【三菱150年】弥太郎の不屈の闘志がDNAに脈々と
#3 日本郵船特別顧問・宮原耕治氏
―海運は三菱グループの源流です。
「創業者岩崎弥太郎が自ら手がけた最初の事業が海運だ。創業当時、人や物資の移動は船がメーンだった。200年以上も鎖国にあった日本に外航船はなく、内航も英米勢が席巻していた。弥太郎は『日本の航海自主権を必ず取り戻す』という強い決意で競合に挑んだ。その目は世界にも向かい、1875年に日本初の外航、上海航路をオープンした」
「国を開かないと日本は発展しないと強く思い、実践したことがすごいことだ。政変のあおりで非難された時期があったが、弥太郎が残した経験と富が三菱グループの発展の基礎になった。当社には弥太郎の不屈の闘志がDNAとして脈々と受け継がれている」
「海運を始めるにしても日本に船長や船員がいなかった。1875年に三菱商船学校(現東京海洋大学)を開いた。船長を輩出するのに20年かかった。人材を育てないと事業はつながらない。海運は船員のレベル向上が重要だ。現在当社の船員は3万人で95%以上が外国人。うち7割はフィリピン人だ。現地に商船大学を設けて今も人材育成に力を入れている。これも弥太郎の思いから来ている」
―三菱グループだからこそできたことは。「新型船の建造がそうだ。例えば1983年に日本初のLNG(液化天然ガス)船を造った。直接関わっただけに思い入れがある。技術は三菱重工業、荷主のとりまとめを三菱商事が担当。私は当時このプロジェクト班の一番下っ端で運賃の計算をしていた」
―三菱グループがここまで成長できた背景をどう見ていますか。「グループ各社が団子のようになって成長したというのではない。各社がそれぞれの業界でトップになろうと努力してきたその結果ではないか。何かあったら互いに助けようという精神があって、それを支える役割を果たしてきたのが『三綱領』だと思う」
日刊工業新聞2020年10月27日