「失われた30年」をもたらした恐ろしいものの正体

  • 2
  • 52

コロナ禍の記憶残す

「令和」が3年目を迎えた。コロナ禍で始まった「令和」をどんな時代にすべきなのかを、日本人は一人ひとりがおのおのの立場から考えるべき時が来た。その出発点としてコロナ禍は「災害」であるという認識が重要である。これまでの地震や台風などの純粋な自然災害とは大きく異なり、人から人へと感染症が広がることと同時に、グローバル化によって局所的ではなく一気に世界規模に拡大した。

また、中世から現代にかけて、ペストやスペイン風邪などのエクスペリエンス(経験・体験)を保持している人は誰もいない。

東日本大震災から10年もたたないうちに日本は再びコロナ禍という大災害に見舞われた。あらためて考えると、日本は世界でもまれに見る「災害大国」である。これまで有史に残るだけでも、災害を最小限に食い止め、災害からの復興を目指し、実に多くのことを経験してきた。

最近、私は今こそ日本はむしろ、この「災害」から与えられる「試練」を糧にした行動様式を確立すべきだと考えるようになった。すなわち「平時」の時に「災害時」を想定した行動様式を取ること、換言すれば、デジタル技術によって「永遠の記憶」の仕組みを作り、社会システムのデジタル変革(DX)を起こすことである。

さて、東日本大震災を契機に「国土強靱(きょうじん)化」が重要視されたことから発足した「レジリエンスジャパン推進協議会」の中に、このたび『ビジネスレジリエンスDXプラットフォーム構築戦略会議』が設置されることとなった。私は、同戦略会議の座長を依頼されたのだが「令和」が終わった時に、新しいニッポンが創生された時代だったと振り返られることを夢見て、引き受けることとした。そこで、この連載では同戦略会議に関わる「耐災害性」を起点にしたDXについて取り上げてみたい。

「失われた30年」の要因

「令和」を、どんな時代にしたいかを考える前に「平成」とは、どんな時代だったのか。平成日本の現代史をひと言で表すと「失われた30年」である。30年前、日本は輝いており、自信に満ちあふれていた。日本中の各地で自動車、家電、半導体、通信機の工場がフル稼働していた。平成元年(1989年)を例にとると、世界企業の時価総額ランキングトップ50に第1位のNTTをはじめ、日本興業銀行(当時)、都市銀行(同)が上位にいて、32社がランクインしていた。しかし、平成30年(2018年)は、ランクインした日本企業は、35位のトヨタ自動車だけだ。一方、中国企業のランクインは、30年前は、ゼロだったが18年は8社に上る。

「平成の失われた30年」をもたらしたものは、何だったのか。その根本原因について考えてみる。少子高齢化による労働人口の減少が、国内総生産(GDP)の低下をもたらしたという見方があるが、それは正しくない。人口が減少してもGDPが増加している国はある。

私は「失われた30年」をもたらした要因は「デジタル化の遅れ」と「一極集中」であると考えている。「デジタル化」には、知的生産活動の「共有」と「再利用」による効率化にその本質があり、これが実行されていない。実に「ムダ」なことを30年やってきたのだ。問題は、この「ムダ」を「生業(なりわい)」としている産業分野が多いことだ。

令和時代2点に集約

次に「一極集中」とは「分散」の逆の「集中」である。首都圏と大企業だけにヒト・モノ・カネの経営資源が集中しており、中小企業と地方が活躍していないことを意味する。換言すれば、国土と人口の大半が活躍していない社会を形成してきたといえる。以上のことから「令和」の時代にやるべきことは「デジタル化」と「一極集中の解消」の2点に集約することができる。次回以降、いかにしてこの二つを「災害時起点」から実行するかについて考えてみたい。

(文=藤原洋<ブロードバンドタワー会長兼社長CEO>)
【略歴】ふじわら・ひろし 77年(昭52)京大理卒、96年東大で工学博士(電子情報工学)取得。日本IBM、日立エンジニアリング、アスキーを経て、96年インターネット総合研究所設立。12年現職。インターネット協会理事長などを兼務。福岡県出身、66歳。

日刊工業新聞2021年4月19日

キーワード
災害

関連する記事はこちら

特集