【ハゲタカ著者・真山仁】ロッキード事件の真相にあった今も変わらぬ日本の問題
「今につながる話でないといけない」―。大ベストセラー経済小説『ハゲタカ』シリーズなどの著者である小説家・真山仁さんが吐露した。1月に刊行した初のノンフィクション作品『ロッキード』の取材を始めた時の思いだ。テーマに据えたロッキード事件(※)は1976年2月に発覚し、田中角栄元首相らが逮捕された一大疑獄事件。その真相を検証する関連書籍は、これまで数多く出版された。その中で、真山さんは資料や関係者らの取材を進め、事件に対する新たな見方を示すとともに、今の日本につながる問題をあぶり出した。
なぜ今、ロッキード事件をテーマに初のノンフィクションに挑んだのか。そして事件から今につながる日本が抱える問題とは。真山さんに聞いた。(聞き手・葭本隆太)
※ロッキード事件:米国・ロッキード社製の旅客機「トライスター」の売り込みをめぐり、日本の政財界に巨額の賄賂がばらまかれたとされる事件。田中角栄元首相は外為法違反容疑で逮捕。全日空のトライスター導入にからんでロッキードの代理店である丸紅を通して5億円の賄賂を受け取ったなどの容疑で起訴された。裁判の一審二審で有罪判決を受け、最高裁に上告された公訴は、田中元首相の死亡により棄却された。
「小説」という選択肢はあり得なかった
―執筆の経緯を教えてください。
当初はノンフィクションを書くという話で企画が始まったわけではありません。まず、これまでとは違う小説を連載しないかという提案が週刊文春からあり、意見交換する中でたどり着いたテーマがロッキード事件でした。私が中学生のころの事件ですが、賄賂を送ったロッキードの関係者が捕まらない変な事件で、そこに日本と米国の関係性があるのかなと思い、長年興味を持っていました。『ハゲタカ』でも日米関係の歪みはテーマの一つに据えており、ロッキード事件に挑む日が巡ってきたと思いました。
一方、ロッキード事件を扱うのであれば、小説で書くという選択肢はあり得ませんでした。多くの人が関連の書籍を発表し、検証された事件を小説で書くのは逃げだろうと。いつかはノンフィクションに挑戦したい思いもありました。恐れ多いテーマとは思いましたが、その瞬間をテイクしなければ、後悔するとも思いました。これまで私が関心を持ったり、たまたま人に会ったりして考えたテーマで小説を書こうとすると、関連する事件が次々に起きる巡り合わせを何度か経験していましたから。
―真山さんが取材を始められる直前の16年にもロッキード事件から40年ということで、関連書籍が多く出版されました。それらはプレッシャーになりませんでしたか。
『小説家風情が初めて書くノンフィクションがロッキード事件か』と言われるプレッシャーはありました。それに取材しても驚愕の真実や、隠された証言が出るとは思えませんでした。ただ、私は多くの人が持つ固定観念を疑い、別の考え方や視点を提供する小説をずっと書いてきました。ロッキード事件に対する固定観念を崩したいと思いましたし、それが私の最大のミッションでした。
編集者からは小説家としての「妄想力」が生かせるとも言われました。証言や証拠がこれ以上はない時点から(妄想力を発揮して)真実を考える手法はノンフィクションの範囲としてあり、それは私の強みになるはずだと。
―実際に妄想力はどのように発揮したのですか。
登場人物の人間性を見て検証しようとしました。例えば、ハゲタカファンドの小説を書くときは、取材を通して理解した彼らの考え方について、頭の中でイメージを膨らませながら書きます。その経験を基に多国籍企業であるロッキードの幹部たちの視点で考えていくと、公文書には出てこない部分のイメージが膨らみます。また、田中角栄の足跡を取材して理解した人間性を前提に考えていくと、世間と違う角栄のイメージが見えてきました。
―とはいえ、妄想力を発揮しすぎると「ノンフィクション」の枠を超えてしまいませんか。
