為末大さんが語る“人間への興味”とスポーツ界の未来
陸上競技のスプリント(短距離レース)種目において、日本人で初めて世界大会でメダルを獲得した為末大氏。現在はスポーツコメンテーターとして活動する他、Deportare Partners(デポルターレパートナーズ)の代表取締役や一般社団法人アスリートソサエティの代表理事などを務め、アスリートの活動やテクノロジーを活用したスポーツ振興への支援に取り組んでいる。多方面で活躍する為末氏に、競技人生や現在の活動に影響を与えた本について語ってもらった。
月に5、6冊ほど本を読む。読書を始めたのは、陸上競技の選手として米国で活動していたころ。最初は暇な時間をつぶすための読書だったが、世の中の物事をもっと知りたいという気持ちもあった。
現役時代は『種の起源』(チャールズ・ダーウィン)や『利己的な遺伝子』(リチャード・ドーキンス)を読んだ。陸上競技ではもちろん努力も重要だが、生まれ持った身体能力や才能に左右される部分も大きい。競技を続ける中で才能豊かな選手にかなわないことへの無常感を抱くと同時に、「同じ人間なのにどうして結果に差がつくのか」と不思議に感じ、そこから進化論に興味を抱いた。
ビジネスの世界は、スポーツの世界以上に技術の習得や向上がカギを握っている。陸上競技からビジネスの世界に活動の場を移してからは、ウォーレン・バフェットやチャーリー・マンガーの本をよく読んだ。
「人間とは何か」という問いには今でも興味がある。人類史や人工知能などさまざまなジャンルの本を読んでいるが、特に好きなのは認知心理学。現在、子どもたちの指導に携わっているが、認知心理学の考え方はパフォーマンスの向上に役立つと感じている。己が限界を決めてしまっていることに気付くことは重要だ。
人間への興味は、スポーツがまだ十分に科学されていないことへの気付きにつながった。スポーツの成果の多くは才能に支えられているが、その本領が完全に発揮されているとは限らない。練習や指導などの合理性を突き詰めたら競技者のパフォーマンスはもっと高まるのではないか、と競技者の一線を退く時に考えた。
10年ほど前から、義足を作る会社と一緒にトップアスリートの支援に取り組んでいる。義足の陸上競技は発展途上だが、データを駆使した取り組みが徐々に成果を出している。いずれは健常者のアスリートよりも早く走れる選手が登場する日が来るかもしれない。
長期的な視点で見れば、日本のスポーツは以前よりもよい環境へと向かっていると思う。しかし、社会が変化するスピードと比べると、スポーツ界の変化の速度はあまりにも遅い。長時間労働や残業、パワハラなど、かつての日本社会の名残がいまだに色濃く残っている。非競技者の人からしてみれば、スポーツの世界はまるで30年前の日本のように映っているのかもしれない。
環境を変えるためには、若い世代がスクラムを組んで変化を起こしていくことが重要だろう。スポーツの商業化が進んでいく中で、若い世代が決められることが増えればスポーツ界も変わっていく。
とはいえ、若い世代が立ち上がるのは簡単な話ではない。彼らが気付いていないこともあるが、競技者がスポーツ以外の何かに取り組むことに対して世間の目が厳しいという現実もある。「そういうのは引退してからでいいじゃないか」という声もあるが、取り組むための意欲や力は引退後にあっという間に尽きてしまう。
若い内に熱心に取り組んでいても、競技者の大多数はスポーツ以外の世界に身を置かなければならない。残念なことに、それを全てのスポーツ選手や指導者が理解できているわけではない。プロの競技者ほど、引退後のセカンドキャリアを描くときに苦労している。そして、社会が彼らの悩みを知る機会もそう多くはない。
現在、一般社団法人を立ち上げて引退した競技者を応援している。セカンドキャリアで苦労している人もいる一方で、スポーツとは異なる世界で活躍している人もいる。スポーツ選手は、自分の先輩がたどった軌跡を参考にすることも珍しくないので、よいロールモデルを増やすことが重要だと考えている。他の世界を見てきた人が指導者として再び現場に戻れば、スポーツ界を変える原動力になれるのではないか。
