謎の民族「プラナカン」の文化の成り立ちにイノベーションの本質を見た
<情報工場 「読学」のススメ#58>『プラナカン 東南アジアを動かす謎の民』(太田泰彦 著)
**中国から渡り現地民族と混ざり合いながら独自の文化を築いたプラナカナン
英国の航空サービス格付け会社のスカイトラックスは先ごろ「2018年ワールド・エアライン・アワード」を発表。最優秀の航空会社にはシンガポール航空が選ばれた。
シンガポール航空といえば、女性客室乗務員(CA)の美しい制服を思い出す人も多いだろう。伝統的な民族衣装の「サロン・ケバヤ」をモチーフにした、東南アジアらしいエキゾチックな文様と色彩と優雅なシルエットが印象的な制服だ。とくに外国人の乗客に人気が高いという。
だが、ここで「伝統的な民族衣装」という言葉に「あれ?」と思った人がいるかもしれない。シンガポールの「伝統」や「民族」は何を指しているのだろう、と。
というのも、シンガポールは比較的歴史が浅い多民族国家だからだ。都市国家の狭い国土に坩堝のように多様な民族と文化がひしめき合い、それが同国の魅力の一つともいえる。では、シンガポール航空がシンボル的な意味を込めるこの制服のデザインは、どの民族の“伝統”によるのだろうか。
その答えは「プラナカン」である。シンガポール航空のCA制服は、1968年にフランスのデザイナー、ピエール・バルマンが、プラナカンの衣料やビーズ刺繍などの工芸品にインスパイアされて創作したものとされている。
プラナカンは、15世紀頃より中国大陸からマラッカ海峡周辺の一帯(マレーシア、シンガポール、インドネシアなど)に移り住み、現地のマレー民族と混ざり合いながら独特の豪華絢爛な文化を築き上げた人々だ。そのルーツは漢民族だが、中国語ともマレー語とも違う独自の言語を話し、美術工芸品、料理、住居などにおいても極めて個性的なハイブリッド(異種混合)文化を開花させた。
『プラナカン 東南アジアを動かす謎の民』(日本経済新聞出版社)は、いまだその全容がベールに包まれたプラナカンの歴史と文化的側面に迫るルポルタージュ。著者の太田泰彦さんは日本経済新聞記者で編集委員兼論説委員。BSジャパン「日経プラス10」にも解説キャスターとして出演中だ。
公式には発表していないそうだが、シンガポール建国の父と慕われる初代首相リー・クアンユーはプラナカンだとされている。当然その息子である現首相リー・シェンロンもプラナカンだ。歴史的にみると、プラナカンは数世紀にわたり東南アジアの政治・経済に多大な影響を与えてきたようだ。
19世紀には英国やオランダの東インド会社と手を組み、香辛料の貿易や鉱山、ゴム農園の経営などで財を成した。さらにアヘン取引や奴隷貿易にも携わり、莫大な富を築き上げた。歴史の「悪役」になるのもいとわずビジネスの才を発揮し「通商貴族」とも呼ばれた。
プラナカン文化の最大の特徴は、さまざまな国や地域の文化が共存し、違和感なく混ざり合っていることだ。たとえば、プラナカンの男性の正装に使われるバティック(ジャワ更紗:インドネシアで発達したろうけつ染めの布地)の文様に、インドの伝説の鳥ガルーダを模式化したもの、アラブ伝来のモザイク状の模様、中国発の鳳凰のモチーフなどが混在していることがある。
これは、19世紀のプラナカンたちが、東西貿易の要衝であったマラッカ海峡で商人として活躍していたことに由来すると考えられている。当時のプラナカンは、西はヨーロッパ、東は日本まで、さまざまな異国の品を買いあさった。そしてそれらを巧みに取捨選択して組み合わせ、“どこにもない文化”を育んでいったのだ。
さらに、現代のプラナカンが個人で所有していたり、博物館に展示されているプラナカンの伝統工芸品の中には、プラナカンが作っていないものも少なくないという。それらは、他の国や地域の人々が、旺盛な消費力を誇ったプラナカンに気に入ってもらえるように作ったものだ。
