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平成を彩った名車たち、開発競争を振り返る

プリウス、リーフ、インサイト、レガシィ…
平成を彩った名車たち、開発競争を振り返る

トヨタ自動車のHV初代「プリウス」は量販電動車の先駆けとなった

 自動車業界が100年に一度と言われる変革期を迎える中、平成が過ぎ去り令和が始まった。平成の30年で多様なクルマが登場した。燃費性能に優れたパワートレーン(駆動系)や、「自動ブレーキ」をはじめとする技術がクルマの進化を支えた。令和も一層の進化が期待できそうだ。

「背高」を開拓


 トヨタ自動車が世界初の量産型ハイブリッド車(HV)「プリウス」を発売したのが1997年(平9)。ラテン語で「先駆け」を意味するプリウスは、その名の通り量販電動車の先駆けとなった。

 99年(平11)にホンダがHV「インサイト」を投入して追撃、「平成燃費競争時代」が幕を開けた。その後、主戦場はトヨタの「アクア」、ホンダの「フィット」といった小型のHVに移り、軽自動車を巻き込んで、小数点以下の燃費値で競り合う激しい開発競争が繰り広げられた。

 軽市場の転換点となったのはスズキの「ワゴンR」で、93年(平5)に投入された。限られた規格の中で室内空間を広げ、背高ワゴンという新しいジャンルを切り拓いた。ダイハツ工業の競合車「ムーヴ」が95年(平7)に発売され、軽市場が活性化。ホンダも「N―BOX」を11年(平23)に発売、軽の販売競争は激しさを増し、販売ランキングで軽自動車が上位を占めることが常態化した。

ホンダのHV「インサイト」

スズキの軽「ワゴンR」は背高ワゴンという新しいジャンルを切り拓いた

 一方、93年(平5)に米国で無公害車の販売を義務付ける規制が制定され、各社は電気自動車(EV)の開発にも注力した。96年(平8)にトヨタのスポーツ多目的車(SUV)「RAV4」のEVが投入されるなど、開発競争が盛んになったが航続距離がネックとなり、量産には至らなかった。

 業界初の量産型EVは、三菱自動車が09年(平21)に発売した「アイ・ミーブ」。

 10年(平22)には日産自動車が「リーフ」を発売した。日産は19年(平31)、リーフの世界販売累計台数が40万台に達したと発表した。電池の改良で航続距離を延ばしており、EVは着実に普及に向かっている。

三菱自動車の「アイ・ミーブ」は業界初の量産型EVとなった

日産自動車の「リーフ」は世界販売累計40万台を達成した

水素に脚光


 石油に変わる“水素社会”を見据え、トヨタが14年(平26)に発売したのが燃料電池車(FCV)「MIRAI(ミライ)」だ。量産型のFCVは世界初。16年(平28)にはホンダもFCV「クラリティ フューエルセル」を発売した。20年の東京五輪・パラリンピックに向けて、水素インフラの整備も進む。環境規制が強まる中、平成の時代に礎を築いたFCVも、令和時代を担う代表的なクルマになる可能性がある。

10万円で搭載


 世界各国で標準搭載が義務化が進んでいる「自動ブレーキ」。日本で先鞭を付けたのが、富士重工業(現SUBARU〈スバル〉)が、08年(平20)に発売した運転支援システム「アイサイト」だった。

 ステレオカメラで先行車両を監視し、自動ブレーキで衝突回避や被害軽減につなげるこのシステムは、バージョンアップして10年(平22)に主力車種「レガシィ」に搭載した。普及価格帯の10万円で装備できる安全技術として話題となった。

 普及型の安全装備では、トヨタも15年(平27)に衝突回避支援などの機能で構成する予防安全パッケージ「トヨタ・セーフティー・センス」を投入した。高級車ブランド「レクサス」に搭載した仕様を含め、18年(平30)10月末で累計出荷台数が1000万台に達した。

スバルの「レガシィ」は普及価格帯で安全装備を提供した

実用化間近に


 日産は16年(平28)、ミニバン「セレナ」に自動運転技術「プロパイロット」を搭載。高価なセンサーではなく単眼カメラを採用するなどしてコストを抑えて、普及価格帯としては初めて単一レーンでの自動運転技術を実現し注目された。その後、プロパイロットはEV「リーフ」や軽「デイズ」にも搭載し、さらなる普及を図っている。

 18年(平30)にトヨタは自動運転機能付きEV「eパレット」を披露した。乗り物のサービス化「MaaS」を実現するプラットフォーム(基盤)として20年代半ばの実用化を見込む。令和は新たなモビリティー時代として時を刻むだろう。

50万台を突破


 トヨタ自動車は89年(平元)9月、米国で高級車ブランド「レクサス」の販売をスタートした。最初にそろえたのは旗艦セダン「LS」とセダン「ES」の2車種。この年は日産も「インフィニティ」を米国で立ち上げ、大衆車を中心としたブランド戦略を、高級車にも広げた。ホンダはすでに高級車ブランド「アキュラ」を展開していた。

 国内メーカーは、独ダイムラーの「メルセデス・ベンツ」、BMW、アウディなどをベンチマークにし成長を模索してきた。中でもレクサスは、05年(平17)に国内にも導入、18年(平30)に国内累計販売が大台の50万台を突破して、国内外でブランドが定着した。

トヨタ自動車の「レクサス」は大衆車路線からの転換点となった
日刊工業新聞2019年5月1日

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