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豊島区はなぜ23区唯一の「消滅可能性都市」から躍進できたのか?

連載・地域が育む東京 #1 豊島区・サンシャインシティ
豊島区はなぜ23区唯一の「消滅可能性都市」から躍進できたのか?

サンシャイン水族館の天空のペンギン(サンシャインシティ提供)

国内外の文化芸術が鑑賞できる劇場、サブカルチャーを発信する個性的な拠点の数々、大きく空が見える公園では芝生の上で子供たちが遊び、ファーマーズマーケットには新鮮な野菜が並ぶ―豊島区・池袋は大きく変わりつつある。かつては財政難や「消滅可能性都市」(※)と指摘されたが、これをバネに行政と地元企業、区民が連携し歩みを進めてきた。

イケ・サンパークファーマーズマーケット(豊島区提供)

豊島区の問題は日本の課題

「財政難から脱却し、まちづくりはこれから、というタイミングで消滅可能性都市と指摘され、大変なショックを受けました」―自身も豊島区で生まれ育った豊島区国際文化プロジェクト推進室長の馬場晋一氏は当時を振り返る。
 1999年、財政破綻のピンチを迎えた豊島区は、施設の統廃合や人件費の削減などを行わざるを得なかった。「その厳しい中だからこそ、区民の心を豊かにし、まちを明るくする「文化」を基軸としたまちづくりを掲げました」(馬場室長)。「オールとしま」で取り組み、行政・地元団体や企業・区民が一体となり、「安全安心のまちづくり」と「文化のまちづくり」を軸に据え活動してきた。財政回復の兆しも見えてきたその矢先、2014年に、消滅可能性都市だと指摘されたのだ。23区では唯一だった。

「しかし少子高齢化、人口減少は豊島区の問題でなく日本全体の課題。この課題解決に向け果敢に挑戦し、モデル都市として全国に取り組みを示すこととした」(馬場室長)。ピンチを逆手に取り、「子どもと女性にやさしいまちづくり」「高齢化への対応」「地方との共生」「日本の推進力」の4つを柱に据え、持続可能なまちづくりへとさらにアクセルを踏み込んだ。目指すのは国内外に区の魅力を発信する「国際アート・カルチャー都市」だ。

「『消滅するかも、と言われている時にアート・カルチャーで一体どのようにまちが変わるのだろうか…』と言われることもありました」と馬場室長は振り返る。しかし、特にこの「国際アート・カルチャー」は豊島区に古くから根付いている数多くの文化の魅力が基軸。区の文化資産を掘り起こし、まちの魅力と誇りを再発見していく試みだ。さらに大規模建設を含めた「23のまちづくり事業」を計画し、2020年までに完成させる短期集中投資を実行。これは区が発信するメッセージでもあった。区民は地元の変化を目の当たりに感じ、実行力のある自治体との認識が広がる中で企業も投資・連携がしやすくなった。

2019年に国家的プロジェクト「東アジア文化都市」に選定されたことも、「国際アート・カルチャー都市」実現への大きな後押しになった。中国・西安市、韓国・仁川広域市とともに市民間・行政間での交流や「舞台芸術」「マンガ・アニメ」などに関する397の事業を展開し、全事業を通じてのべ350万人が参加した。

文化の象徴「サンシャインシティ」

豊島区の文化的側面で象徴となるものの1つが、サンシャインシティ(東京都豊島区)だ。 1978年、東京拘置所の跡地にサンシャインシティが開業。施設の約4分の1を地域貢献施設が占める半官半民の存在として、観光からビジネスまで幅広く集客してきた。

その歩みは豊島区と似ている部分が多い。建設時のオイルショックにより大きく膨らんだ総事業費の影響で長く続いた累積損失を2003年度に解消し、2011年に「サンシャイン水族館」をリニューアルオープン。サンシャインシティ内のイベントだけにとどまらず、池袋のまちづくりや、街中でのカルチャーイベントにも参画してきた。

街中のイベントの1つ、池袋リビングループ(サンシャインシティ提供)
 そして2020年、中期経営計画を機にサステナビリティを軸にまちづくりに本格的に取り組むことを決め、「まちづくり推進部」を4月に新設。まちづくりに関するイベントの企画や、豊島区との人事交流もスタートした。

エンターテイメントのイメージの強いサンシャインシティだが、実は100社以上のテナントを抱えるオフィスビルとしての顔も持つ。ここに、ビジネス分野でのマッチングやまちへの広がりを生み出す拠点となる施設「サンシャインシティ ソラリウム」が2021年11月1日にオープンした。

ソラリウム
 普段は有料のコミュニティラウンジとしてテナント入居企業や一般に開放しているほか、今後はイベントスペースとしても稼働する予定だ。「地元企業や民間ネットワークのプラットフォームになれれば」と同社常務取締役まちづくり推進部長、川上裕信氏は意気込む。

官民で信頼を築く

「つらい時期を共に過ごしてきたからこそ、実行力を持って動ける」「大規模ディベロッパーが不在で、渋谷・新宿などより開発が遅れたが、だからこそ地元の繋がりが強い」「金はないが、知恵を出し合ってきた」―馬場室長と川上常務取締役は、今までを振り返って言葉を交わした。危機感を共有し、近い距離感でまちづくりを推進することで実績を重ね、信頼を築いてきた。

豊島区の馬場晋一室長(右)、サンシャインシティの川上裕信常務取締役(取材時マスク着用)
 短期集中投資の結果として、2019~2020年に豊島区内に新施設が次々に開業し、池袋駅東西ともに複数の大規模再開発の計画が着々と進んでいる。

しかし、「まちづくりは箱を作って終わりではない。豊島区は、何をおいても『ひと』が主役」と馬場室長は強調する。「作って終わりでなく、どう運営していくかが重要。都市経営こそがまちづくり」だと川上常務取締役。
 自分たちで考え、稼ぎ、まちを運営していく意味を含めて「『株式会社豊島区』と言われることもある」と馬場室長は話す。コロナ禍で開催できたイベントは多くはないが、街中に作られた「舞台」で人々が主体となり、つながっていくことが重要だ。

区には日々多くの企業が相談に訪れ、ビジネス拠点としての注目の高さがうかがえる。また、1999年比で人口が約15%増え、ファミリー層の増加など住まう人も変化している。新しい人が増えれば、よりつながりも重要になる。「区内には活気のある商店街が多く、老舗もあり、また地元の祭りやイベントも多い。ここが街とのつながりの基盤になる」と馬場室長は話す。また、「地元の老舗企業とスタートアップとの対談イベントなどを行い、まちづくりに欠かせないネットワークを広げている」(川上常務取締役)。

共創空間でのとしま共創トーク(サンシャインシティ提供)

2014年に消滅可能性都市と言われた豊島区は、2020年に「SDGs未来都市」「自治体SDGsモデル事業」に東京都で初めてダブル選定された。「まちは生き物。まちづくりにゴールはない」と馬場室長と川上常務取締役は顔を見合わせる。

(※)有識者らでつくる民間研究機関「日本創成会議」が発表。「2010年から2040年にかけて、20~39歳の若年女性人口が5割以下に減少する市区町村」と定義されている。

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昆梓紗
昆梓紗 Kon Azusa デジタルメディア局DX編集部 記者
東京の都市開発というと、大規模商業施設や最新のビルがどかんとできる印象があるかもしれません。もちろん豊島区の開発でも大型のビルや施設が開業しています。しかし、それだけでなく、地元に昔からある繋がりや雰囲気を大切にしながら、次世代に向けてアップデートして伝えるという意思が通底しています。これから豊島区のまちに人が集っていくのが楽しみです。

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