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がんも怖くない病気に…大鵬薬品工業特別相談役の信念

がんも怖くない病気に…大鵬薬品工業特別相談役の信念

大鵬薬品工業特別相談役・小林幸雄氏

化学原料メーカーとして1921年(大10)にスタートした大塚グループ。グループ発祥の会社である大塚製薬工場は、一般用医薬品や点滴注射薬などを国内向けに販売していた。製薬事業を拡大する上で、「これからは海外との提携を進めるべきだと思った。当時の大塚製薬工場の社長から『やってみろ』と言われて始まった」と大鵬薬品工業の小林幸雄特別相談役は振り返る。同社の初代社長として海外からの医薬品導入や新薬開発に努めた。今年の6月に同社は60周年を迎える。

まだソビエト連邦だった時代に現地へ渡り、商談後にモスクワのがんセンターへ出向いた。そこで出会ったのが後に日本で抗がん剤「フトラフール」として発売することになる新規化合物だ。がん治療薬としての可能性を見いだし、「日本での共同研究開発をやらせてほしい」と申し出た。日本の製薬企業が生活習慣病や抗生剤の開発に力を入れていたころ、いち早くがん領域に足を踏み入れた。

半世紀前、がんの化学療法は日本では一般的でなく、入院で外科的治療が主流だった。「治療法は限られ、生存率が低いのががんという病気だった。薬でのがん治療に挑戦した」と信条を貫いた。

薬の開発・販売と並行して力を入れたのが、医療関係者への啓発だ。医師からフトラフールへの信用を得るため、また化学療法の理解と普及のため学術誌『癌と化学療法』を刊行。こうしたチャレンジが化学療法というがん治療の道を切り開き、経口抗がん剤による外来での治療も可能にした。『癌と化学療法』は50年近くたった今も刊行が続いており、国内のがん治療の発展と薬を患者に届ける取り組みに終わりはない。

がんは世界的に患者が増加する傾向にあり、今ではほとんどの製薬会社ががん領域での事業を手がける。しかしフトラフール開発当時は、薬でがんを治すのはうまくいかないだろうというのが大方の見方だったという。それでも、「製薬企業の経営者として、がんを治さないといけない、治せるという信念を持って研究開発を続けてきた」と強調する。強い意志を持ち続け、事業拡大と社会貢献を実現した。

がん治療は大きく進歩する。近年はがん免疫療法も行われるようになるなど、治療選択肢も増えた。「肺結核に治療薬ができたように、いつかがんも怖くない病気になってほしい。がんを克服する時代がくるだろうと信じている」とし、次代を担う若手にエールを送る。(安川結野)

【略歴】こばやし・ゆきお 53年(昭28)明治薬科大卒。54年大塚製薬工場入社。63年大鵬薬品工業社長。99年大塚製薬社長。08年大鵬薬品工業特別相談役。埼玉県出身、92歳。

日刊工業新聞 2023年月4月11日

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