動物のDNA操作、サイボーグ化は倫理的にどこまで許されるのか?
<情報工場 「読学」のススメ#13>『サイボーグ化する動物たち』(エミリー・アンテス 著)
ケースバイケースで適切に倫理的判断をしていくべき
動物の改変技術が進歩し、クローンや新品種、サイボーグ動物の実社会での利活用が進んだ結果、私たちの社会にどんなことが起こるのか。それは誰にもわからない。ただ、ケースバイケースで考え、可能な限りリスクを予測し、倫理的歯止めをつくっていくことは必要だろう。
NHKのドキュメンタリー番組用の取材をもとにした『里海資本論』(角川新書)では、瀬戸内海における「里海」の復活をリポートしながら、自然と人間の関係について考察を進めている。それによれば、人間は自然に「適切に手を加える」ことで、本来の命のサイクルを取り戻すことができるという。自然に畏れを抱いて指一本触れないのではなく、人も自然の一部として、度を超さない程度の手を加えていくべきということだ。
これは、テクノロジーの進歩に伴う人間と動物の関係にも当てはめられるだろう。問題は、どこまでが「適切」かというところだ。その判断は、誰がどのように下すにせよ、テクノロジーの進歩の後追いにならざるを得ない。先に倫理的に歯止めがあると、科学技術の自由な発展を妨げるからだ。
映画『ペット・セメタリー』は、結局「死」という運命に抗うことはできないというメッセージを発し、それに対する哀しみが鑑賞者の心を揺さぶる。「運命に抗う」ことがテクノロジーによって可能になり、それがさらに発展しようとしている今、私たちはそれをどう受け止めるべきなのだろうか。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
エミリー・アンテス 著
西田 美緒子 訳
白揚社
288p 2,500円(税別)>
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