過去・現在・未来をつなぐ 1964年東京五輪の風景に想いを馳せてみようか
医療現場に感謝の光
1964年の東京五輪・パラリンピックで第2会場だった駒沢オリンピック公園総合運動場(東京都世田谷)。「東洋の魔女」で有名なバレーボールなど4競技が実施され、多くの観衆が選手の活躍に胸を躍らせた。
中央広場にそびえるのが五重塔を想起させる高さ50メートル、コンクリート打放しのオリンピック記念塔。その最上階が管制室で当時、観衆輸送の交通管制が行われた。また、電波塔として選手が活躍する姿をテレビに送り届けた。
記念塔は6日までブルーにライトアップされている。新型コロナウイルスの感染リスクと向き合い最前線で働く医療関係者らに向け感謝の気持ちを送り届ける。(写真・文=木本直行)
羽田空港・沿線とともに成長
羽田空港から都心への利便性向上を目的として建設された東京モノレールは、前回の東京五輪・パラリンピック開催直前である1964年9月17日に開業した。
当時のモノレール路線としては日本最長の13.1キロメートルという営業距離で運行。当初は浜松町駅から羽田空港までのノンストップ運転であったが、沿線開発や羽田空港の拡張などに伴い駅を増設し、現在では11の駅がある。
この3月には、羽田空港が国際線ターミナルの名称を「第3ターミナル」に変更したことに合わせて、東京モノレールも三つの駅名を変更した。
時代の変化に柔軟に対応しながら、国内外の旅客を乗せて走り続けている。(写真・文=成田麻珠)
地域の期待乗せ、走り続ける
世界初の高速鉄道である東海道新幹線は東京五輪・パラリンピックの直前、1964年10月1日に開業した。
当時の「ひかり」は最高時速210キロメートル。東京―新大阪間を4時間で結んだ。12両編成だった新幹線も、70年の大阪万博を機に現在と同じ16両に。長らく0系として親しまれた初代車両は、2007年に機械遺産に認定された。
現在の車両はN700系。快適性と環境性能は格段に向上した。27年にはリニア中央新幹線が開業予定で、最高時速は約500キロメートル。品川―名古屋間を40分で結び、全線開業時には大阪まで67分。将来も新幹線には、地域経済活性化の役割が期待され続けるだろう。(おわり。写真・文=冨家邦裕)