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セイコーHD・服部真二会長が力説する経営哲学とこれからの挑戦

事業の壁取り払い、さらに結ぶ

「経営で最も重要なことは社会性。創業者の服部金太郎は銀座に初めて時計塔を立てた。それは銀座の地域社会に正確な時を知らせることが必要だったからだ。社会性を重んじる精神を今も受け継いでいる」

セイコーホールディングス(HD)は、時計の小売りや修理を行う服部時計店として銀座で1881年(明14)に創業した。昼と夜の時間を同じとする定時法になった当時、欧州から懐中時計が入ってきていたが、持っている人はまだ少なかったという。地域から始まった社会貢献は、現在のグローバル規模の課題解決への取り組みにつながっている。

「メーカーとして技術主導なところがあったが、それだけではうまくいかない」

精工舎(現セイコータイムクリエーション)には商社を経て入社した。当時の商社は、引き合いに応じてモノを仕入れ、売る仕事が主で、メーカーとしてモノづくりを担う精工舎とは大きな違いがあった。情報機器販売部で新しいプリンターを発売したが、ソフトウエアが充実しておらず売れ行きはよくなかったという。「マーケットを注視しておらず、タイミングが早すぎた。メーカーにこそマーケティングが重要であると学んだ」。

「好きな言葉は衆知収集、衆力結集。力を合わせれば不可能と思っても総合力で達成できる」

携帯電話が台頭してきた1990年代半ば、セイコープレシジョン(現セイコーソリューションズ)の経営企画を任された。フィルムカメラのシャッターや精密部品、携帯電話のモジュールの製造も手がけたが追いつかなくなった。急遽タイ工場で量産することになったものの、セイコータイムクリエーションの前身であるセイコークロックの拠点で必要な設備がない。同社や他の事業会社の力を借り、工場を立ち上げたという。「このできごとが転機となり、会社の壁を越えた総合力の重要性を実感した」。

セイコーHDは「革新へのあくなき挑戦で人々と社会に信頼と感動をもたらし世界中が笑顔であふれる未来を創ります」とパーパスを定める。コロナ禍ではセイコーソリューションズの主導で和光のおもてなしをオンラインで体験する「オンラインコンシェルジュ」を開始。困難な状況でも社会課題の解決へ挑戦し新たな価値を創造する。

「事業間の壁を取り払っていくこと。そしてもっと事業間を結んでいくことが、これからの挑戦だ」(安川結野)

【略歴】はっとり・しんじ 75年(昭50)慶大経済卒。84年精工舎(現セイコータイムクリエーション)入社、10年セイコーHD社長、12年同会長兼最高経営責任者営責任者(CEO)。20年グループCCO(コーポレートカルチャー統括)兼務。東京都出身、69歳。

日刊工業新聞2022年4月5日

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