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「普通の会社を目指すなら消えてなくなれ」……ホンダF1を世界一にした技術者のメッセージ

<情報工場 「読学」のススメ#128>『危機を乗り越える力』 -ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦(浅木 泰昭 著)
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ホンダF1を30年ぶりの栄冠に導いた技術者

本田技研工業の子会社であるホンダ・レーシングは、2026年シーズンから世界最高峰の自動車レース、FIAフォーミュラ・ワン選手権(F1)に復帰する。同社は21年シーズンを最後にF1撤退を表明していたが、23年、英アストンマーティンにエンジンやモーターなどのパワーユニットを供給する形で26年からの復帰を発表した。

F1での活躍は、「技術が強い」といわれ続けてきたホンダの真骨頂だ。現在、技術供与しているレッドブルが好調なだけに、正式復帰を心待ちにしているファンは多いだろう。とはいえ、2015年に始まった第4期ホンダF1は当初、完走もままならないほどのどん底状態だった。そこから最終シーズン(21年シーズン)を、マックス・フェルスタッペン選手のドライバーズチャンピオン獲得で「30年ぶりの栄冠」にまで引っ張り上げたのが、浅木泰昭さんである。

浅木さんは1958年生まれ。81年にホンダに入社し、第2期ホンダF1でエンジン開発を担当した。その後、初代オデッセイ、アコードなどのエンジン開発に携わり、大ヒット軽自動車N-BOXを世に出した。17年に第4期ホンダF1に復帰し、21年の撤退前の最終戦までパワーユニット開発の陣頭指揮を執った。23年に定年退職後、スポーツ動画配信サービスDAZN(ダゾーン)のF1中継で解説を務めている。

そんな浅木さんがホンダ人生を振り返った著書が上梓された。『危機を乗り越える力』(集英社インターナショナル)がそれで、上司にたてつく生意気な若造だった新人時代から、21年の総合優勝、そして今後の展望までを記す。成功も失敗も重ねつつ技術一筋に打ち込んだ人生、仕事の中で学んだ独特のリーダー論、人材育成論が綴られている。歯に衣着せぬ文体で、「これぞホンダ」と唸るエピソードが満載だ。

F1で変な自信を掴んだ人間が役に立つ

浅木さんが入社した1981年当時、ホンダでは「変なヤツを採用しろ」という号令がかかっていたという。同期や先輩も変わり者だらけだった。浅木さんは入社2年目にF1エンジニアの社内公募に手を挙げ、エンジンテスト部門に配属される。24歳にしてひとりで海外出張に行かされるなど、否応なしに最前線に放り込まれて育てられた。初期の頃から、上司に面と向かって文句を言うような若者だった。

浅木さんはその後、ミニバンの開発に携わる。プロジェクトは上層部に理解されず、何度も却下された。が、当時の上司の強い信念もあって、1994年にオデッセイとして発売されるや大ヒット。浅木さんはこの経験から、プロジェクトの成否を決めるのは、古い価値観に縛られた役員たちとは異なる感性を持つ、「普通じゃない人間」「変わり者」であることを学んだ。

こうしたことは、N-BOX開発の際にも感じたという。本当に難しいことをやろうとするときに役に立つのは、空気が読めず、上司や同僚と折り合いが悪いような変なヤツだ。実際、N-BOX開発における「エンジンルームを70mm短くする」といった無理難題を突破するキッカケをつくったのも、一人の「変わり者」の意見だったという。

革新を起こせる組織であるためには、考え方の異なる技術者を集め「技術者のダイバーシティ」を実現し、個性を最大限発揮させることだと、浅木さんはいう。危機の際に役立つ人間と、順調なときに役立つ人間は種類が違う。前者は、F1のような場で世界一に挑み、「俺ならできるかもしれない」という変な自信を掴んだ人間だというのが、浅木さんの持論だ。

世の中を変える商品を出して初めて「存在意義」がある

「ホンダは世の中を変えるような画期的な商品を出して初めて存在意義がある」「「普通の会社」を目指すのであれば消えてなくなればいい」――。浅木さんは、そんな強烈な言葉を記す。これは、後輩たちへの激励でもあるだろう。

確かにホンダは、「世界一」や「世界初」が大好きな会社だ。古くは1961年、二輪車レース世界最高峰マン島TTレース表彰台独占に始まり、80年代にはF1常勝時代を築き上げた。レースだけではない。70年代には米国の大気浄化法「マスキー法」を初めてクリアしたCVCCエンジン、世界初の二足歩行ロボット「ASIMO」、主翼の上にエンジンを配置する革新的な小型機「ホンダジェット」と、技術革新を重ねて存在感を示してきた。こうした革新の背景に、浅木さんのいう「技術者のダイバーシティ」があり、「変なヤツ」らの活躍があったのは間違いないだろう。

変わり者が活躍できるのは、F1のような世界一や世界初を目指す場があってこそだ。ところが近年のホンダにそういう場が減り、ホンダが「普通の会社になろうとしているように見えた」と語るあたりに、浅木さんの矜持と焦燥が垣間見える。

21年を最後にF1撤退が発表された裏側で、浅木さんたちは、経営陣にF1参戦を継続する決断をさせる方法を考え続けていたという。カーボンニュートラル燃料の開発や、新骨格を導入してコスト削減につなげたことはアピールポイントの一つだった。表舞台からは撤退したものの、22年シーズンに続き23年シーズンも、ホンダが技術供与したパワーユニットによってレッドブルは圧勝。コスト削減を実現しつつ成績をあげたことで、「撤退するのはもったいない」と、経営陣は思い始めたようだ。

こうした作戦を、浅木さんは、芥川龍之介の小説にちなんで「蜘蛛の糸作戦」と呼んだ。いつ切れるかわからない蜘蛛の糸をたどるように目標を目指した。蜘蛛の糸は切れずになんとかつながり、ホンダは浅木さんが退職する寸前にアストンマーティンと契約を交わした。

いま、自動車市場の変化は凄まじい。先日まで「CASE」と騒がれていたのに、今は「SDV(ソフトウェア・ディファインド・ビークル)」が取りざたされる。この状況は、自動車メーカーにとって「つねに危機」といっても過言ではないだろう。いろいろな危機に、多様な「変わり者」たちが、さまざまな角度から元気に取り組むホンダのような企業が、先の読めない未来のために、今後ますます大切になってくるのではないだろうか。(文=情報工場「SERENDIP」編集部 前田真織)

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『危機を乗り越える力』
-ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦
浅木 泰昭 著
集英社インターナショナル
256p 1,760円(税込)
吉川清史
吉川清史 Yoshikawa Kiyoshi 情報工場 チーフエディター
米国人ジャーナリストのジェフリー・ロスフィーダー氏が著した『日本人の知らないHONDA』(海と月社、2016年)によると、ホンダには、ワイガヤ、三現主義(現場、現物、現実)、個性の尊重という3原則があり、それらによって「製品やプロセスの頻繁な見直しと再創造がうながされる」という。「少々常識はずれの人生を歩むタイプ」すなわち「変わり者」の人材を採用し、それぞれが常識的な方法に疑問を抱き、現場の状況を知った上で、エビデンスに基づき、ワイワイガヤガヤと意見をぶつけ合う。混沌の中から新しい価値を生み出す、そんな気風がホンダに残っているのならば、さまざまな問題が噴出する日本の自動車業界にも希望を見出せるのかもしれない。

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