ビジネススキルを持つAI人材は育つか、経産省が仕掛けたプロジェクト
AI(人工知能)の活用ニーズが広がる一方で、日本にとって喫緊の課題は、エンジニアやデータサイエンティストといったスペシャリストだけでなく、ビジネスにつなげて実際にプロジェクトを推進できる人材をどう育てるかにある。こうしたAI時代の人材育成プログラム開発を目指し、経済産業省が2019年秋からこの2月にかけて実施したのが「AI Quest」プロジェクト。この実証事業に携わった経済産業省商務情報政策局情報経済課の小泉誠課長補佐、シグネイトの齊藤秀社長、ボストン コンサルティング グループの折茂美保マネージング・ディレクター&パートナーの三氏が、これからの人材育成のあり方について語り合う。
人材不足の背景にある構造的な課題
小泉 「AI Quest」は、企業の実際の課題に基づくケーススタディーを中心とした「実践的な学びの場」を目指すプログラムです。AIの社会実装には人材育成が重要と考え、実証事業として2019年10月から2020年2月にかけて実施し、約200名の受講生に参加してもらいました。斉藤さんと折茂さんには教材作成など教育手法の設計から運営、効果検証など、さまざまな面で協力して頂きました。
齊藤 「技術だけでなく、ビジネスのスキルを持つAI人材は実践の場で育成する」という今回の取り組みは、僕自身にとっても興味深いものでした。国内最大規模のAI人材登録サイトを運営し、さまざまな産業領域のAI開発とコンペティションを設計、開催する企業の経営者として、AI人材を取り巻く構造的な問題を日々、実感しているからです。世界的に優れたAI技術者不足が顕在化しています。高額報酬など待遇面での獲得競争も激化しています。一方、日本ではAIプロジェクトを経営に取り込む部分がうまくいっていない印象です。当社の人材サイトには2万8000人以上のデータサイエンティストやAIエンジニアが登録しておりますが、彼ら・彼女らの才能を生かせるテーマを立案し経営戦略として推進できる人材が少ないのが実情だからです。
折茂 企業がデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進する上で不可欠なのは、技術的なスキルを持っているかだけでなく、自ら課題を発見し、周囲を巻き込みながらともに解決できる能力を持った人材です。こういった人材を育成するには、ビジネスパーソンにAIスキルを習得してもらうこともひとつの重要な方向性です。他方、齊藤さんがネットワーク化されているようなエンジニアの方々に、ビジネスの視点を学ぶ経験をしてもらうという方向性もあると考えています。エンジニアの専門スキルやプロジェクト経験を社会やビジネスにより広く実装するには、どんな学びが有効か-。今回のプロジェクトでは、こうした視点でカリキュラム開発に取り組みました。
小泉 実際のAIプロジェクトの現場では、教科書通りの「解」があるわけではなく、むしろ、さまざまな壁に直面しながら柔軟に対応する力が必要です。しかも技術進展のスピードはめざましく、世界中では革新的な論文が次々発表されている。このような状況下で、こうした暗黙知の世界を教えられる人材がかなり限られているという問題があります。しかもひとりの講師が一度に教えられる人数には限界がある。それでは現在のダイナミズムに対応できないとの危機感を持っていました。だからこそ、PBL(プロジェクト・ベースド・ラーニング)と呼ばれるような、学ぶ側が主体的に自ら探求し、互いに教え合い学んでいく手法が大切だと考えました。事業名を「Quest」(探求)と名付けたのもこうした思いがあるからです。実際、参加者が取り組んだ課題は、かなり実践的な内容でしたよね。
折茂 まずは企業が抱える課題を洗い出して構造化し、どのように売り上げ向上策やコスト削減策を導き出していくのかといったビジネスにおける考え方の基本を学んでもらった後に、オープンデータや企業から提供頂いたデータを用いて、実際にそれらの課題解決策をAIで実装してもらいました。例えば小売りの事業予測やパソコンメーカーのラインアップの最適化など、参加者の方がすぐに使えそうなものや、業種を問わずAIを活用して課題解決できそうな「フィット感」ある課題の設定に工夫しました。
「拡大生産性」のある学びとは
小泉 ひとりで黙々と取り組むのではなく、参加者同士が学び合う。先ほどお話ししたように、僕らは育成のスピードと量を求めているからこそ、「拡大生産性」のある学びのスタイルを目指しました。AI人材育成は全国で日々進んできており、質の観点は日々上がってきています。
