日立が3年間で2.5兆円の成長投資、その中身に要注意
1兆円はABBの事業買収費用、あとはIoTへ重点配分
日立製作所は2019―21年度の成長投資(設備投資除く)として、累計で前3カ年比5倍の最大2兆5000億円を充てる。IoT(モノのインターネット)共通基盤「ルマーダ」などIT分野のほか、M&A(合併・買収)を含めてロボットなど産業システム構築分野へ重点投資する。今後3年は従来の業績回復モードから、力強い成長モードへかじを切る。
東原敏昭社長は10日の新中期経営計画説明会で「稼ぐ力がついてきた。V字回復モードに終止符を打って、新たなステージに立ちたい」と力を込めた。19―21年度の新中計では成長投資として累計2兆―2兆5000億円を予定。20年半ばに予定するスイス・ABBの送配電事業買収費用の約1兆円を含む。
「社会イノベーション事業でグローバルリーダーになる」(東原社長)とし、21年度に売上高を倍増させるルマーダと周辺機能拡充に力を入れる。また、ドイツにコーポレート・ベンチャー・キャピタル(CVC)新会社を6月に設立して、1億5000万ドル(約165億円)以上をベンチャー投資に振り向ける。
新中計では個別の業績目標数字を示さなかった。21年度は売上高に当たる売上収益の成長率で年3%超を目指す。営業利益率を18年度の8・0%から10%超に高める。
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●これから重電メーカーはどうなるの?
平成の30年は、電機王国が落日した30年だった。家電や半導体で世界をけん引した日本の電機産業が追われる立場から追う立場に変わった30年でもあった。「令和時代」は、身の丈に合わせた道を探るのか、それとも覇権とりに再び動くのか。平成が電機産業に残した問いは重い。
2012年2月27日、日本の半導体が「終戦」を迎えた。パソコンのメモリーに用いるDRAMメーカーのエルピーダメモリが破綻した日だ。坂本幸雄社長(当時)は会見で「急激な円高で競争力を完璧に失っている。1ドル70円台では企業努力ではカバーできない」と肩を落とした。
だが、為替の影響が無くても汎用メモリーでの競争力は保てなかっただろう。当時、DRAMは韓国のサムスン電子以外、各社が赤字だった。競争力の低下の根本にあったのは、技術の優位性がなくなりつつあったことやビジネスモデルの限界に直面したことだ。
日本勢は1990年代初頭に半導体の売上高の上位を独占したが、2019年、もはやその影もない。日本メーカーの存在感の低下は、装置メーカーの売上高に如実に表れている。
国内最大手の東京エレクトロンは94年に海外売上高比率は3割に過ぎなかったが、今では8割を超える。
日本の半導体メーカーはDRAMで韓国勢に押され、2000年代以降に、複数の機能を一つのチップ上に集約する「システムLSI」を成長のけん引役に位置づけた。技術力で顧客ごとの仕様にあわせる高付加価値路線に活路を見いだした。だが、各社のシステムLSIのほとんどは結局、採算がとれず、現在のルネサスエレクトロニクスに統合された。
日本の半導体メーカーは総合電機の一部門であったため、市場で求められているものをくみ取る製品を提案する力がなかったことが凋落の主因だ。
呉文精ルネサスエレクトロニクス社長はいまだにマーケティングの重要性を説く。「ご用聞き」の体質から抜け出し「何をつくるか」という古くて新しい課題が重くのしかかる。
2000年代初頭に日本の製造業が円高で苦しむ中、「3S」ともてはやされたのがソニー、シャープ、三洋電機だ。そのうち、2社が今は他社の傘下に入っている。
シャープは00年代前半から半ばにかけて「亀山ブランド」の液晶パネルで世界を先導した。しかし09年に堺市に完成させた巨大工場があだとなり、台湾の鴻海精密工業の軍門に降った。
