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イーロン・マスクがテスラのEV開発で描く壮大なストーリー

<情報工場 「読学」のススメ#68>『INSANE MODE インセイン・モード』(ヘイミッシュ・マッケンジー 著/松本 剛史 訳)
イーロン・マスクがテスラのEV開発で描く壮大なストーリー

テスラ公式フェイスブックページより

**テスラは自動車メーカーではなく「エネルギー企業」
 元号が令和になり2カ月が経とうとしている時に平成時代の話で恐縮だが、昨年10月から今年3月まで放送されたNHK朝ドラ『まんぷく』は、日清食品創業者・安藤百福夫妻をモデルとした物語だった。

 ドラマの中では安藤百福氏が発明した世界初のインスタントラーメンである「チキンラーメン」が、「まんぷくラーメン」と名を変えて登場。その発売後に、それを模倣した粗悪品が出回ったことから、特許を開放し「即席ラーメン協会」を設立する経緯が描かれた。

 これは実話をなぞったエピソードらしく、特許庁のHPによれば、実際に安藤百福氏はチキンラーメンの特許技術を開放し、1964年に日本ラーメン工業協会(現・日本即席食品工業協会)を設立している。ライセンス制にして品質を維持しながら、インスタントラーメンという食品そのものを普及させることにしたわけだ。目論見どおり、その後インスタント麺は一気に普及し、海外でも売れるようになった。

 安藤は特許開放にあたり「野中の一本杉としてではなく、森として、産業として発展させたい」と語っていたそうだが、2014年に同様の考えのもと、虎の子の特許技術を開放した米国のベンチャー企業がある。電気自動車(EV)開発のトップランナーともいえる「テスラ」である。

 『INSANE MODE インセイン・モード』(ハーパーコリンズ・ジャパン)は、テスラと、同社共同設立者兼CEOイーロン・マスク氏の軌跡を中心に、「EV革命」の動向を追ったノンフィクションである。著者のヘイミッシュ・マッケンジー氏は、テスラに在籍した経験もあるジャーナリストだ。

 同書によると、イーロン・マスクCEOはテスラを、自動車メーカーではなく「エネルギー企業」と考えている。実際、テスラはロードスター、モデルS、モデル3と画期的な高性能EVを次々と発表する一方で、EV用の充電池を単独のエネルギー貯蔵装置として販売し、2016年には商品のラインナップに太陽光パネルを加えている。

 では、なぜエネルギー企業なのか。「スペースX」を創業し宇宙事業も手がけるイーロン・マスク氏が「人類を火星に移住させる」という壮大な構想を持っているのをご存じかもしれない。

 彼によると、それを実現するには、まだしばらく時間がかかる。しかし、それまで地球がもたないかもしれない。世界中でガソリン車が排気ガスをまき散らしているせいで、環境破壊が止まらず、地球が激しい気候変動にさらされているからだ。

 だからこそ、テスラのような企業が必要なのだ。ガソリン車の代わりに電気自動車が世界中の路上を走り回り、それに使う電気をまかなうために太陽光発電を推進するような会社が。

 マスク氏が描くこうしたストーリーの中に位置付けられているからこそ、テスラはEVの特許技術の開放に踏み切ったのである。

 善意である限り、誰かがテスラの特許技術を用いてEVやその周辺機器を開発しても、テスラが訴訟を起こすことはない。むしろ、世界中のベンチャーがこぞってEV開発に挑み、その性能が向上しつつ市場に出回れば、マスク氏による構想の実現が近づく。マスク氏にとっては願ったり叶ったりなわけだ。

 テスラが一企業の利益を追求するよりも、人類共通の課題を解決する目的の方が大きいということなのだろう。

中国市場へのEV普及は、テスラに触発された地元ベンチャーが鍵


 『INSANE MODE インセイン・モード』では、中国で近年爆発的に増加しているEVベンチャーについて、結構なページ数を割いている。こうしたベンチャーは、いずれもテスラのEV開発に触発されて設立されたという。

 例えば、シンギュラート・モーターズというスタートアップは、2014年に中国で発売されたテスラのモデルSに、創業者の沈海寅氏が衝撃を受けたことがきっかけで設立された。沈氏は、シャオミ(小米科技)がアップルに対抗できる中国製のスマートフォンを生み出したようなことができると確信し、未来志向の電気SUV、シンギュラートiS6を発表している。

 同書によれば、こうした中国の動きは、テスラにとって歓迎すべきもののようだ。多数の地元ベンチャーによって中国の巨大市場にEVが行き渡る方が、自社のEVが売れることよりも優先されるべきことだからだ。逆に中国でEVの普及が行き詰まれば、マスク氏の理想の実現に影がさしてしまう。

 イーロン・マスク氏は、明らかに「バックキャスティング」の思考をしているようだ。あるべき理想の未来像を描き、そこから逆算して、何をすべきかを考えている。バックキャスティングならば、「今できること」の延長線上に未来を描く「フォーキャスティング」よりも、問題解決型の、大きなスケールの構想が描ける。

 一方、中国のEVベンチャーは、フォーキャスティングの思考でEV開発に取り組んでいるのかもしれない。テスラが築き上げた技術とチャンスという「今できること」が目の前にあり、それをもとに未来を描こうとしているように思える。

 そうしたベンチャーたちの動きは、マスク氏の壮大なストーリーの一部なのだろう。マスク氏とテスラは、フォーキャスティングの動きを内包しながら、EV業界全体として理想の実現に向かっている。

 ところでマスク氏は、最近になって「2020年末までに完全な自動運転を実現する」と発言している。

 自動運転車は、EVとの親和性が高いことが指摘されている。マスク氏の真意は想像するしかないが、彼にとっての自動運転技術の開発は、EV普及を補強するものでしかないのかもしれない。

 日本では高齢ドライバーの問題もあり、自動運転車の普及が急務だという見方もある。だが、自動運転とEV、どちらかを優先するというのではなく、一体となって普及するのがもっとも望ましいのではないか。

 人類全体のより良い未来に、どれだけ近づけるのか。それを見きわめるためにも、テスラとイーロン・マスク氏の動向からは目が離せない。

(文=情報工場「SERENDIP」編集部)

                

『INSANE MODE インセイン・モード』
-イーロン・マスクが起こした100年に一度のゲームチェンジ
ヘイミッシュ・マッケンジー 著
松本 剛史 訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
384p 2,000円(税別)
<情報工場 「読学」のススメ#68>
高橋北斗
高橋北斗 Hokuto Takahashi 情報工場
自社が所有する貴重な特許技術や情報を開放するのは、単純に考えると自社製品の強みをなくし、自分たちが独占できる利益を、みすみす捨て去るだけのようにみえる。しかし、現実には、どれほど良い技術とアイデアでも、世間に認知されないまま消えてしまうケースが少なくない。ならば特許を開放し、他社が参入できる土台を作る方がいい。そうすれば市場は拡大していき、自社はプラットフォーマ―としての価値を得ることになる。それは、単発の「アイデア」と、産業構造を変革する「イノベーション」の違いとも言えるかもしれない。

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