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金基板上の「ナノカーレース」で開拓する科学の未踏域

金基板上の「ナノカーレース」で開拓する科学の未踏域

右手にはナノカーレースで用いた車分子、左手にはSTM深針のイメージを手にする川井グループリーダー

ナノメートル(ナノは10億分の1)サイズの車を金基板の上で組み立て、走らせ、測るレースが存在する。フランス・トゥールーズの仏国立科学研究センター(CNRS)で3月末に開れた国際レース「ナノカーレースⅡ」だ。6カ国・8チームが参戦し、物資・材料研究機構が同率優勝を果たした。レースには科学の未踏域を開拓する意義がある。一つの分子を操作して特性を調べたり、基板と分子の相互作用を使いこなす技術を育てる場になっている。

ナノカーレースⅡには日本からは物材機構と奈良先端科学技術大学院大学が参加した。同レースは金基板上に車を模した分子を置き、走査型トンネル顕微鏡(STM)の探針で車分子を操り走らせる。結果は1054ナノメートルを走った物材機構と678ナノメートルを走ったスペインとスウェーデンの合同チームが同率優勝した。

車分子を走らせるには二つの原理がある。一つ目はSTM探針と金基板の間を流れるトンネル電流で車分子を励起し分子の振動を利用する。二つ目は、分子の極性を利用しSTM探針が作る電界で反発したり引き寄せたりする。この二つの効果が混ざって車分子の移動がおきる。物材機構の場合は電界をかけると探針に引き寄せられて数ナノメートル滑る。

よく滑るように分子の形を設計した。車分子は中央にポルフィリンの環状構造をもち、この前後にベンゼン環が三つ並んだアントラセンをもつ。後部に一つ、前部に二つつなげて剛直な平面構造を作製した。この炭素の並び方が金の格子とずれるため、車分子が金基板に吸着せず超潤滑現象が起こる。

この分子は有機合成では直接作れない。そこで川井茂樹グループリーダーは「金基板上で反応させて組み立てた」と振り返る。STM探針で刺激して脱水素環化反応を起こす。アントラセンとポルフィリンやアントラセンとアントラセンの隙間をつないで1枚の平面分子を製作した。

基板上では溶液中では起きない化学反応を起こせる。STMで分子構造を測り、狙った箇所を励起して化学反応を起こす。グラフェンなど炭素材料を組み立てられる。

レースでは2ナノメートル強の車分子を1054ナノメートル走らせて優勝した。分子を基板上で並べて組み立て計測する。これら基本技術が高いレベルにあったことが好成績につながった。

こうした技術は科学の最先端だ。川井リーダーは「表面合成の研究論文が急激に増えている」と説明する。分子からハロゲン原子を引き抜いたり、脱水素環化を起こしたりと反応開発が進む。触媒性能や力学特性を1分子レベルで測ることも可能だ。レースチームの監督役を務めた中山知信グローバル中核部門部門長は「人工細胞膜などでは、1分子の変化が全体のシステムを変える。この起点を解き明かせるだろう」と期待する。分子を並べて重ねてから変形させるなど、多数の分子が相互作用する様子を捉えられると期待される。レースの先にはフロンティアが広がっている。

日刊工業新聞2022年4月22日
小寺貴之
小寺貴之 Kodera Takayuki 編集局科学技術部 記者
金基板上で1000nm走れたなら、次は水陸両用車のように違った表面を走れたりしないのかなと考えてしまいます。水分子が吸着した表面だったり、異種金属との界面だったり、まだらに酸化された表面だったり、汚い表面を走る車分子の設計戦略は触媒の設計にいかせると思います。中間体分子が滑りやすい触媒表面が作れると反応温度を下げられるはずなので省エネや脱炭素に貢献できるかもしれません。レースとしてナノカーを走らせるということには成功したので、今後はコースか車分子に制約を与えてアプリケーションを考えやすい方向へシフトしていくのではないかと思います。

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