三洋は、高度成長期の家電販売増を追い風に順調に成長。バブル崩壊後も電池事業が評価され、01年3月期には過去最高の営業利益を計上した。だが、04年の新潟県中越地震で半導体事業が打撃を受け、業績が悪化。デジタル化対応の遅れなどもあり、11年にパナソニックの子会社となった。
電機業界では平成中期に「選択と集中」がもてはやされた。シャープ、三洋はその象徴だった。平成末期に不適切会計で経営が揺らいだ東芝も「半導体メモリーと原子力」に経営資源を集中し、そのビジネスモデルの評価が高かった。
電機各社にとって転換点となったのは08年のリーマン・ショックだ。財務の立て直しが遅々として進まなかった企業も、急激な景気悪化を前に、事業の取捨選択に取り組まざるを得なかった。
7873億円。日立製作所は09年3月期に製造業として史上最大の当期赤字を計上した。子会社から社長に呼び戻された川村隆氏(現東京電力ホールディングス会長)は、それまで「君臨すれど統治せず」とも言われた日立本体に企業統治(ガバナンス)の思想を持ち込んだ。日立マクセル、日立プラントテクノロジーなど上場5社を取り込み、社内カンパニー制を導入。当時、聖域ともされた事業ポートフォリオの見直しにも着手した。結果、19年3月期は営業利益で過去最高を更新した。
パナソニックも12年3月期、13年3月期と2期連続で7000億円以上の赤字を出したが、家電から住宅や自動車など産業向けに軸足を移して業績を回復させた。
象徴的なのはソニーだろう。リーマン・ショック直後の09年3月期から12年3月期まで4期連続で最終赤字。12年に就任した平井一夫社長(現会長)は、人員削減や資産売却、テレビ事業の分社化やパソコンブランド「VAIO」売却を立て続けに敢行。
本業のエレクトロニクス部門も16年3月期に黒字転換した。家電からゲームや半導体に軸を移し、18年3月期は過去最高益を叩き出した。
とはいえ、世界との距離は縮まっていない。営業利益率でソニーは9%近くまで上昇しているが、米アップルは15―17年度の平均で28・4%と3倍以上の数値で推移している。ソニーは業績は好調ながらも世界シェアが1%未満にとどまるスマートフォン事業など課題もある。
日立も悲願の営業利益率10%を視野に入れる。今後「稼ぐ力」でカギになるのはIoT(モノのインターネット)分野だが、独シーメンスが先を行く。
現場の機器のデータを吸い上げ、分析し、生産効率化につなげられる市場は大きく広がる。だが、米ゼネラル・エレクトリック(GE)が失敗したように、産業機器は種類が多く、構成が複雑なためデファクトスタンダードを握るのは難しい分野だ。
米グーグルが電力事業に触手を伸ばすなど、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)もサイバー空間だけでなく産業用途の世界にも事業を広げつつある。戦いたい市場でなく、勝てるところで戦うしたたかさ。それこそが日本の「電機復権」のカギを握るかもしれない。
(文=栗下直也)
東原敏昭社長は10日の新中期経営計画説明会で「稼ぐ力がついてきた。V字回復モードに終止符を打って、新たなステージに立ちたい」と力を込めた。19―21年度の新中計では成長投資として累計2兆―2兆5000億円を予定。20年半ばに予定するスイス・ABBの送配電事業買収費用の約1兆円を含む。
「社会イノベーション事業でグローバルリーダーになる」(東原社長)とし、21年度に売上高を倍増させるルマーダと周辺機能拡充に力を入れる。また、ドイツにコーポレート・ベンチャー・キャピタル(CVC)新会社を6月に設立して、1億5000万ドル(約165億円)以上をベンチャー投資に振り向ける。
新中計では個別の業績目標数字を示さなかった。21年度は売上高に当たる売上収益の成長率で年3%超を目指す。営業利益率を18年度の8・0%から10%超に高める。
日刊工業新聞2019年5月13日
<関連記事>
●日立が商機と読むIoT分野とは?
●これから重電メーカーはどうなるの?