つまりプラナカンは、プラナカンのために作られたもの、プラナカンの美的感覚に見合ったものであれば、輸入品であっても「プラナカンの工芸品」と呼ぶのに躊躇しなかったようなのだ。
プラナカンは、良いものを選びとる美的感覚と消費力を持っていた。そのおかげで、世界中から自分たちが良いと思えるものを収集し、組み合わせることで、きわめてオリジナリティの高いものを創造できた。
『プラナカン 東南アジアを動かす謎の民』で著者の太田さんは、こうしたプラナカン文化の成り立ちこそが、「イノベーションの本質」だと分析する。
日本企業には、まず技術ありきでイノベーションを考える傾向があるのではないか。自社にはこんな素晴らしい技術がある。では、それを使って何ができるか考えよう、となる。こうした場合、得てして市場ニーズを掴みきれずに失敗しがちだ。
一方、成功しやすいイノベーションは、まず「こういうことをしたい」というアイデアや意志、確固とした市場ニーズが先にあり、それを満たすための技術や設備、素材や原材料を探す、という順序で考える。自分たちが必ずしも最新の技術や素材などを持っている必要はない。それらは、世界中から探せばいいのだ。見つかれば、海外であってもそこでアイデアを実現するものを作ってもらえばいい。
ここでいう「アイデア」「意志」「市場ニーズ(を把握する力)」を、プラナカンの「美的感覚」に置き換えれば、太田さんの言う「イノベーションの本質」の意味も理解できるのではないだろうか。
プラナカンの伝統文化を作り上げた、当時のイノベーターたちは、世界中からとにかく「良いもの」を集めようとする貪欲さと、異種のものを組み合わせる大胆さをあわせ持っていたのだろう。もしかしたら、イノベーション不足が嘆かれる現代の日本人や日本企業に足りないのは、プラナカンのような「貪欲さ」や「大胆さ」なのかもしれない。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
『プラナカン 東南アジアを動かす謎の民』
太田 泰彦 著
日本経済新聞出版社
250p 1,800円(税別)>
英国の航空サービス格付け会社のスカイトラックスは先ごろ「2018年ワールド・エアライン・アワード」を発表。最優秀の航空会社にはシンガポール航空が選ばれた。
シンガポール航空といえば、女性客室乗務員(CA)の美しい制服を思い出す人も多いだろう。伝統的な民族衣装の「サロン・ケバヤ」をモチーフにした、東南アジアらしいエキゾチックな文様と色彩と優雅なシルエットが印象的な制服だ。とくに外国人の乗客に人気が高いという。
だが、ここで「伝統的な民族衣装」という言葉に「あれ?」と思った人がいるかもしれない。シンガポールの「伝統」や「民族」は何を指しているのだろう、と。
というのも、シンガポールは比較的歴史が浅い多民族国家だからだ。都市国家の狭い国土に坩堝のように多様な民族と文化がひしめき合い、それが同国の魅力の一つともいえる。では、シンガポール航空がシンボル的な意味を込めるこの制服のデザインは、どの民族の“伝統”によるのだろうか。
その答えは「プラナカン」である。シンガポール航空のCA制服は、1968年にフランスのデザイナー、ピエール・バルマンが、プラナカンの衣料やビーズ刺繍などの工芸品にインスパイアされて創作したものとされている。
プラナカンは、15世紀頃より中国大陸からマラッカ海峡周辺の一帯(マレーシア、シンガポール、インドネシアなど)に移り住み、現地のマレー民族と混ざり合いながら独特の豪華絢爛な文化を築き上げた人々だ。そのルーツは漢民族だが、中国語ともマレー語とも違う独自の言語を話し、美術工芸品、料理、住居などにおいても極めて個性的なハイブリッド(異種混合)文化を開花させた。
『プラナカン 東南アジアを動かす謎の民』(日本経済新聞出版社)は、いまだその全容がベールに包まれたプラナカンの歴史と文化的側面に迫るルポルタージュ。著者の太田泰彦さんは日本経済新聞記者で編集委員兼論説委員。BSジャパン「日経プラス10」にも解説キャスターとして出演中だ。
