本社と工場を津波で流された陸前高田の老舗醤油「八木澤商店」、復興の10年

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何があっても会社を存続させ雇用を守る。それこそ町が復興するための基本だ…と河野社長

大震災から数日

「俺が社長をやる」。東日本大震災が発生した2011年3月。八木澤商店(岩手県陸前高田市)の河野通洋社長(当時取締役)は、父で先代の河野和義氏(当時社長)にこう告げた。まだ震災から数日もたっていない。本社と工場は津波に流され、先代は廃業へと心が傾いていた。しかし通洋氏は会社をなくすことなど全く考えなかった。

同社はしょうゆの製造販売業。1807年創業の老舗で通洋社長は9代目だ。しかし若いころは家業よりも、世界で砂漠の緑化に取り組んだ農学者、故遠山正瑛氏の活動に憧れ、高校卒業後は専門知識を得ようと米国に留学。だが先代の父が病に倒れたとの報に帰国を決意し、3年のホテル勤務を経て1999年に入社した。

同友会支部設立

「実に生意気な若造だった」と通洋社長は当時を振り返る。納得いかない理由で融資を拒み続けるメーンバンクの支店長に業を煮やし、代わりにライバル銀行と交渉。3000万円を借り、それを現金のままメーンバンクへ持ち込み、突き出すように返済した。

また取締役登用の話が出た際は「銀行の交渉権と会社の人事権が欲しい」と、逆に条件をつけたほどだ。それゆえ人間関係に不和が生じることもあった。

そんな通洋社長を変えたのは中小企業家同友会の存在だ。隣接する宮城県の気仙沼支部に招待され、何でも相談に乗ってくれる先輩たちから大人の対応を学んだ。そこで地元でも支部を立ち上げようと奔走。「1社もつぶさず、毎年求人できる会社を育てる」と訴えて気仙支部設立に成功する。

父からは40歳になれば社長にすると聞かされており、それまでに経営を学び、仲間も増やしていこうと考えていた。

未来見据えて

だが11年3月11日に東日本大震災が発生してしまう。社員らを先導して避難した高台で、たき火を見つめながら会社のバランスシートを頭に浮かべた。計算を重ね「やれる」と決断。4月1日には社員を集めて社長就任を発表し、同時に新入社員も紹介した。

復興にはスピード感を持って取り組んだ。しょうゆの委託生産に始まり、半年後には工場を借り、ぽん酢やめんつゆの自社生産を開始。翌12年春には岩手県一関市でしょうゆ工場を着工し、13年2月には初仕込みにたどり着く。本社機能も陸前高田市に設けた。

20年12月、かつて本社があった土地に発酵食をテーマとした複合施設「カモシー」がオープン。河野社長が仲間と協力して立ち上げたものだ。隣接地には同社の本社とみそ工場を建設中。震災から10年を経て、その後を見据えた経営とまちづくりは続く。(東北・北海道総局長・菊地高司)

日刊工業新聞2021年3月9日

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