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年内で解散「盛和塾」、京セラ・稲盛氏が世界に伝えたこと

最後の世界大会「終わりではなく、皆さんにとっての始まり」
 京セラの創業者で名誉会長の稲盛和夫氏(87)が塾長を務める経営者の勉強会「盛和塾」の最後の世界大会が18日までの2日間、横浜市で開催された。同塾は2019年末をもって解散することが決まっている。稲盛氏は高齢のため欠席だったが、活動を振り返ったメッセージを寄せた。稲盛氏の経営哲学に共鳴する国内外の塾生が一堂に会するのも今回が最後。約4800人が集結し、熱心に学びあった。

 「盛和塾で灯(とも)された火は決して消えることなく、今後も皆さんの手により受け継がれる」―。

 27回目となる世界大会最終日の18日、稲盛氏は塾長講話に代わるメッセージを寄せた。塾生らは約1時間にわたり代読された内容に聞き入った。盛和塾の解散にあたり稲盛氏は「終わりではなく、皆さんにとっての始まり」とし、「(塾生)自身が自問自答して盛和塾での学びを深め、実践する必要がある」とエールを送った。

「フィロソフィ」実践願う


 稲盛氏は今回、経営する上での根幹となる哲学「フィロソフィ」を中心に言及した。盛和塾はフィロソフィの実践を重視する。稲盛氏はフィロソフィを「会社の発展に貢献するだけでなく、個々人の人生も素晴らしいものにする真理だ」と強調。「(経営者である)塾生と従業員がともに繰り返し学び、自らの血肉と化し、経営の現場で実践してほしい」と訴えた。

 稲盛氏は今までの活動を総括し、塾生に感謝。メッセージの最後は「皆さんの今後の経営に、私のフィロソフィが生き続けることを願う」と結んだ。

 盛和塾の19年末の解散が発表されたのは18年12月。高齢の稲盛氏が体力面で精力的に活動できなくなり決断した。また稲盛氏は従来より「盛和塾は一代限り」と表明していた。

 盛和塾の始まりは83年。京都の若手経営者が稲盛氏から経営哲学を学ぶ自主勉強会にさかのぼる。現在は国内外に組織が広がり、104塾(国内56、海外48)、塾生は約1万5000人に上る。

 塾生同士の結束力も強い。稲盛氏が経営破綻に陥った日本航空(JAL)を再建するため、10年に同社会長に就任した際は、塾生有志が「JAL応援団」を結成。JAL再生に向けた協力活動を展開した。

 大会に参加した平和堂会長で塾生の夏原平和氏は「フィロソフィが一番大事。実行して自然と行動できなければならない」と話す。

 解散後、各地の支部は「盛和塾」の名称を使った活動はできない。多くは名前を変え、それぞれで活動を続ける模様だ。中国では現地の事情を鑑みて、当面は名称が残る。
               

「学んだこと、次世代にも」


 盛和塾の解散を塾生はどのように受け止めているのか。調剤薬局を経営するグッドプランニング(神戸市北区)代表取締役の吉田盛範氏は「続けてほしいが、塾長が熟慮したことだ」とし、今後は「塾長を超える人を輩出せよ、ということだと受け止めた」と話す。

 吉田氏は国内最大約1000人の塾生が在籍する盛和塾大阪の代表世話人の一人でもある。同じく代表世話人を務め、タオルなどの卸輸出輸入を手がける日繊商工(大阪市中央区)社長の俣野太一氏も「(学んだことを)もっと実践しなければならない」と気を引き締める。

 2人がそう語ったのは、世界大会を目前に控えた15日。大会に参加するため来日した中国の塾生と交流するなど、盛和塾大阪の活動拠点は大いに賑わった。吉田氏はかつて世界大会で自身の経営体験を発表したこともある。「世界大会は凜(りん)と張り詰めた空気の中、一体となって勉強する場だ」(吉田氏)という。

 盛和塾は解散してしまうが、各地での勉強会は継続できる。盛和塾大阪は20年以降、「実践経営者道場『大和(だいわ)』」として活動する予定だ。「20―30年後の経営者も育てなければならない」と俣野氏は先を見つめる。

中国からも大きな支持


 稲盛氏が盛和塾で説く経営哲学や人生哲学は中国の経営者にも大きく支持されている。海外48塾のうち中国は37塾を占める。今回の世界大会には中国から約500人が参加した。そのうち約50人が大会前の15日の朝、盛和塾大阪を訪れて勉強会を開催した。

 会の冒頭で吉田氏は「国境に関係なく、塾生同士で経営者の志を高めよう」と呼びかけた。盛和塾では塾生が会社経営をする上での重要な体験を発表し、皆で議論し合うのが特徴だ。俣野氏は「話し手も聞き手も、共に学ぶ場。自身がその立場ならどう判断するか考えて聞くことが大事」とあいさつ。その後「経営体験発表」が始まった。

 “大阪”は「盛和塾」の名称とも深い関わりがある。そもそも盛和塾は83年、京都の若手経営者が稲盛氏のもとに集まった勉強会「盛友塾」が最初。89年には大阪にも塾を設立することになり、その際「盛和塾」と改称された。京都に次いで2番目に古い盛和塾大阪は、全国に盛和塾が展開される原動力にもなった。

 俣野氏は勉強会の前に中国の塾生へ盛和塾が歩んできた道のりを紹介した。「塾長からの学びがあり、世のため人のために尽くしたいという思いがあって、盛和塾に人が集まるようになった」と力を込めた。
世界大会を前に盛和塾大阪で中国からの塾生を迎えた勉強会

(大阪・日下宗大)

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