ニュースイッチ

初来日したビートルズの半纏を作った紺屋さん

東京、根岸の柳通り、その名のとおり緑の柳が風に揺れる通りに海老屋染工場はある。印半纏(しるしばんてん)を誂(あつら)え染める紺屋さんだ。お邪魔しますとお店の暖簾(のれん)をくぐると、四代目の林賢治郎さんが真っ黒に日焼けした笑顔で迎えてくださった。

日焼けの理由はすぐにわかった。藍ははじめに天日に干すことで、より強くなる。毎日甕(かめ)をかきまぜて藍のご機嫌をうかがい、ムラにならないよう丁寧に染めて天日に干す。お店の奥の細長い庭には何本も高い木柱が立ち、反物が柱と柱の間にぴんと張られ、気持ちよさそうに太陽の光を浴びていた。

まわりには高層のマンションも建ち並ぶが、太陽はしっかりとこの庭を照らす。青空の下で反物を仰ぎ、この細長い庭は、太陽の通り道であるような気さえした。

染料の付着をよくするために下地に大豆を使い、防染の糊(のり)を作るために餅つきもする。「うちは豆腐屋さんも和菓子屋さんもするんです」と林さん。そんな庭には動物たちが集まってくるという。動物が餅つきを手伝ったり、鳩(はと)が反物の先をくわえて柱の先に結んでくれたり―おとぎ話ができそう。

庭のみならず甕の並ぶ工房も、そこで反物を染めるために細長い。別棟の作業場もまた。海老屋染工場は、この細長い形でできている。反物を染めるところなのだ、昔からずっと染めつづけてきたのだと実感する。聞けば大岡越前守が定めたという江戸の町火消し、いろは四十八組の印半纏の型紙も、ここには揃(そろ)っているという。

ちなみにビートルズが初来日した際、半纏を着て飛行機のタラップで手を振る有名な写真、あの半纏は先代が航空会社に卸した。ファーストクラスで配られていたもので、彼らもファンサービスもさることながら、この日本の粋が気に入ったに違いない。

はじめて知ったが、半纏は洗わないものだそうだ。林さんの半纏は先代が着ていらしたもので、だから親子二代で着ること四、五十年。さぞかし柔らかくなっているだろうと、さわらせていただくと、これが張りがあって固い。かっこいいなあ、さすがだなあ。創業百二十年、昔ながらの染めを守る紺屋さんの心意気にふれた思いがした。

(画=黒澤淳一)
海老屋染工場=創業明治34年(1901年)/東京都台東区根岸4の6の3/03・3873・1587
日刊工業新聞2020年9月4日

編集部のおすすめ