思考を鍛えるには「地図」を使え!
<情報工場 「読学」のススメ#54>『地図の進化論』(若林 芳樹 著)
**インドの教科書は「数字」より「空間」が先に来る
作家でインド工科大学ハイデラバード校客員准教授を務める山田真美さんの著書『運が99%戦略は1% インド人の超発想法』(講談社+α新書)の中に、インドの小学校で使われている算数の教科書が取り上げられている。「Math-Magic」というシリーズで、山田さんがインドのほぼ全土の小学校を視察する中、複数の先生方から紹介されたものだという。
この教科書の第1章のテーマは「かたちと空間」だ。そこでは「内側-外側」「より大きい-より小さい」などの概念を身につけさせる。数字は一切登場しない。
日本の小学1年の算数の教科書は、たいてい数の数え方から始まるのではないだろうか。実際、大日本図書の小学1年生用の教科書『新版 たのしいさんすう 1』の章立ては「10までのかず」から始まり、「なんばんめ」「いくつといくつ」と続く。
また、将棋の藤井聡太六段やグーグルの二人の創業者らが幼少期に受けていた「モンテッソーリ教育」では、3~6歳の子どもに「感覚を洗練させる活動」を行わせる。そこでは独自の「感覚教具」と呼ばれるパズルのような道具を使い、「大きい」「小さい」などの抽象的概念を育む。
インドの教科書も、モンテッソーリ教育の感覚教具も、「空間認知」の能力を育てるものだ。目の前の「空間」を認識し、頭の中で再現する練習を積み重ねることで、抽象的思考が鍛えられていく。
だが、特別な教具を揃えたり、わざわざインドから教科書を取り寄せなくたりしなくても、空間認知や抽象思考を育てられる格好の教材が、私たちの身近にある。
「地図」だ。
『地図の進化論』(創元社)は、先史時代の「地図の起源」から、最新のデジタル地図まで地図が進化してきた歴史を追いつつ、地図がいかに人間の「ものの考え方」に影響を与えてきたかを分析している。著者の若林芳樹さんは首都大学東京大学院都市環境科学研究科教授で、行動地理学、都市地理学、地理情報科学を専攻している。
では、地図はどのように進化してきたのだろうか。
『地図の進化論』で「地図の起源」として紹介されているのは、北イタリアにあるカモニカ渓谷で発見された「べドリーナ図」だ。イタリア初の世界遺産である線刻画群の中にある岩絵だ。紀元前1500年頃に当地で暮らしていたカムニ族が描いたものとされる。
べドリーナ図には、山麓に広がる村の景観が幾何学的な記号で表現されている。その場にいなくても「どこに何があるか」という空間情報が得られるように作製されている。
地図の素材は岩や粘土板から、布や皮、紙、そして電子媒体へと変遷を遂げた。しかし、「空間情報の共有」というその役割は先史時代から現在にいたるまで変わっていないことがわかる。
ただし、とくに紙から電子媒体に移行する過程で、地図の機能は大きく進化した。グーグルマップなどのデジタル地図では「ピンポイント検索」が可能だ。地名や住所、駅名、建物の名前などを入力して検索すると、その場所にフォーカスし、ピンを立てるなどの表示をしてくれる。また、自在に縮尺を変えることもできる。いずれも紙の地図では考えられなかった便利な機能だ。
だが『地図の進化論』で若林教授は、ピンポイント検索には「視野を狭くする」弊害があると指摘している。さらに縮尺が可変なことで「スケール感覚が麻痺する」危険性があるという。つまり、せっかくこれまで地図で鍛えられてきた人間の空間認知能力が、地図が便利になることによって将来的に衰退していく懸念があるというのだ。
今でもグーグルマップのストリートビュー機能で現実の風景を疑似体験できる。だが、これから、VR(仮想現実)で世界中のバーチャル旅行が可能になるのは間違いないだろう。そうすると、私たちの「地図から現実を想像する」力は、ますます衰えていくのではないか。
空間認知がうまくできなくなると、抽象思考が阻害される。あらゆる科学は抽象思考のおかげで進歩してきたので、もしかすると「(デジタル地図などの)科学技術の進化が科学の進歩を妨げる」という、皮肉な状況が生まれることも考えられなくはない。
それでは、かほどに大切な空間認知能力を失わないために、私たちは何をすればいいのか。若林教授は、NHKの人気番組『ブラタモリ』のような「まち歩き」を推奨している。地図を片手に、現実の空間と見比べながらぶらぶらと歩き回るのだ。その時は、もちろん紙の地図を使う。デジタル地図を使ってもいいが、スケールを固定し、ピンポイント検索は使わないようにすべきだ。
インターネットが普及する前には、紙の冊子の「鉄道時刻表」を見ながら架空の旅程を組み、“妄想旅行”をする人が結構いた。それを見直して、紙の地図も使いながらやって見るのもいいだろう。きっと楽しいはずだ。
お子さんがいるならば、一緒にまち歩きをするのもいい。それによって子どもの空間認知が磨かれ、モンテッソーリ教育と同様の効果があるかもしれない。親子の絆も深まるし、一石二鳥だ。