そうならないように最初は自分でブレーキをかけていました。ただ、それでは地味になってしまいました。(そこで)思い切って妄想を膨らませる一方で、(関連の資料などを踏まえて)事実が乏しい場合には筆致のトーンを下げるなど試行錯誤を続けました。
―新潟県柏崎市にある「田中角榮記念館」を真山さんが訪れた際の描写は妄想力を発揮された場面の一つですね。丸紅幹部が角栄に賄賂の見返りを依頼したとされる東京・目白台の田中邸の陳情部屋が忠実に再現されており、真山さんはその場の雰囲気から果たして密談が交わせる場所かと疑問を呈します。
そこにある椅子や廊下も田中邸とまったく同じで、陳情時はドアを閉めなかったと現地の案内人に聞きました。それでは声が外に漏れてしまうので、さすがにおかしいだろうと。やはり現場に足を運ばなくてはと思いましたよ。
40年以上も前の事件ですが、少しでもいいからと現場の匂いを嗅ぐ取材を行いました。そこでおかしいと思うことがいろいろありました。先入観を持たずに自分が体験することで、妄想を裏付ける結果が多く出てきました。
判事が有罪を確信していなかった
―関係者の取材で得た証言で印象的なものはありますか。
最高裁判事としてロッキード事件の判決に参加した園部逸夫さんの証言は一つです。なかなか取材に応じてもらえませんでしたが、最後は根負けして会うだけならいいとなりました。その取材で出てきたのが本書にでてくる(『最高裁の法廷に、田中さんが出廷して、自らの潔白を主張したら、裁判は別の様相を呈したかも知れません』といった)証言です。ロッキード事件は検察特捜部の金字塔なんて言われますが、角栄の有罪を確信していなかった人もいたのだと改めて思いました。
―これまでの関連書籍では登場しなかった全日空関係者の証言も得ました。そこから全日空が独自調査を重ねてトライスターを選定しており、口利きなどは不要だったことを明らかにしました。
先入観を持たずに取材を進めたのが大きいと思います。全日空関係者の証言はそうした取り組みで得ました。(これまでの関連書籍ではロッキード事件当時の)若狭得治社長しか登場していませんでしたが、それはおかしいと思い、(当時を知るANAホールディングスの)大橋洋治相談役に「今こそ、何があったのかを社員の皆さんに語って欲しい」と伝えました。彼に取材できたことで次々と協力者が現れました。
やってきたことは取材の基本です。(最初から)無理だと決めつけず、こういった人はいないのかと探し、ダメ元でたくさん当たりました。(その結果として)思った以上に多くの人に会えましたし、聞いたことがない話をしてくれました。
変わらぬ日米関係と「世論」の驚異
―ロッキード事件の真相を追究していく上では、真山さん独自の日米観も軸になっています。
『ハゲタカ』を執筆した際に日米関係は1990年代以降も、決して対等ではないと感じました。例えば(90年代後半から日本で多用されるようになった)「グローバル・スタンダード」という言葉は、別名「アメリカン・スタンダード」です。米国が勝つために国際ルールを変えているに過ぎませんが、日本はそれに従ってきました。そこには米国が日本の上にいるという暗黙の認識があります。それを踏まえれば、ロッキード事件が起きた30-40年前も当然、対等なわけがありません。
ロッキード事件は(資源外交に積極的な)角栄が米国の虎の尾を踏み、報復されたといった陰謀説が根強いですが、それは日本が米国と対等だと思っているからこそ生まれます。残念ながらそれは思い上がりです。日米関係を前提に考えるだけで、陰謀説の見方は変わっていきます。
―そしてその日米関係は今も変わらないと。
