METI
大工から飲食店経営、シリコンウエハー研磨メーカー社長の“サービス精神”
BBS金明、個性派社長の経歴とポリシーとは?
観光客でにぎわう金沢駅から車で30分ほど。石川県でもハイテク産業が多く集積する白山市の工業団地にBBS金明の本社がある。玄関をくぐると、デザイン会社かと思わせるようなモダンな空間が広がる。「ここは本当に工場?」。
川原龍之介社長の狙い通りだ。「工場らしからぬ工場にしたいと、1年間、設計事務所と構想を練って形にしたんです」と川原社長。事務棟と工場棟は完全にセパレートされているが、いざ、工場棟に足を踏み入れると、同社の主力製品であるシリコンウエハーのエッジ研磨装置のモノづくり工程が整然と広がる。
3年前に父から社長を引き継いだ川原社長。その経歴は一風変わっている。高校卒業後に始めたのが大工。その後、金沢の繁華街で飲食店も経営した。結婚を機に当時、BBS金明の社長だった叔父から入社を勧められた。それまで叔父や父の会社がどんな事業をしているのか、ほとんど知らなかったという。
入社は19年前、購買部門に配属された。入社当時は技術のことなどまったく分からない。「負けん気が強いので人の2、3倍働きました。従業員たちも徐々に認めてくれるようになりました」。
生産管理、総務・経理なども経験し、常務になった頃から技術屋社長の父から経営全般を任されるようになる。「技術部門の人たちは、父の意見に萎縮しているように感じていました。それでいろいろ父に意見し、ぶつかったりもしましたが、僕に任せるようになってくれましたね」。
自社の技術力はもとより、機械や制御設計に携わる「精鋭部隊」には大きな信頼を寄せている。一方で開発力があれば絶対に負けない、という過信を戒める。
最も重視しているのは“顧客ファースト”だ。「やれることは即です。お客さまから緊急依頼があれば、たとえ海外であろうともすぐに現地に飛んでいきます」。
こうした機動力、顧客対応力が300ミリウエハー向けエッジ研磨装置で99%のシェアを持つ原動力でもある。同時に、サービス業での経験もある川原社長のホスピタリティが、現在のビジネスにも生かされているようだ。
もともとはアルミサッシ加工用の専用装置や自動車部品の加工機製造などが主力事業だった。OEM(相手先ブランド生産)で半導体製造装置を作っていたが、自社でもやれないか、と参入を決めた。
事業の成長で大きかったのは、まったく新しい研磨方式を開発し特許にしたこと。一般的には「テープ研磨」だったが、BBS金明の方式は「パッド研磨」。
ウエハーメーカーの品質と歩留まり向上につながるブレークスルーだった。最近はウエハー精度がより厳しくなってきている。以前は研磨で平面が肝だったが、今は端面への要求レベルも非常に高い。
半導体向けは依然として好調を持続しており、受注は2年先ほどまである。特に中国企業の意思決定の早さは目を見はるものがあるという。ただ太陽光発電分野がそうであったように、国策によって中国向けは大きく左右されるだけに、その動向を注視している。
事業や製品の柱はなるべく多い方がいい。今は半導体を中心に太陽光関連、産業機械を3本柱に、最近は消耗・副資材などのサービス事業に力を入れている。もう一つ開発中なのがスマートフォン部品向けの加工装置。自社技術をうまく応用できれば柱になりうる。
創業時の社名は「金明工鉄」。金沢を明るくしたい、という思いから名付けられた。川原社長のキャラクターもあるが、とにかくアットホームで風通しの良さを感じる。だから社員数は絶対に100人を超えないようにしているという(現在は90人強)。
「今は全員の名前も言えるし顔を分かる。コミュニケーションが取れない人数になるとほころびがでる。それに100人未満ならどう転んでも、僕が守っていける自信がある」。採用も地元と拠点がある横浜が中心だ。