齊藤 こうしたビジネス領域までを同時にカバーするAI教材って、僕が知る限りあまり聞きません。具体的なビジネス課題に向き合い、拡大生産性の高い方法で学ぶ。DXのような抽象度の高い概念の下、トップダウンでAIの導入を進めるだけでなく、現場で起きている具体的な事象からちょっとした改善を積み上げていくという考え方はすごく重要です。成功体験もないのにいきなり、DXに経営戦略の舵(かじ)を切ることはできない。実際、僕らがお付き合いしている企業は、ボトムアップの局所型アプローチで業務課題を繰り返し、全社規模の活動につなげています。
小泉 先進的な方法でAI人材を育成している事例は世界中に数多く存在します。「AI Quest」を立案する過程では、さまざまな手法を参考にしましたが、技術的な部分に主眼を置いたものが中心でした。我々のゴールは社会実装であり、今回の事業は日本の国際競争力につながる産業政策として人材育成のあり方を探るもあります。この国の産業にAIをどう実装していくか、それをケーススタディ化し、PBL形式の教え合いによる「拡大生産性」のある学びの手法で展開していくところに特徴があります。
熾烈な競争が教育を磨く
小泉 例えばフランスの「42」というプログラミングスクールは、無料ではあるものの入学時には1か月間の不眠不休のテストがある。方や米国ではGAFAをはじめとするネット関連企業がAI人材を高額報酬で獲得している背景から、高額の学費を払ってでもスクールに通う人たちがいる。海外ではそういう世界を目指す人たちの熾烈(しれつ)な競争によって教育が発展してきた側面があります。
齊藤 当然のことながら、自らが活躍できる「マーケット」がどれほどあるかは主体的な学びのインセンティブになります。米国はこの課題を解いたらビジネスを制するというゲームのデザインが確立していますが、日本の場合はそのゲーム自体を作っている段階です。だからこそ、「何となくAIプロジェクトをやっています」という雰囲気ではなく、具体的にAIによる成果を通じて経済効果を生み出せる人材像を世に示すことが学びの原動力になります。こうした人材が活躍することでAIの社会実装が加速する-。そんな「エコシステム」を創出することが必要だと考えます。
折茂 これからの人材像以前の問題として、日本はそもそも、企業戦略と人事戦略が紐付いておらず、明確なジョブディスクリプション(職務記述書)もないまま人事施策が進められているという実情がありますよね。いまチームにいる人材にどんな能力があるかはもとより、将来の企業戦略を考えた時に、例えばどれぐらいのデジタル人材が必要になるかも明確でない。こうした現状を打破する上でもAI人材は極めて分かりやすい人材モデルだと思っています。実践的な課題を通じて、データが生み出す価値を体感した人材がさまざまな分野で活躍する姿が広く社会に知られるようになることで「うちの会社もできるかも」と新たな一歩につながる効果が期待されます。
齊藤 そうですよね。「このプロジェクトに携わりました」と実績を記載すればおおよそのスキルが分かります。
小泉 同感です。だからこそ、経産省としては今回の事業を広く発信することで、新たなうねりにつなげたいと考えています。あと、僕は民間出身だからよく分かるのですが、日本企業における人事部と事業部の問題は根深い(笑)。
折茂 個人の能力がきちんと評価されて、活躍できる場が用意されているか。日本企業が抱える根本的な課題のひとつです。
日本流のアプローチとは
小泉 「AI Quest」は、企業の実際の課題に基づくケーススタディーを中心とした実践的な学びの場を目指すプログラムです。単にAIの知識を学ぶのではなく、参加者同士がトライアンドエラーを通じ、学び合いながら実際のプロジェクトに関わることでしか得られない知恵を習得します。こうした経験をした人材は、結果うんぬんではなく、その過程で何かを身に付けているはずなんですよね。 ところで、日本流のアプローチという意味では、製造業やインフラ保安、サービス業などにおけるAIの活用への期待が高いのは日本の特徴のひとつだと思うのですが。まさにコネクテッド・インダストリーの観点です。
齊藤 そう思います。こうした企業こそ、データが生み出す価値を体感した人材が事業戦略の立案側で活躍することが期待されますが、さきほどの折茂さんのジョブディスクリプションの観点からも、テーマを設計したりプロジェクトを回していく人の能力は純粋な技術者の能力に比べ曖昧で、評価されにくい。デジタルトランスフォーメーションを推進すると言っても、技術者を大量に採用すればいいという問題ではないんです。そういう意味において、今や「AI人材の育成」と「課題解決」の境界線は限りなく曖昧になりつつある。目の前にある課題にチャレンジすることそのものが、AI時代の人材育成なのです。
小泉 2019年度は実証事業としての取り組みでしたが、今回得られた成果や課題をもとに、来年度はさらに発展ささせる方針です。社会の皆さんには、引き続き注目して頂きたいと思います。