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物質や生命までも人工的につくり変える「合成テクノロジー」が突きつける難題

<情報工場 「読学」のススメ#83>『合成テクノロジーが世界をつくり変える』(クリストファー・プレストン 著)

科学技術の進歩は“神の領域”に突入しつつある

ナノテクノロジーが、近年、想像以上の進化を遂げているようだ。ナノテクノロジーとは、ナノ(10億分の1)メートルのスケールで原子や分子の配列を制御する技術である。

2017年には、世界初の「ナノカーレース」がフランスで開催された。2ナノメートルほどの“ナノカー”が、100ナノメートル(人間の髪の毛の太さの1000分の1程度)の金基盤のコースを、36時間以内で完走を目指すものだ。

日本から参加した物質・材料研究機構のナノカーは、酸素、炭素、水素の原子を計88個組み合わせたもので、電気を流すと羽のような構造がパタパタ動いて進む仕掛けだ。こうした分子製造の物質は、将来的に、がん細胞を見つけて破壊したり、ウイルスを除去したりするよう設計されたナノボット(ナノスケールのロボット)となる可能性が期待されている。

ナノカーレースは2021年に第2回が予定されているというが、『合成テクノロジーが世界をつくり変える』(インターシフト)にも、ナノカーの記述があった。

同書の著者、モンタナ大学のクリストファー・プレストン哲学教授は、ナノテクノロジーの世界はナノカーにとどまらない“神の領域”に突入しつつあると指摘。人類は、ナノテクノロジーと今後どう向き合っていくべきか、真剣に考えなければならないところまできているのだという。

「何でもできる」ことが本当に「豊かさ」につながるのか

プレストン教授が定義する「合成テクノロジー」とは、「天然」と「人工」を「合成(Synthetic)」する技術。ナノテクノロジーによって地球上には存在しない新しい物質を製造する、DNA操作で人工生物を生み出す、気温上昇を抑えるために硫酸の霧で地球を覆うなど、「本当に人間がここまで踏み込んでいいのか」と心配になるほどの思い切った技術だ。

だがプレストン教授は、これらを一概に否定しない。ただし、さまざまな小さくない影響が予想されるため、ある程度の慎重さが必要というスタンスのようだ。

例えばナノテクノロジーについていえば、すでに材料科学、IT、医療をはじめ、あらゆる分野で世界中の企業が最新技術を競い合うところまできている。反射防止、くもり止め、食品添加物など、私たちのすぐ身近なところにもその技術は生かされている。

しかし、ナノテクノロジーの一種である「遺伝子組み換え食品」に関しては、健康や環境へのリスクに対して、正確な結論を導き出せるような長期的な調査が行われていない。

それに加えてプレストン教授が指摘するのは「哲学的な視点」だ。

ナノスケールの技術では、原子を一つずつつまんで別の位置に置くことが可能になる。つまり、分子・原子・DNAのレベルでの物質の再構築が可能なのだ。これは、言うならば「何でもつくれる」ことに他ならない。

だが、何でもつくれることは、本当の意味で私たちを「豊か」にするのだろうか。例えば、1年中何でも食べられるよりも、旬の時期だけに食べられる食材がある方が、食文化や人の心は豊かになるのではないか。

さらに、DNAの鎖を組み上げて「生物」を人工的に合成してしまう「合成生物学」も進歩し続けている。例えば2010年に発表された研究では、コンピュータで設計された遺伝子を別種の細菌に挿入した「世界初の合成細胞」が増殖を開始したという。

このままいくと、いずれ人類は、まったく新しい生命を創造できるようになる。ここで「越えてはいけない一線」を設けるべきなのか、重い課題が突きつけられている。

「人類がどうなりたいか」の意思決定は民主的であるべき

ところで先月末、環境省は、絶滅危惧種に指定している「オガサワラシジミ」という蝶の繁殖が、飼育下で途絶えたと発表した。この蝶は、自然界では2018年以降は1羽も生息が確認されておらず、絶滅した可能性がある。

オガサワラシジミを絶滅から守る方法はなかったのか。例えば、まだ個体が多い段階で大量に捕まえ、より天敵の少ない場所、あるいは人工的な空間に移せば、個体を増やせたのではないか。

じつは、過去に英国で「ヨーロッパシロジャノメ」と「シルベストリススジグロチャバネセセリ」という2種の蝶について、地球温暖化の影響を避けるために、約500羽ずつを捕まえてふさわしい地域に放ち、個体を増やした例があるという。これは、自力で移動できない種の保全に有効な手段ではある。

だが、こうした移転は、生態系を混乱させないと保証できるのか。また、どの種を優先的に移転させ、どの種を見捨てるのかを人類が決めるというのはどうなのか。そこまで自然に介入することが、果たして人類に許されるのか。

介入がある程度まで許されるとしても、どこまで許容するかについて、いったい誰が決めるべきなのか。ブレストン教授は、この決定を政治的・経済的に強い力を持つ「選ばれし少数の手」に委ねていいものではないと強調する。「人類がどうなりたいのか」についての意思決定は、できるだけ民主的であるべきだというのだ。

このままでは、合成テクノロジーは究極まで進化し続けるだろう。スケールの大きいテーマではあるが、取り返しのつかない一線を超えないためにも、誰もが一度立ち止まり、自分の問題として、じっくり考えるべきではないだろうか。

(文=情報工場「SERENDIP」編集部)

『合成テクノロジーが世界をつくり変える』
-生命・物質・地球の未来と人類の選択
クリストファー・プレストン 著
松井 信彦 訳
インターシフト
288p 2,300円(税別)
情報工場 「読学」のススメ#83
冨岡 桂子
冨岡 桂子 Tomioka Keiko 情報工場
本書には、合成テクノロジーの一つとして、大気圏に反射性粒子をばら撒き、太陽光を反射させて地球を冷却するという構想についても書かれている。それによって、地球温暖化を抑えようというものだ。実行すれば、温暖化をめぐる問題を一気に解決できるが、これは地球をつくり変えるという大それた行為であり、思わぬところで自然のバランスを崩しかねない。ただ、実行しなければ、このまま温暖化が進み、地球が人間の住めない星になってしまう可能性がある。「トロッコ問題」のようなジレンマだが、少なくとも私たちは、テクノロジーがこのような難しい判断を迫られる段階に達していることを認識する必要があるだろう。

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