私達に身近な大腸菌。中には強い病原性を持つものも?
善悪取り混ぜ最も馴染みが深い大腸菌
「大腸菌」は、私たちに最も身近な細菌と言えます。分類学的には、「腸内細菌科」(Family)に属するグラム陰性桿菌です。この細菌群は通性嫌気性で、腸内生息レベルは概ね便1gあたり107と全体の1000分の1程度ですが、私たちの健康に密接な関係にあることがよく知られています。
大腸菌(エシェリヒア・コリ:Escherichia coli)は高率に検出されますが、このほかシトロバクター(Citrobacter freundii, C.koseri)、エンテロバクター(Enterobacter cloacae)、クレブシエラ(Klebsiella oxytoca, K.pneumoniae)、モルガネラ(Morganella morganii)など日和見感染の原因となる菌種も検出されます 。これらのグラム陰性桿菌の病原因子として、その細胞壁外層に発現するリポ多糖体(内毒素)や運動性に寄与する鞭毛を発現しています。
食中毒菌として知られるサルモネラ菌や赤痢菌も腸内細菌科に属しますが、食中毒などの特殊事例以外、通常の腸内からは検出されません。ちなみに「大腸菌群」とは、上記した「腸内細菌科」菌群とは異なり、食品衛生的な概念に基づく用語で、大腸菌を含む乳糖を分解するグラム陰性の通性嫌気性桿菌を指します。
一方、興味深いことに、プロバイオティクスとして活躍する大腸菌株も知られています。エシェリヒア・コリ「Nissle1917」という菌株は、第1次世界大戦下のドイツ軍兵士の便から、Nissleという名の博士が分離したものです。
周囲でコレラや赤痢が蔓延していたのに、この兵士はまったく健康でした。そこで博士は、兵士の腸内の大腸菌がコレラ菌や赤痢菌に対する競合性が強いという仮説の下に、この菌株を分離したのです 。その後、実験で作用が確認され、現在はサプリメントとして販売されています。
私たちの腸内に常在する大腸菌はほぼ無害ですが、中には強い病原性を持つものがあります。腸管出血性大腸菌は、菌の抗原性の違いによりO157やO111などの種類が知られています。赤痢菌の発見者である志賀潔博士にちなんで名づけられた志賀毒素という強力な毒素を産生し、これが腸管上皮の粘膜細胞に大きな障害を与えて下痢を発症させます。きわめて少量の感染菌数で食中毒を起こす点が特徴です。下痢にとどまらず、腎臓や脳などに致命的な症状をもたらすことがあります。現在でも毎年数百例もの患者が発生し、生や加熱不十分な牛肉の摂取、衛生管理の不良や、保菌者からの2次感染などによる集団発生が報告されています。
【一口メモ】私たちが健常な状態では免疫力により感染に至らない病原性の低い常在細菌が、免疫力が低下した状態で感染するようになり、体内で増殖して病気を引き起こします。このような、日和見感染症の発症を許す感染防止御能の低下した宿主を易感染性宿主と呼んでいます。
「おもしろサイエンス 腸内フローラの本」p.122-123より一部抜粋)書籍紹介
人間の腸管内で増殖を続ける微生物群集は「腸内フローラ」と呼ばれている。私たちの健康に深く関わる腸内フローラの知られざる面白話をやさしく紹介。腸内環境を整える有益な生理作用から病原菌や生活習慣病など疾病の発生まで、メカニズムや機能に迫る。
書名:おもしろサイエンス 腸内フローラの科学
著者名:野本康二
判型:A5判
総頁数:160頁
税込み価格:1,760円
執筆者
野本康二
1954年東京都生まれ。
1979年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。
同年、株式会社ヤクルト本社入社。2017年退社。
同年、東京農業大学生命科学部分子微生物学科動物共生微生物学研究室教授に就任。
2005年から順天堂大学客員教授。一貫して、腸内細菌およびプロバイオティクスの健康に果たす役割に関する研究に従事する。
獣医師、薬学博士。
販売サイト
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日刊工業新聞ブックストア
目次(一部抜粋)
第1章 腸内フローラって何?
腸内フローラとは?/見えない細菌を拡大して観察することから始まった/食道・胃・十二指腸に生息するフローラ/大腸(下部消化管)フローラの役割/成長・加齢に伴う腸内フローラの変化/動物(哺乳類)の腸内フローラはどうなっている?
第2章 腸内フローラはどこで、どのように存在する?
腸内フローラは安定している?/コロナイゼーションレジスタンスのおかげで腸内バランスが保たれる/地域による腸内フローラの違い/腸内フローラの栄養となる食物繊維/オリゴ糖、プレバイオティクス、レジスタントスターチは腸内フローラの強力な援軍
第3章 いろいろな疾患と腸内フローラとの関わり
肥満と腸内フローラの知られざる関係/腸内フローラは生活習慣病にも大きく関与/腸の病気を誘発する腸内フローラ異常/アレルギーなど免疫疾患も引き起こす/腸内フローラが及ぼす脳への影響
第4章 プロバイオティクスは腸内環境を改善するミカタ
プロバイオティクスは何をしてくれるの?/新生児・小児科治療で期待されるプロバイオティクスの効果/アレルギーの軽減・抑制にも確かな効果がある/俄然注目されるがん予防への可能性/有用菌の機能をさらに高めるシンバイオティクス
第5章 腸内フローラを構成する細菌群を知ろう
ビフィズス菌の機能と特徴/ヒトの腸内細菌の5%を占めるアッカーマンシア・ムシニフィラ菌/善悪取り混ぜ最も馴染みが深い大腸菌/私たちの食生活に欠かせない乳酸菌/免疫機能が低下すると感染症を起こす日和見感染菌
第6章 どうなる?腸内フローラ/プロバイオティクス研究の今後
適切な方法に基づいて実施された臨床研究から得られる確かな証拠/臨床効果を説明する作用メカニズムとは?/常在腸内細菌の潜在力を知る/安全性の確保が一番