公式には発表していないそうだが、シンガポール建国の父と慕われる初代首相リー・クアンユーはプラナカンだとされている。当然その息子である現首相リー・シェンロンもプラナカンだ。歴史的にみると、プラナカンは数世紀にわたり東南アジアの政治・経済に多大な影響を与えてきたようだ。
19世紀には英国やオランダの東インド会社と手を組み、香辛料の貿易や鉱山、ゴム農園の経営などで財を成した。さらにアヘン取引や奴隷貿易にも携わり、莫大な富を築き上げた。歴史の「悪役」になるのもいとわずビジネスの才を発揮し「通商貴族」とも呼ばれた。
さまざまな地域の文化を組み合わせオリジナルなものを作り出す
プラナカン文化の最大の特徴は、さまざまな国や地域の文化が共存し、違和感なく混ざり合っていることだ。たとえば、プラナカンの男性の正装に使われるバティック(ジャワ更紗:インドネシアで発達したろうけつ染めの布地)の文様に、インドの伝説の鳥ガルーダを模式化したもの、アラブ伝来のモザイク状の模様、中国発の鳳凰のモチーフなどが混在していることがある。
これは、19世紀のプラナカンたちが、東西貿易の要衝であったマラッカ海峡で商人として活躍していたことに由来すると考えられている。当時のプラナカンは、西はヨーロッパ、東は日本まで、さまざまな異国の品を買いあさった。そしてそれらを巧みに取捨選択して組み合わせ、“どこにもない文化”を育んでいったのだ。
さらに、現代のプラナカンが個人で所有していたり、博物館に展示されているプラナカンの伝統工芸品の中には、プラナカンが作っていないものも少なくないという。それらは、他の国や地域の人々が、旺盛な消費力を誇ったプラナカンに気に入ってもらえるように作ったものだ。
つまりプラナカンは、プラナカンのために作られたもの、プラナカンの美的感覚に見合ったものであれば、輸入品であっても「プラナカンの工芸品」と呼ぶのに躊躇しなかったようなのだ。
プラナカンは、良いものを選びとる美的感覚と消費力を持っていた。そのおかげで、世界中から自分たちが良いと思えるものを収集し、組み合わせることで、きわめてオリジナリティの高いものを創造できた。
『プラナカン 東南アジアを動かす謎の民』で著者の太田さんは、こうしたプラナカン文化の成り立ちこそが、「イノベーションの本質」だと分析する。
日本企業には、まず技術ありきでイノベーションを考える傾向があるのではないか。自社にはこんな素晴らしい技術がある。では、それを使って何ができるか考えよう、となる。こうした場合、得てして市場ニーズを掴みきれずに失敗しがちだ。
一方、成功しやすいイノベーションは、まず「こういうことをしたい」というアイデアや意志、確固とした市場ニーズが先にあり、それを満たすための技術や設備、素材や原材料を探す、という順序で考える。自分たちが必ずしも最新の技術や素材などを持っている必要はない。それらは、世界中から探せばいいのだ。見つかれば、海外であってもそこでアイデアを実現するものを作ってもらえばいい。
ここでいう「アイデア」「意志」「市場ニーズ(を把握する力)」を、プラナカンの「美的感覚」に置き換えれば、太田さんの言う「イノベーションの本質」の意味も理解できるのではないだろうか。
プラナカンの伝統文化を作り上げた、当時のイノベーターたちは、世界中からとにかく「良いもの」を集めようとする貪欲さと、異種のものを組み合わせる大胆さをあわせ持っていたのだろう。もしかしたら、イノベーション不足が嘆かれる現代の日本人や日本企業に足りないのは、プラナカンのような「貪欲さ」や「大胆さ」なのかもしれない。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
太田 泰彦 著
日本経済新聞出版社
250p 1,800円(税別)>
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