると申し上げたい。

日刊工業新聞2010年9月24日



新しいリーダーが希望を語るべきだ


               

 日本は戦後の急激な成長の後にバブルが崩壊し、そして「失われた25年」と呼ばれるほど衰退の一途をたどっていた。しかし安倍晋三首相がリーダーになり息を吹き返しつつある。歴史的にみても、国の栄枯盛衰は地理的もしくは気候的問題などが主因ではなく、その時のリーダーが古い慣習を捨て、新しいイノベーションを取り入れる選択眼と実行力があるかが左右するのだ。

 企業経営も同じである。日立製作所は2009年3月期に製造業で過去最大の赤字を出し、私は子会社から呼び戻された。本当は若い人がやる方がよかったと思うが、「慎重なる楽観主義」を貫き、今期は営業利益で過去最高の更新が見えている。

 会長を退く決意をしたのも、世界で成長していく場面で、新しいリーダーが希望を語るべきだと感じたからだ。

 会社人生において心残りは、海外勤務や留学ができなかったことだろう。リーダーになっていく過程で「学び直し」はとても重要である。

 私が30代のころ、経営学修士(MBA)を取ろうなどという発想すらなかった。MBAを取得して欧米企業で数年間ほどインターンをして戻ってくれば、どれだけ視野が広がっただろうか。

 欧米にはリーダー教育というジャンルが確立されているが、日本はまだ平等教育を重視している。企業がリーダー教育をするのは当然だが、大学院で本格的に取り組んでもらいたい。「グローバル人材育成」という名称で主要大学でもそれに近い内容のプログラムは増えてきた。

 専門分野を極める大学院課程とは別に、リベラルアーツなどを幅広く学ぶコースも充実させるべきだ。企業もしっかりリーダー教育を受けた学生なら、入社が2、3年遅れようが喜んで採用する。

 企業側も学びの時間をもっと工夫する必要がある。技術的なオンザジョブトレーニング(OJT)だけでは、グローバルでビジネスをしていくには難しい。日立は以前から経営研修は充実していたが、4年前に全面的に改定した。

 現在の中西宏明社長が、ハードディスク駆動装置(HDD)子会社の経営トップ時代に、どのように会社を立て直したのか。英国の鉄道事業が受注までになぜ10年以上もかかったのか。具体的なケーススタディーもテキストに取り入れている。

 もう一つはやはり英語。私は本当の英語力が不足していたので、商談相手と言い合いをしたり、契約の詰めの最終の金額交渉を自分だけではできなかった。「道具」という割り切りでいいから、若い時からしゃにむに習得してほしい。今、私のアイフォーンの一番の使い道は英語の勉強だ。

 4月から少し余裕ができれば、学問に時間を割きたい。大学の研究室に入るには遅すぎるが、私の経営者としての経験を学びの中で若い人に伝えることはできるはず。「老いに学べば即ち死して朽ちず」とできれば幸せなことであろう。

日刊工業新聞2014年1月30日

明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
川村さんを本格的に取材するようになったのは2009年頃からだが、地位や名誉に恋々とするタイプではない。しかし日本を憂う気持ちが相当に強い人であることは間違いない。4年前に経団連会長の就任は断ったが、火中の栗を拾っても東電の会長は受けるかもしれない、という人である。 川村さん自身もできる限り老兵は早く去るべきと思っている。なので日立の社長・会長も業績が回復した時点でさっさと辞めた。川村さんは、何の利害関係で動くかは割とはっきりしている。そのポストを受け、自分の経験や決断力によって社会、日本が良くなるかどうか。だから経団連会長の地位に魅力をまったく感じなかったのだろう。  文中にもあるように、川村さん自身は最終意思決定者「ラストマン」の重みを日立再建の過程で十二分に経験し理解している。今、東電問題においては安易に若い人の方がよい、という状況ではない。

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