METI
メッキ加工は世界で通用する!福井の実力企業がドイツでつかんだ手応え
清川メッキ工業、地道な開発姿勢が成長の原動力
清川メッキ工業は開発力が売り物のメッキ加工会社。特に同社の電子部品メッキは、スマートフォンをはじめ車載のパワー半導体にも幅広く使われている。日本海側の福井県を拠点としながら顧客は北海道から九州まで全国に幅広く、先端のものづくりを支えている。
メッキは金属や樹脂の表面に膜を付けることで、機能を発揮する。日頃目につかない工業用途から、宝飾など身近な品まで用途は実にさまざま。業界団体の全国鍍金工業組合連合会(全鍍連)に加盟する企業が全国約1300社。その中で、清川メッキ工業は光彩を放つ。
「誰も手がけていない開発案件が、当社が挑戦する対象。営業マンは置かず、展示会やホームページでニーズを持つ顧客と出会う。顧客は大手メーカーが多く、ともに開発にあたる。仕事になる確率は俗に言う千に三つ。三つを求めて千を試している」と清川肇社長は話す。微細なメッキ部品は顧客と宅配便でのやりとりが十分可能。全国に広く取引先を抱えるゆえんだ。
清川肇社長は2代目。父親で創業者の清川忠会長から2010年にバトンを受け、実弟の卓二氏(専務)、忠幸氏(常務)と「3本の矢」で経営する。社員は毎年10人前後を採用し、従業員数は300人規模に達する。2008年にはメッキ業界で初めて、試験所認定の国際規格「ISO/IEC17025」も取得。開発、品質トラブル時の解析に欠かせない装備であり、外部からの評価試験依頼にも応えている。
4月1日から5日にドイツで開催された産業技術の国際見本市「ハノーバーメッセ」には、全鍍連の有志企業と合同で初参加し、清川メッキ工業が得意とする撥水メッキで深い黒色を出す新技術を披露した。
「海外進出の第一歩。すぐにビジネスに結びつくと考えてはいない」と控えめに語る清川社長だが、現地の雰囲気を肌で感じたことで、新たな可能性も実感している様子だ。「これまでも海外企業の情報は積極的に収集してきたつもりだが、知らなかった企業は数多く、まだまだ売り先はあると感じた」(同)からだ。
開発力をセールスポイントとしつつも、実績の多くは顧客との守秘契約のもとにあることから、高い技術力を対外的に発信できる機会は限られることが、悩みのタネのひとつでもある。
こうしたなか数少ない例外は、発明協会から2014年度全国発明表彰発明賞に選定された「導電性微粒子の製造方法」である。被膜の欠陥が多かった従来法に代え、触媒の働きをするパラジウムをメッキ液に直接投入する手法を考案。欠陥を大幅削減し、工程が3分の1短縮、生産所要時間も76%短縮した。
発明協会の表彰は、通常は大手企業の案件ばかり。「晴れ舞台で成果が披露される機会はやはりうれしかった」と清川社長は照れくさそうに話す。
実は、ここに至るにはおよそ10年にわたる開発の軌跡がある。清川社長は福井大学工学部の大学院修了後に、大手電機メーカー勤務を経て、1991年に入社した。郷里に戻って大学の恩師と再会した際に二次電池の開発に関する協力を要請される。それは当時主流のニッケルカドミウムに代えてニッケル水素を実用化するため、粉体をメッキで機能アップするとの開発テーマだった。
市場の要求水準を追求し、10年かかって粒径5マイクロメートルのメッキ工法を完成させるも時代はリチウムが主流となり、ニッケル水素はコスト重視の仕事になっていた。
そこで別の用途を模索し展示会に出品。某大手メーカーから特許侵害だと警告されるといった災難に見舞われながらも、別の方式で特許技術を確立したところ、結果としてダイヤモンド粉の技術を持つ顧客ニーズとマッチ。当初の開発テーマを貫いたことが、導電性微粒子のメッキとして「結実」したのである。
これまでの開発案件の中には、14年もの長きにわたり顧客の開発を支えた後に量産の受注に結びついたテーマもあるという。「開発は決して途中であきらめない。顧客があきらめることはあるが、当社があきらめることはない」(清川社長)。
その「しぶとさ」は創業時からのようだ。1963年の創業当初、2輪車のアルミニウム合金部品にメッキする未知の案件と出会い、それを実現したことが現在の開発姿勢の根底にあるからだ。
人材育成にも独自の経営姿勢が反映されている。「Iビジョン活動」と名付けるQC(品質管理)活動は、5~10人単位のチームを作り、毎年20程度のチーム数で成果を競う。予選会を経て、毎年2月ごろに最終発表会。チームリーダーを経験すると、若手の意識が変わるという。
さらに近年、「社長塾」と呼ぶ活動も継続中だ。学生が企業でフィールド学習する課外授業の受け皿となり、そこに若手社員も参加させて、新ビジネスを立案発表させる。発表までにかける労力は数十時間。清川社長もそこにつきあい、「苦労して考え、自分で気づきを得る過程を重視している」。
社員は全員が地元出身者。「福井は全国小中学学力体力テストで常に上位で青少年の学力水準が高く、幸福度ナンバーワンでも知られる。ここで操業するメリットは大きい」(清川社長)と地域の潜在力に寄せる期待は大きい。
電子部品の需要増などを背景に、この5年間で売上高は7割伸びた。顧客企業のグローバル化を支える形で同社の仕事も世界に広がる。満を持して海外市場に踏み出す足がかりとして、前述のドイツでの展示会への初出展は特別な思いがある。
