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旅行会社出身の四代目、大正九年創業の染物屋を継ごうと決意した瞬間

旅行会社出身の四代目、大正九年創業の染物屋を継ごうと決意した瞬間

画=黒澤淳一

 老舗に生まれた人間が家業を継ぐに至る経緯はそれぞれだろう。運命とはいえ、だからこそ内心の葛藤を想像してしまうが―。

 東京・新宿の落合に、昔ながらの技法で江戸小紋(正式には東京染小紋)と江戸更紗(さらさ)を染める「染の里 二葉苑」がある。その四代目、小林元文さんの場合、運命は、自分が継がなければ店は終わるが、継いでどうするのだろうとの疑問として受け止められたという。

 二葉苑の創業は大正九年。地名の由来ともなった、神田川と妙正寺川が「落ち合う」この地には、明治大正時代より、きれいな水を求めて神田から着物にかかわる職人が移ってきた。最盛期には三百を超える染色工房が軒を連ねたが、この三十年、着物の需要は減りつづけ、今では工房も十数軒になった。

 小林さんは、旅行会社勤務の経験がある。就職の理由を尋ねると、日に灼(や)けた顔に照れたような笑みを浮かべ、「たまたま読んだジャパンタイムズで求人情報を見つけたんです」。入社すると、インドやトルコ旅行の添乗員として配属された。インドは更紗の原点、トルコは古より美しい布を織る。

 旅から帰って工房に入ったとき、自分が十数時間前にいたところから、この工房に布や柄が伝わるまでに流れた悠(はる)かなる時が見えるような気がした。家業を継ごうと心を決めた瞬間だった。

 お話をうかがっていて、運命のうねりを感じた。老舗に生まれた運命以上に大きな、小林さんその人の。それは、あるべきところへ小林さんを運んだ。

 「もはや、ものづくりだけではやっていけない」と、十年ほど前、ギャラリーやショップ、染め物教室を開設。工房もリニューアルして、ガラスばりにした。通りすがりの人々がのぞく。子供たちがはりついて中を見ている。さらに工房で染めた反物を買った人が、それで誂(あつら)えた着物を着て訪ねてくれるようになった。作り手の意欲が高まったのは言うまでもない。

 工房のテラスの下には、妙正寺川が流れていた。大きな柿の木が枝葉をひろげる。「落合は柿がたくさんなるんです。地元の柿や、落合のレストランからタマネギの皮をもらってきて染料を作ります」地産地消ですね、と言うと、「地産地染です」と、当意即妙の答えが返ってきた。江戸染色は、この落合の地にしっかりと受け継がれている。
(画=黒澤淳一、文・有吉玉青)
二葉苑=創業大正9年(1920年)/東京都新宿区上落合2の3の6/03・3368・8133
日刊工業新聞2018年9月7日
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
旅から帰ってくるとものの見方が大きく変わっていたのですね。もし、その当時、その職業を選ばずに海外に行かなかったら、今のお店はなかったのかもしれません。

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