(文・写真=国広伽奈子)
陸上競技への問いから生まれた人間への興味
月に5、6冊ほど本を読む。読書を始めたのは、陸上競技の選手として米国で活動していたころ。最初は暇な時間をつぶすための読書だったが、世の中の物事をもっと知りたいという気持ちもあった。
現役時代は『種の起源』(チャールズ・ダーウィン)や『利己的な遺伝子』(リチャード・ドーキンス)を読んだ。陸上競技ではもちろん努力も重要だが、生まれ持った身体能力や才能に左右される部分も大きい。競技を続ける中で才能豊かな選手にかなわないことへの無常感を抱くと同時に、「同じ人間なのにどうして結果に差がつくのか」と不思議に感じ、そこから進化論に興味を抱いた。
ビジネスの世界は、スポーツの世界以上に技術の習得や向上がカギを握っている。陸上競技からビジネスの世界に活動の場を移してからは、ウォーレン・バフェットやチャーリー・マンガーの本をよく読んだ。
スポーツはもっと科学できる
「人間とは何か」という問いには今でも興味がある。人類史や人工知能などさまざまなジャンルの本を読んでいるが、特に好きなのは認知心理学。現在、子どもたちの指導に携わっているが、認知心理学の考え方はパフォーマンスの向上に役立つと感じている。己が限界を決めてしまっていることに気付くことは重要だ。
人間への興味は、スポーツがまだ十分に科学されていないことへの気付きにつながった。スポーツの成果の多くは才能に支えられているが、その本領が完全に発揮されているとは限らない。練習や指導などの合理性を突き詰めたら競技者のパフォーマンスはもっと高まるのではないか、と競技者の一線を退く時に考えた。
10年ほど前から、義足を作る会社と一緒にトップアスリートの支援に取り組んでいる。義足の陸上競技は発展途上だが、データを駆使した取り組みが徐々に成果を出している。いずれは健常者のアスリートよりも早く走れる選手が登場する日が来るかもしれない。
変革のためには何が必要か
長期的な視点で見れば、日本のスポーツは以前よりもよい環境へと向かっていると思う。しかし、社会が変化するスピードと比べると、スポーツ界の変化の速度はあまりにも遅い。長時間労働や残業、パワハラなど、かつての日本社会の名残がいまだに色濃く残っている。非競技者の人からしてみれば、スポーツの世界はまるで30年前の日本のように映っているのかもしれない。
環境を変えるためには、若い世代がスクラムを組んで変化を起こしていくことが重要だろう。スポーツの商業化が進んでいく中で、若い世代が決められることが増えればスポーツ界も変わっていく。
とはいえ、若い世代が立ち上がるのは簡単な話ではない。彼らが気付いていないこともあるが、競技者がスポーツ以外の何かに取り組むことに対して世間の目が厳しいという現実もある。「そういうのは引退してからでいいじゃないか」という声もあるが、取り組むための意欲や力は引退後にあっという間に尽きてしまう。
引退後の時間の方が長い
若い内に熱心に取り組んでいても、競技者の大多数はスポーツ以外の世界に身を置かなければならない。残念なことに、それを全てのスポーツ選手や指導者が理解できているわけではない。プロの競技者ほど、引退後のセカンドキャリアを描くときに苦労している。そして、社会が彼らの悩みを知る機会もそう多くはない。
現在、一般社団法人を立ち上げて引退した競技者を応援している。セカンドキャリアで苦労している人もいる一方で、スポーツとは異なる世界で活躍している人もいる。スポーツ選手は、自分の先輩がたどった軌跡を参考にすることも珍しくないので、よいロールモデルを増やすことが重要だと考えている。他の世界を見てきた人が指導者として再び現場に戻れば、スポーツ界を変える原動力になれるのではないか。
(文・写真=国広伽奈子)
日刊工業新聞2019年1月21日「書窓」ロング版