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競技すべてが“プロ化”すべきでない理由。いびつに膨れたスポーツビジネスに思う

宮崎選手の逮捕で思うこと

先日、ハンドボール元日本代表の宮崎大輔選手が交際女性に対して暴力を振るい、逮捕されたという報道があった。少々不可解な〝事件〟で、女性は被害届を出さず、すぐに釈放された。男女の仲については当事者しか分からない。そのため、事件の詳細については敢えて触れない。ただ背景については思うところがある。

ぼくと宮崎は15年以上の付き合いになる。彼は酒が強く、一緒に飲むときは長くなった。常に彼は礼儀正しく、楽しい酒だった。そのため、今回の第一報を知ったとき意外に感じた。その後の続報で、彼が酒でしばしば問題を起こしていたことを目にして複雑な気持ちになった。

ハンドボールはプロ化すべきではない?(image by JeppeSmedNielsen from Pixabay)

初めて会ったとき、彼は日本体育大学を中退して、プロ選手(実質は契約社員扱い)として大崎電気工業に入っていた。多くの体育大学の学生の進路は教員である。彼は、ぼくはハンドボールで生きて行く覚悟があるのですと、腕まくりをして、上腕部に入っていたタトゥーを見せた。子どもっぽいと苦笑しながらも、彼の競技に対する真っ直ぐな思いが眩しかった。その後、彼はアスリートの運動能力を競うテレビ番組で名前を知られ、日本を代表するハンドボール選手となった。

昨年、彼は大崎電気を離れ、日体大に復学している。表向きは、東京五輪・パラリンピックに向けて身体を鍛えるために厳しい練習をしたいという理由だった。しかし、実際は30代後半となった彼は行き場所を失っていた。

日本リーグの強豪チームである大崎電気と大学生とでは競技レベルが全く違う。コートの中で彼は空回りしていたはずだ。何より自分が断ったはずの大学に戻らなければならなかったことは忸怩たる思いだったろう。これからどのように生きるべきなのかというモデルを見つけられず、酒に溺れたのかもしれないとぼくは考えている。

中山、北澤と今のJリーガーとの違い

トップアスリートとは、偉大なる異能の人である。

持って生まれた運動能力に加えて、日々の鍛錬、そして幸運、人の縁がなければ、その領域に辿り着くことはできない。しかし、彼らが金銭的に報われるかどうかは別の問題だ。現役生活の間に、一部上場企業の会社員以上の生涯年俸を得られる競技、選手はごくわずかだろう。

そして超人的な努力は、しばしば社会と乖離しがちだ。 

そんな中、企業スポーツは、アスリートに社会性を身につけさせる役割を担ってきた。

Jリーグ草創期の選手たちとそれ以降の選手は明らかに質が違う(イメージ)

最も分かりやすいのはサッカーだろう。Jリーグ草創期の選手たち、例えば、中山雅史、北澤豪たちと、それ以降の選手は明らかに質が違う。選手としての能力を比べれば後者が上かもしれない。しかし、中山はヤマハ発動機、北澤は本田技研工業でのサラリーマン経験があり、どのように組織の中で立ち回るべきかを理解している。だからこそ、テレビ解説者として、あるいは北澤のようにサッカー協会の理事として自分の居場所を見つけて生き残っている。

プロ化はしない方がいい

十年以上前、日本ハンドボール協会の委員会でぼくはプロ化について意見を求められた。彼らはJリーグの成功に続きたいと考えていた。ぼくがプロ化はしない方がいいと答えると、協会の人間は不思議そうな顔をした。

ハンドボールがプロ化しても選手が手にする年俸はどれだけ高くとも数千万円。多くは一千万円そこそこだろう。それが何年続くか。とても現役中に一生分をまかなうだけの金額を稼げない。

そもそも――。

ぼくの見たハンドボール選手たちの、社業と練習以外の時間の過ごし方は、パチンコや漫画が多かった。そんな彼らが短い現役生活を終えて、社会に放り出されて何が出来るのか。ならば、引退した後も社業に戻れる実業団システムの方がハンドボール界には都合がいいのではないか。

野球人口が減る当然の流れ

野球の競技人口は減り続けている(イメージ)

スポーツと社会の関係は世相を表す。

戦後、野球が大衆スポーツとなったのは、日本社会の映し絵だったからだ。つまり、野球部に入部したばかりの人間は、球に触ることさえできず、先輩たちの練習を見守りながら、ひたすら声を出す。厳しい上下関係、長時間かつ、効率の悪い練習で〝ふるい〟に掛けて、〝精神〟を鍛える。

これは日本の会社組織が求めてきた人材と重なる。しかし、時代は変わった。高校の野球部で丸坊主に刈り込まなくてはならないような没個性の強要は、社会に合わなくなってきた。子どもの野球人口が減っているのも当然の流れだろう。

問われる企業スポーツのあり方

だからこそ今、企業はスポーツに何を求めるのか意思表示すべきだ。指導者に唯々諾々として従うのではなく、自ら考え、判断できる選手を獲ると宣言する。多少、競技能力が劣っていたとしても、社会人としてまっとうに振る舞える選手を選ぶと――。

現在、野球やサッカーなどの一部のスポーツビジネスはいびつな形で膨れあがってしまった。その歪みを多少でも調節することが、今の企業スポーツの役割ではないかと思うのだ。

(ノンフィクション作家・田崎健太)
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