(17年の日米首脳会談における共同会見で)トランプ前大統領から戦闘機の購入を要請され、それに応える安倍晋三前首相を見ていると、また繰り返しているのかと。外交は(00年代の)小泉純一郎政権以来ずっと米国一国に偏っています。むしろ昔の自民党政治の方が鳩山一郎はソ連と、角栄は中国とそれぞれ仲良くするなど、各国とバランスをとっていたように思います。そうして生きる道を探してきたのが戦後でした。ところが最近は米国だけと仲良くなり、それによって米国の要求にますます「ノー」と言えなくなっています。
―どのような外交関係を築くべきでしょうか。
先人たちのように米国との関係をキープしつつ、アジア諸国のメンターになるべきでしょう。人材や産業の育成を後押しし、アジア全体で強くなることです。アジア各国は日本のように清潔で安全で、政治が振るわなくてもすべてが回る国に憧れています。日本だけが自分たちの立ち位置を分かっていません。
―今につながる問題としては「世論の恐ろしさ」にも言及しています。オイルショックや狂乱物価、公害問題などにより民衆は不満や不安がたまっており、巨額の賄賂を受け取ったとされる角栄に怒る世論が勢いを持ち、証拠が不十分だった中で角栄の有罪を後押ししたと。そして世論は新型コロナウイルス感染症が流行する今も影響を及ぼしていると。
世論は世界各国にありますが、日本ではとても強く働きます。元々、人に合わせる社会だからです。実際にコロナ対策や東京五輪を巡る政治は世論に振り回されています。70年代も今も生活における我慢の対価が見合わないという不満が生まれている点で共通性を感じます。特に、今はSNSが力を発揮し、世論が動き出しやすくなりました。怖いのは世論を動かそうとした人もそれを止められないということです。
日本は本来、グレーの国です。白黒つけず、だからこそバランスよく回ってきたと思います。例えば、コロナ禍ではまず他人に迷惑をかけないこと。その上で、自分の精神的・身体的健康を維持する目的で、散歩に出て他人がいなくて苦しければマスクを外し、他人とすれ違うときだけマスクをすればよいというのが日本の社会でした。それがここに来て白黒つけたい人が増えて『マスクをつけずに外へ出るな』という声があがるなど、先鋭化しています。グレーな選択肢もあるという理解をどう進めるか、教育の役割かもしれません。
小説家としてノンフィクションを書く理由
―本書は読みやすさも強く意識されたと伺いました。
小説家としてノンフィクションを書く理由の一つがそこにあります。わからない人はわからなくていいのではなく、ロッキード事件をよく知らず、分からないであろう若い世代に読んで欲しい思いがありました。タイトルはロッキードですが、日本の未来や日米関係を考え直す本として意味があると思いますし、世論の恐ろしさを知ってもらえればと思います。これからの日本を背負う若い世代に読んでもらい、変わらない問題が今もあると感じる人の数こそが、本書の評価だと思っています。
―ノンフィクション執筆の経験は今後の小説執筆に影響を与えますか。
事実を積み上げて真実に迫るノンフィクションの大変さを感じたからこそ、逆に小説はもっと自由にならなければいけないと思いました。小説は、伝えたいテーマを打ち出そうとし過ぎると、登場人物が説明のために動き出し、面白くなくなります。ノンフィクションを書いたことで、もし社会の仕組みにもの申すのであれば、別の方法があると気づきました。小説ではあくまで物語にウェートをおき、テーマを自分の意識において書くことで、問題意識を届けられるようになりたいですね。
-今後ノンフィクションを手がける意向はありますか。
魅力的な素材が見つかれば、いつかまた挑戦したいです。ただ、ルポルタージュよりも、自分には(多様な資料などから)世間が見てないモノを新たな視点で検証する小説の方が合っているのかもしれません。
【プロフィール】1962年大阪府生まれ。同志社大学法学部卒業後、新聞社に入社。フリーライターを経て2004年『ハゲタカ』でデビュー。以後、現代社会の歪みに鋭く切り込むエンタテイメント小説を精力的に発表し続けている。近著に『標的』『シンドローム』『トリガー』『神域』などがある。