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動物のDNA操作、サイボーグ化は倫理的にどこまで許されるのか?

<情報工場 「読学」のススメ#13>『サイボーグ化する動物たち』(エミリー・アンテス 著)
**動物に脳に電子回路を埋め込みコントロールする研究も
 ホラー小説の大家、スティーヴン・キング原作で1989年に米国で公開された『ペット・セメタリー』という映画がある。当時は日本でもヒットしたので、観たことのある人も多いかもしれない。

 その中で、主人公一家の愛猫チャーチが不幸にも車に轢かれて亡くなってしまう。主人公は謎の男に導かれ、裏山にある不思議なペット霊園に密かに埋葬する。すると、翌朝チャーチは生き返り、家に戻ってきた。ところが大人しかったチャーチは手のつけられない凶暴な性格に変わっていた。

 映画のストーリーはその後、今度は最愛の幼い息子ゲージが亡くなり、悲しみにくれた父親(主人公)が同じペット霊園に埋葬したのだが……と続くのだが、現代のクローン技術をもってすれば、少なくともチャーチの凶暴化は避けられたはずだ。

 1998年に有名なクローン羊・ドリーが誕生し、2001年には世界で初めて飼い猫のクローンが発表されている。現代では遺伝子工学・バイオテクノロジーの飛躍的発展により、クローンのみならず、DNAを操作することで動物を人間の意のままにつくり変えることが可能になっている。

 それだけではない。電子工学とコンピュータ技術の進展は、SFの世界だった「動物のサイボーグ化」を現実のものにしているという。2006年に米軍の研究所は、昆虫の脳に電子回路を埋め込みコントロールすることで、いわば“生きたドローン”の開発を科学者に依頼している。ラットの脳をコントロールして遠隔操作可能にすることで、地雷の発見や瓦礫の下の地震の被災者を見つけられるようにする研究も進んでいるそうだ。

 新進の科学ジャーナリストであるエミリー・アンテスが著した『サイボーグ化する動物たち』(白揚社)は、そんなテクノロジーによる「動物の改変」研究の進捗と最前線をリポートしている。そして、こうした研究に必ずついてまわる倫理の問題にも言及し、未来のあるべき人間と動物の関係について考察する。

 DNA操作にしろサイボーグ化にせよ、動物の身体をつくり変えると聞いて、何となく嫌な気分になる人も少なくないだろう。「自然の摂理に反する」ことへの畏れや心配は、人として普通の感情だ。現に人類は自然環境を破壊し、地球温暖化、異常気象といった「しっぺ返し」を受けているではないか。

 そもそも人類は、文明の進歩とともに、かなり前から生物の改変を行ってきた。農作物や畜産物の品種改良だ。さらにはペットとして犬を飼うようになると、育てやすいよう、あるいは見た目の可愛らしさをつくるために品種改良を進めてきた。今ではチワワやトイプードル、ドーベルマン、ブルドッグが同じ犬という分類であることが信じられないくらいバラエティに富んだ人工的な種が存在する。

 現代のDNA操作やサイボーグ化は、そうした品種改良の延長と考えることもできる。しかし、それで納得する人はおそらく少ない。なぜなら、クローンや動物の脳のコントロールは、その延長線上に「人体への応用」が待ち構えているからだ。もし倫理的な歯止めが外され、それが実現するようなことになれば、人間社会の大混乱は避けられない。

 テクノロジー自体に善悪はない。その使われ方による。研ぎ澄まされた切れ味のいい包丁は、極上の料理をつくることもできれば、人を殺めることもできる。同書で著者は、バイオテクノロジーは「動物のためになることをもっとできる」と主張する。人類は、やり過ぎなくらいに犬の品種改良を進めてきた。その結果、遺伝病に弱い種をつくることにもなった。しかし、テクノロジーが進歩すれば、遺伝病を軽くできる。クローン技術で人間のせいで絶滅危惧種になった動物を増やすことも可能だ。さらに、性能のよいロボット義足を開発すれば、怪我や病気で足を失った動物の苦しみを軽減できる。
ニュースイッチオリジナル
冨岡 桂子
冨岡 桂子 Tomioka Keiko 情報工場
AIや生命操作のテクノロジーが進化していくにつれ、「命とは何か」、「生きるとは何か」ということについて、私たちは今まである程度の答えを持っていたように思います。しかし、“普通のこと”と思っていたことが、AIや生命操作のテクノロジーが進化していくにつれ、そもそもの価値観を揺さぶる全く新たな疑問になっていきそうです。ギリシャ時代、哲学から出た問いが科学を生んだと言われていますが、それが発展していくと、今度は、(大ざっぱにいうと)科学から出た問いが哲学の領域になっていきそうです。興味深い反面、納得できる答えは見つかるのか見当がつきません。

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