震災から10年。日立のモノづくりは大きく変わり、「聖地」も遷る
2011年の東日本大震災は日立製作所のモノづくりを大きく変えた。被災した主力の大みか事業所(茨城県日立市)は分散型エネルギー・マネジメント・システム(EMS)導入などでレジリエンス(復元力)を高めた。未曽有の災害を機に関連製品の開発も進んだ。ただ、2月に発生した福島県沖地震で自動車部品子会社の工場が操業停止に陥った。事業継続計画(BCP)対策に終わりはない。
「震災で停電になって水もガスも止まって、供給が全部ストップした。断水は特に困って、井戸も掘ったし、トイレ用のタンクもつくった。エネルギーだけでなく生活設備の対応が大変だった」―。震災当時に大みか事業所で電力関係を担当していた制御プラットフォーム統括本部・事業所マネジメント推進センタの小川文彦主任技師は10年前を振り返る。
大みか事業所は社会インフラや産業向けの情報制御システムを手がけるマザー工場だ。事業所マネジメント推進センタの瀬川智広センタ長も「大みかは沿岸部に位置し、津波の被害こそ免れたが、震度6強の激しい揺れにより機械設備が倒れたりした。完全復旧には約1カ月を要した」と当時の苦労を語る。
そこで11年6月から太陽光発電設備とパワーコンディショナー(PCS)、鉛蓄電池を組み合わせた構内電力システムなどの設計に着手した。系統からの電力供給が再び断たれた場合を想定し、バックアップ電源として太陽光と蓄電池での自立運転を目指した。各種電源を最適化するのが分散型EMSの役割だ。12年7月に稼働を始めた。
大みか事業所内約900カ所にスマートメーター(通信機能付き電力量計)などを配置し、建物や用途別などあらゆる角度から電力使用量を可視化した。結果として、19年度実績のエネルギー使用量は10年度と比べて28%削減に成功した。小川主任技師は「大半を占める電力使用が23%削減され、空調や試験設備、照明、OA機器が大きく下げた。まだ削減余地の残る生産設備をこれから下げていく」と、省エネルギー活動を加速させる。
ただ、今後は単なる省エネから脱炭素化へとハードルが数段上がる。日立は30年度までの全事業所(工場・オフィス)のカーボンニュートラル実現を宣言済み。当然、大みか事業所も対象だ。「非常に高い目標だ。売り上げが伸びれば二酸化炭素(CO2)排出も通常増えるので、それをゼロにするために知恵を絞らないといけない」と、瀬川センタ長は新たな難題に挑戦する。
防災・被災の関連製品開発進む
日立パワーソリューションズ(茨城県日立市)の防災対応型風力発電システムは震災が開発の契機になった。
秋田市の豊岩浄水場は震災直後に15時間の停電となり、断水の危機に直面した。教訓を生かし、秋田市が近くの秋田国見山第二風力発電所(蓄電池併設)を非常用電源として活用することにした。
同社のシステムは風車・蓄電池を最適制御し、電力系統に頼らず実際に浄水場へ15時間の電力供給に成功したという。風力事業開発センタの星野直樹センタ長は「自立型なので風車側で最大出力をうまく調整して、蓄電池への負荷が過剰にならないように全体をコントロールする」と技術ノウハウを説明する。15年の初納入以来4カ所の納入実績がある。
日立システムズ(東京都品川区)の疲労・ストレス測定システムも被災地で激務に耐える自治体職員向けに開発された。産業・流通システムサービス事業グループの松原孝之主任技師は「震災直後から職員が疲弊していた。一見すると元気な方が病んでしまうケースが頻発し、本人や周囲の人の印象とは別に、客観的数値を用いてスクリーニングできないかというのが発端だった」と開発経緯を明かす。
小型バイタルモニターで心拍と脈波を測定して自律神経を数値化し、その人の疲労度を算出する仕組みだ。12年2月末の発表以来、東北の自治体中心に複数件導入され、職員だけでなく健康支援の住民サービスに役立てる事例もある。
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