「電機復権」のカギ
平成の30年は、電機王国が落日した30年だった。家電や半導体で世界をけん引した日本の電機産業が追われる立場から追う立場に変わった30年でもあった。「令和時代」は、身の丈に合わせた道を探るのか、それとも覇権とりに再び動くのか。平成が電機産業に残した問いは重い。
日本の半導体“終戦”
2012年2月27日、日本の半導体が「終戦」を迎えた。パソコンのメモリーに用いるDRAMメーカーのエルピーダメモリが破綻した日だ。坂本幸雄社長(当時)は会見で「急激な円高で競争力を完璧に失っている。1ドル70円台では企業努力ではカバーできない」と肩を落とした。
だが、為替の影響が無くても汎用メモリーでの競争力は保てなかっただろう。当時、DRAMは韓国のサムスン電子以外、各社が赤字だった。競争力の低下の根本にあったのは、技術の優位性がなくなりつつあったことやビジネスモデルの限界に直面したことだ。
日本勢は1990年代初頭に半導体の売上高の上位を独占したが、2019年、もはやその影もない。日本メーカーの存在感の低下は、装置メーカーの売上高に如実に表れている。
国内最大手の東京エレクトロンは94年に海外売上高比率は3割に過ぎなかったが、今では8割を超える。
日本の半導体メーカーはDRAMで韓国勢に押され、2000年代以降に、複数の機能を一つのチップ上に集約する「システムLSI」を成長のけん引役に位置づけた。技術力で顧客ごとの仕様にあわせる高付加価値路線に活路を見いだした。だが、各社のシステムLSIのほとんどは結局、採算がとれず、現在のルネサスエレクトロニクスに統合された。
日本の半導体メーカーは総合電機の一部門であったため、市場で求められているものをくみ取る製品を提案する力がなかったことが凋落の主因だ。
呉文精ルネサスエレクトロニクス社長はいまだにマーケティングの重要性を説く。「ご用聞き」の体質から抜け出し「何をつくるか」という古くて新しい課題が重くのしかかる。
「3S」 2社は他社傘下に
2000年代初頭に日本の製造業が円高で苦しむ中、「3S」ともてはやされたのがソニー、シャープ、三洋電機だ。そのうち、2社が今は他社の傘下に入っている。
シャープは00年代前半から半ばにかけて「亀山ブランド」の液晶パネルで世界を先導した。しかし09年に堺市に完成させた巨大工場があだとなり、台湾の鴻海精密工業の軍門に降った。
三洋は、高度成長期の家電販売増を追い風に順調に成長。バブル崩壊後も電池事業が評価され、01年3月期には過去最高の営業利益を計上した。だが、04年の新潟県中越地震で半導体事業が打撃を受け、業績が悪化。デジタル化対応の遅れなどもあり、11年にパナソニックの子会社となった。
電機業界では平成中期に「選択と集中」がもてはやされた。シャープ、三洋はその象徴だった。平成末期に不適切会計で経営が揺らいだ東芝も「半導体メモリーと原子力」に経営資源を集中し、そのビジネスモデルの評価が高かった。
財務立て直し 事業の取捨選択が進展
電機各社にとって転換点となったのは08年のリーマン・ショックだ。財務の立て直しが遅々として進まなかった企業も、急激な景気悪化を前に、事業の取捨選択に取り組まざるを得なかった。
7873億円。日立製作所は09年3月期に製造業として史上最大の当期赤字を計上した。子会社から社長に呼び戻された川村隆氏(現東京電力ホールディングス会長)は、それまで「君臨すれど統治せず」とも言われた日立本体に企業統治(ガバナンス)の思想を持ち込んだ。日立マクセル、日立プラントテクノロジーなど上場5社を取り込み、社内カンパニー制を導入。当時、聖域ともされた事業ポートフォリオの見直しにも着手した。結果、19年3月期は営業利益で過去最高を更新した。
パナソニックも12年3月期、13年3月期と2期連続で7000億円以上の赤字を出したが、家電から住宅や自動車など産業向けに軸足を移して業績を回復させた。
象徴的なのはソニーだろう。リーマン・ショック直後の09年3月期から12年3月期まで4期連続で最終赤字。12年に就任した平井一夫社長(現会長)は、人員削減や資産売却、テレビ事業の分社化やパソコンブランド「VAIO」売却を立て続けに敢行。
本業のエレクトロニクス部門も16年3月期に黒字転換した。家電からゲームや半導体に軸を移し、18年3月期は過去最高益を叩き出した。
稼ぐ力 世界との距離縮まらず
とはいえ、世界との距離は縮まっていない。営業利益率でソニーは9%近くまで上昇しているが、米アップルは15―17年度の平均で28・4%と3倍以上の数値で推移している。ソニーは業績は好調ながらも世界シェアが1%未満にとどまるスマートフォン事業など課題もある。
日立も悲願の営業利益率10%を視野に入れる。今後「稼ぐ力」でカギになるのはIoT(モノのインターネット)分野だが、独シーメンスが先を行く。
現場の機器のデータを吸い上げ、分析し、生産効率化につなげられる市場は大きく広がる。だが、米ゼネラル・エレクトリック(GE)が失敗したように、産業機器は種類が多く、構成が複雑なためデファクトスタンダードを握るのは難しい分野だ。
米グーグルが電力事業に触手を伸ばすなど、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)もサイバー空間だけでなく産業用途の世界にも事業を広げつつある。戦いたい市場でなく、勝てるところで戦うしたたかさ。それこそが日本の「電機復権」のカギを握るかもしれない。
(文=栗下直也)
日刊工業新聞2019年4月30日