川原社長の夢は65歳で引退し第二の人生を楽しむこと。「次の世代にバトンタッチできる仕組みを作る。でもあと20年しかない」。その言葉には焦りではなく、わくわく感がにじみ出ている。
川原龍之介社長の狙い通りだ。「工場らしからぬ工場にしたいと、1年間、設計事務所と構想を練って形にしたんです」と川原社長。事務棟と工場棟は完全にセパレートされているが、いざ、工場棟に足を踏み入れると、同社の主力製品であるシリコンウエハーのエッジ研磨装置のモノづくり工程が整然と広がる。
3年前に父から社長を引き継いだ川原社長。その経歴は一風変わっている。高校卒業後に始めたのが大工。その後、金沢の繁華街で飲食店も経営した。結婚を機に当時、BBS金明の社長だった叔父から入社を勧められた。それまで叔父や父の会社がどんな事業をしているのか、ほとんど知らなかったという。
入社は19年前、購買部門に配属された。入社当時は技術のことなどまったく分からない。「負けん気が強いので人の2、3倍働きました。従業員たちも徐々に認めてくれるようになりました」。
生産管理、総務・経理なども経験し、常務になった頃から技術屋社長の父から経営全般を任されるようになる。「技術部門の人たちは、父の意見に萎縮しているように感じていました。それでいろいろ父に意見し、ぶつかったりもしましたが、僕に任せるようになってくれましたね」。
顧客ファースト貫く
自社の技術力はもとより、機械や制御設計に携わる「精鋭部隊」には大きな信頼を寄せている。一方で開発力があれば絶対に負けない、という過信を戒める。
最も重視しているのは“顧客ファースト”だ。「やれることは即です。お客さまから緊急依頼があれば、たとえ海外であろうともすぐに現地に飛んでいきます」。
こうした機動力、顧客対応力が300ミリウエハー向けエッジ研磨装置で99%のシェアを持つ原動力でもある。同時に、サービス業での経験もある川原社長のホスピタリティが、現在のビジネスにも生かされているようだ。
もともとはアルミサッシ加工用の専用装置や自動車部品の加工機製造などが主力事業だった。OEM(相手先ブランド生産)で半導体製造装置を作っていたが、自社でもやれないか、と参入を決めた。
事業の成長で大きかったのは、まったく新しい研磨方式を開発し特許にしたこと。一般的には「テープ研磨」だったが、BBS金明の方式は「パッド研磨」。
ウエハーメーカーの品質と歩留まり向上につながるブレークスルーだった。最近はウエハー精度がより厳しくなってきている。以前は研磨で平面が肝だったが、今は端面への要求レベルも非常に高い。
半導体向けは依然として好調を持続しており、受注は2年先ほどまである。特に中国企業の意思決定の早さは目を見はるものがあるという。ただ太陽光発電分野がそうであったように、国策によって中国向けは大きく左右されるだけに、その動向を注視している。
事業や製品の柱はなるべく多い方がいい。今は半導体を中心に太陽光関連、産業機械を3本柱に、最近は消耗・副資材などのサービス事業に力を入れている。もう一つ開発中なのがスマートフォン部品向けの加工装置。自社技術をうまく応用できれば柱になりうる。
創業時の社名は「金明工鉄」。金沢を明るくしたい、という思いから名付けられた。川原社長のキャラクターもあるが、とにかくアットホームで風通しの良さを感じる。だから社員数は絶対に100人を超えないようにしているという(現在は90人強)。
「今は全員の名前も言えるし顔を分かる。コミュニケーションが取れない人数になるとほころびがでる。それに100人未満ならどう転んでも、僕が守っていける自信がある」。採用も地元と拠点がある横浜が中心だ。
川原社長の夢は65歳で引退し第二の人生を楽しむこと。「次の世代にバトンタッチできる仕組みを作る。でもあと20年しかない」。その言葉には焦りではなく、わくわく感がにじみ出ている。
【企業情報】▽所在地=石川県白山市旭丘4の12▽社長=川原龍之介氏▽設立=1956年6月▽売上高=67億円(18年3月期)