「米国が経験することを20年後、日本も必ず経験する」新政権に試されること
日米関係をフォローしていて、確信犯的に思っていることがある。それは、米国が経験することを20年後、日本も必ず経験するということだ。
出発点は、第2次大戦での米国の勝利と日本の敗北である。戦勝国・米国は、世界の経済生産の50%を占め、他のライバル不在という状況と、国内でのペントアップ需要で大いに繁栄した。その最盛期は1960年代前半で、豊かな経済力を背景に、国内では「国が自分に何をしてくれるかより、自分が国に何が出来るか」を問う、リベラル優勢の社会だった。
60年代前半の日本は、オリンピック開催を前に、東京中にインフラ建設の槌音(つちおと)が響き、また、それまでにアジア各国への戦後賠償も済ませるなど、高度成長に走り始める直前の時期だった。米国より20年遅れて、日本はようやく追走を始めた。
米国は70年代後半から80年代前半、過剰消費に見合わない国内生産のレベル、貿易赤字、石油輸出国機構(OPEC)による2度の石油価格引き上げ、物価と失業率の上昇など、大苦境に陥る。社会的には、個人所得が増えないので共稼ぎが増え、一方離婚も急増し、シングルマザーが飛躍的に増えた時期だった。そんな時、米国はレーガノミクスを実施する。
米国経済の慢性的不振は、規制と人為的な財政・金融政策故だと主張し、規制緩和と歳出削減、減税と予測可能な金融政策を標榜(ひょうぼう)するレーガンが、「統治する者が、統治される者よりも、賢いなどと誰が決めたのだ」と唱えた。とどのつまり、政府こそが諸悪の根源、と主張したのを聞いた筆者などはたまげたものだった。
だが、レーガノミクスは貫徹された。不況下、高金利・ドル高にもかかわらず、「勝者と敗者を選別するのは政府の仕事ではない」と言い張って、共和党政府は、苦境に悩む産業支援にほとんど動かなかった。結果、米国製造業は空洞化したが、その間に発達した情報通信技術(ICT)と金融・サービス企業とが結びついて、2000年代には、米国主導の金融グローバリゼーションの花が開くことになった。
対して、日本は80年代前半、成長を謳歌(おうか)していた。米国がレーガノミクスの初期影響で、不況に悩んでいた頃、日本の製造業は、せっせと近代化投資に走っていた。結果は、日米通商摩擦の激化だった。
しかし、80年代央に再生した米国も、2000年代にはいると、格差の拡大が大問題になる。政府の裨益(ひえき)を受ける貧困層と、政府の経費を負担する裕福層の利害は常に対立した。米国民の分断構造が、その裂け目を隠せないほどにまで拡大、深化した。
日本も、00年代、バブルの崩壊や経済の伸び鈍化の弊害に悩み始めたが、その際の諸対策(規制の緩和や金融ビッグバンなど)は、総じて徹底性を欠いた。ために、経済は“失われた20年”を脱し切れずに終わる。
そして今、国民の半分が賛成、半分が反対という国になり果てた米国が格差問題で足をすくわれ、日本も経済再活性化が果たせず、加えて人口減少にも悩み始める中、格差がジワリと拡大の兆しを見せている。両国ともに、政治が真価を問われている局面が今後、長く続くはずだが、米国の大統領選挙や日本の新総理の誕生は、そんな政治への有権者の期待に応える結果となるのだろうか。
(文=関西学院大学フェロー・鷲尾友春)