【三菱150年】 「国内企業を大同団結する方法を探るべき」
旧暦明治3年閏(うるう)10月(新暦1870年12月)に土佐藩士が設立した九十九商会(後の三菱)を岩崎弥太郎が譲り受け三菱が創業した。それから150年がたつ。海運から始まった三菱は鉱業、造船、金融、化学、電機などに業態を拡大。世界大戦や経済恐慌を乗り越え日本の近代工業化をけん引、海外にも積極展開した。日本最大規模に成長した企業集団の現在地と未来を創業家とのつながりからみる。第1部はグループ会社トップ経験者のインタビューで、三菱重工業の大宮英明相談役から。
―創業家の精神とご自身との関わりは。「航空機開発に長く携わった。会社としては発電所などインフラを提供している。これらは安全と信頼が第一だ。当社には三菱グループの理念である『三綱領』をベースにした社是がある。そこには技術を磨いてきちんとしたモノを提供し世界のために尽くすという根本の精神があり、それが私の会社人生のベースになっている」
―1905年に創業した神戸造船所の商船建造撤退を社長在任時に決断しました。「商船最後の進水式に参加した。進水式には何回も参加したことがあるがいつも晴れだった。しかしこの日は冷たい雨がずっと降っていた。先人たちの涙のようだった。応接室に戦前から納入した船の絵が壁一面に並んでおり、それを見るだけでも歴史の重みを感じる。経済合理性から冷徹に決心したつもりだったが、感情的には思い入れが拭えなかった。あの雨と複雑な気持ちは一生忘れない」
―三菱グループが国内最大の企業集団になれた理由は何ですか。「150年前の海運に始まり、船を運航するなら船を造ろうと造船に、石炭など原材料を扱うから鉱業に、進出した。トレーディングするから商社もいる。保険も銀行もと(創業家時代は)上流下流にものすごい勢いで出ていったベンチャーというのが私の印象だ。協業するには良いチェーンになっている。互いに事業が違うから競合が少ないし顧客になることもある。三綱領がバックボーンのように存在し考え方が似ている。ブランド保護の精神も共有している。それがグループ発展の基礎になっている」
―戦前戦後は国と一緒に発展してきましたが現代は国の成長が停滞しています。「経済が停滞し自由化が始まって企業は海外進出が必要になった。グループ各社が得意の事業領域でグループ外の協業相手を探して海外に進出することが頻繁に起きている。かつてはグループに求心力が働いていたが今は遠心力が働いている」
「国内はさまざまな領域で競合が多く疲弊する。海外大手との競争で不利になる。国内企業を大同団結する方法を探るべきだというのが持論だ。当社で言えば三菱日立製鉄機械であり、三菱日立パワーシステムズ(現三菱パワー)だ。前者は製鉄機械領域で日立製作所、IHIと組んで世界で存在感を増したことで独シーメンスが合流してきた。団結が海外の競合を引きつけた。こういう動きがもっと起こるべきだ。この際三菱グループは多様な事業体を持つので有利だ」