同社の本社工場は福井の幹線道路・国道8号線に近く、アクセスの良さも魅力のひとつ。駐車場にはさまざまな企業名の車両がずらり並ぶ。近くこの中に、海外からの受注を示す国際宅配便が加わってくるのかもしれない。
「誰も手がけていない」に挑む
メッキは金属や樹脂の表面に膜を付けることで、機能を発揮する。日頃目につかない工業用途から、宝飾など身近な品まで用途は実にさまざま。業界団体の全国鍍金工業組合連合会(全鍍連)に加盟する企業が全国約1300社。その中で、清川メッキ工業は光彩を放つ。
「誰も手がけていない開発案件が、当社が挑戦する対象。営業マンは置かず、展示会やホームページでニーズを持つ顧客と出会う。顧客は大手メーカーが多く、ともに開発にあたる。仕事になる確率は俗に言う千に三つ。三つを求めて千を試している」と清川肇社長は話す。微細なメッキ部品は顧客と宅配便でのやりとりが十分可能。全国に広く取引先を抱えるゆえんだ。
清川肇社長は2代目。父親で創業者の清川忠会長から2010年にバトンを受け、実弟の卓二氏(専務)、忠幸氏(常務)と「3本の矢」で経営する。社員は毎年10人前後を採用し、従業員数は300人規模に達する。2008年にはメッキ業界で初めて、試験所認定の国際規格「ISO/IEC17025」も取得。開発、品質トラブル時の解析に欠かせない装備であり、外部からの評価試験依頼にも応えている。
4月1日から5日にドイツで開催された産業技術の国際見本市「ハノーバーメッセ」には、全鍍連の有志企業と合同で初参加し、清川メッキ工業が得意とする撥水メッキで深い黒色を出す新技術を披露した。
「海外進出の第一歩。すぐにビジネスに結びつくと考えてはいない」と控えめに語る清川社長だが、現地の雰囲気を肌で感じたことで、新たな可能性も実感している様子だ。「これまでも海外企業の情報は積極的に収集してきたつもりだが、知らなかった企業は数多く、まだまだ売り先はあると感じた」(同)からだ。
開発力をセールスポイントとしつつも、実績の多くは顧客との守秘契約のもとにあることから、高い技術力を対外的に発信できる機会は限られることが、悩みのタネのひとつでもある。
こうしたなか数少ない例外は、発明協会から2014年度全国発明表彰発明賞に選定された「導電性微粒子の製造方法」である。被膜の欠陥が多かった従来法に代え、触媒の働きをするパラジウムをメッキ液に直接投入する手法を考案。欠陥を大幅削減し、工程が3分の1短縮、生産所要時間も76%短縮した。
発明協会の表彰は、通常は大手企業の案件ばかり。「晴れ舞台で成果が披露される機会はやはりうれしかった」と清川社長は照れくさそうに話す。
決してあきらめない
実は、ここに至るにはおよそ10年にわたる開発の軌跡がある。清川社長は福井大学工学部の大学院修了後に、大手電機メーカー勤務を経て、1991年に入社した。郷里に戻って大学の恩師と再会した際に二次電池の開発に関する協力を要請される。それは当時主流のニッケルカドミウムに代えてニッケル水素を実用化するため、粉体をメッキで機能アップするとの開発テーマだった。
市場の要求水準を追求し、10年かかって粒径5マイクロメートルのメッキ工法を完成させるも時代はリチウムが主流となり、ニッケル水素はコスト重視の仕事になっていた。
そこで別の用途を模索し展示会に出品。某大手メーカーから特許侵害だと警告されるといった災難に見舞われながらも、別の方式で特許技術を確立したところ、結果としてダイヤモンド粉の技術を持つ顧客ニーズとマッチ。当初の開発テーマを貫いたことが、導電性微粒子のメッキとして「結実」したのである。
これまでの開発案件の中には、14年もの長きにわたり顧客の開発を支えた後に量産の受注に結びついたテーマもあるという。「開発は決して途中であきらめない。顧客があきらめることはあるが、当社があきらめることはない」(清川社長)。
その「しぶとさ」は創業時からのようだ。1963年の創業当初、2輪車のアルミニウム合金部品にメッキする未知の案件と出会い、それを実現したことが現在の開発姿勢の根底にあるからだ。
福井の潜在力に期待
人材育成にも独自の経営姿勢が反映されている。「Iビジョン活動」と名付けるQC(品質管理)活動は、5~10人単位のチームを作り、毎年20程度のチーム数で成果を競う。予選会を経て、毎年2月ごろに最終発表会。チームリーダーを経験すると、若手の意識が変わるという。
さらに近年、「社長塾」と呼ぶ活動も継続中だ。学生が企業でフィールド学習する課外授業の受け皿となり、そこに若手社員も参加させて、新ビジネスを立案発表させる。発表までにかける労力は数十時間。清川社長もそこにつきあい、「苦労して考え、自分で気づきを得る過程を重視している」。
社員は全員が地元出身者。「福井は全国小中学学力体力テストで常に上位で青少年の学力水準が高く、幸福度ナンバーワンでも知られる。ここで操業するメリットは大きい」(清川社長)と地域の潜在力に寄せる期待は大きい。
電子部品の需要増などを背景に、この5年間で売上高は7割伸びた。顧客企業のグローバル化を支える形で同社の仕事も世界に広がる。満を持して海外市場に踏み出す足がかりとして、前述のドイツでの展示会への初出展は特別な思いがある。
同社の本社工場は福井の幹線道路・国道8号線に近く、アクセスの良さも魅力のひとつ。駐車場にはさまざまな企業名の車両がずらり並ぶ。近くこの中に、海外からの受注を示す国際宅配便が加わってくるのかもしれない。