抽象的な思考力が鍛えられれば、ビジネスにおける意思決定やアイデア創出にも役立てられる。一言でいえば「頭が良くなる」のだ。抜群の「教育力」を持つツール「地図」を活用しないのはもったいない。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
『地図の進化論』
-地理空間情報と人間の未来
若林 芳樹 著
創元社
240p 1,800円(税別)>
作家でインド工科大学ハイデラバード校客員准教授を務める山田真美さんの著書『運が99%戦略は1% インド人の超発想法』(講談社+α新書)の中に、インドの小学校で使われている算数の教科書が取り上げられている。「Math-Magic」というシリーズで、山田さんがインドのほぼ全土の小学校を視察する中、複数の先生方から紹介されたものだという。
この教科書の第1章のテーマは「かたちと空間」だ。そこでは「内側-外側」「より大きい-より小さい」などの概念を身につけさせる。数字は一切登場しない。
日本の小学1年の算数の教科書は、たいてい数の数え方から始まるのではないだろうか。実際、大日本図書の小学1年生用の教科書『新版 たのしいさんすう 1』の章立ては「10までのかず」から始まり、「なんばんめ」「いくつといくつ」と続く。
また、将棋の藤井聡太六段やグーグルの二人の創業者らが幼少期に受けていた「モンテッソーリ教育」では、3~6歳の子どもに「感覚を洗練させる活動」を行わせる。そこでは独自の「感覚教具」と呼ばれるパズルのような道具を使い、「大きい」「小さい」などの抽象的概念を育む。
インドの教科書も、モンテッソーリ教育の感覚教具も、「空間認知」の能力を育てるものだ。目の前の「空間」を認識し、頭の中で再現する練習を積み重ねることで、抽象的思考が鍛えられていく。
だが、特別な教具を揃えたり、わざわざインドから教科書を取り寄せなくたりしなくても、空間認知や抽象思考を育てられる格好の教材が、私たちの身近にある。
「地図」だ。
『地図の進化論』(創元社)は、先史時代の「地図の起源」から、最新のデジタル地図まで地図が進化してきた歴史を追いつつ、地図がいかに人間の「ものの考え方」に影響を与えてきたかを分析している。著者の若林芳樹さんは首都大学東京大学院都市環境科学研究科教授で、行動地理学、都市地理学、地理情報科学を専攻している。
デジタル地図の便利な機能が「空間認知」を妨げる
では、地図はどのように進化してきたのだろうか。
『地図の進化論』で「地図の起源」として紹介されているのは、北イタリアにあるカモニカ渓谷で発見された「べドリーナ図」だ。イタリア初の世界遺産である線刻画群の中にある岩絵だ。紀元前1500年頃に当地で暮らしていたカムニ族が描いたものとされる。
べドリーナ図には、山麓に広がる村の景観が幾何学的な記号で表現されている。その場にいなくても「どこに何があるか」という空間情報が得られるように作製されている。
地図の素材は岩や粘土板から、布や皮、紙、そして電子媒体へと変遷を遂げた。しかし、「空間情報の共有」というその役割は先史時代から現在にいたるまで変わっていないことがわかる。
ただし、とくに紙から電子媒体に移行する過程で、地図の機能は大きく進化した。グーグルマップなどのデジタル地図では「ピンポイント検索」が可能だ。地名や住所、駅名、建物の名前などを入力して検索すると、その場所にフォーカスし、ピンを立てるなどの表示をしてくれる。また、自在に縮尺を変えることもできる。いずれも紙の地図では考えられなかった便利な機能だ。
だが『地図の進化論』で若林教授は、ピンポイント検索には「視野を狭くする」弊害があると指摘している。さらに縮尺が可変なことで「スケール感覚が麻痺する」危険性があるという。つまり、せっかくこれまで地図で鍛えられてきた人間の空間認知能力が、地図が便利になることによって将来的に衰退していく懸念があるというのだ。
今でもグーグルマップのストリートビュー機能で現実の風景を疑似体験できる。だが、これから、VR(仮想現実)で世界中のバーチャル旅行が可能になるのは間違いないだろう。そうすると、私たちの「地図から現実を想像する」力は、ますます衰えていくのではないか。
空間認知がうまくできなくなると、抽象思考が阻害される。あらゆる科学は抽象思考のおかげで進歩してきたので、もしかすると「(デジタル地図などの)科学技術の進化が科学の進歩を妨げる」という、皮肉な状況が生まれることも考えられなくはない。
それでは、かほどに大切な空間認知能力を失わないために、私たちは何をすればいいのか。若林教授は、NHKの人気番組『ブラタモリ』のような「まち歩き」を推奨している。地図を片手に、現実の空間と見比べながらぶらぶらと歩き回るのだ。その時は、もちろん紙の地図を使う。デジタル地図を使ってもいいが、スケールを固定し、ピンポイント検索は使わないようにすべきだ。
インターネットが普及する前には、紙の冊子の「鉄道時刻表」を見ながら架空の旅程を組み、“妄想旅行”をする人が結構いた。それを見直して、紙の地図も使いながらやって見るのもいいだろう。きっと楽しいはずだ。
お子さんがいるならば、一緒にまち歩きをするのもいい。それによって子どもの空間認知が磨かれ、モンテッソーリ教育と同様の効果があるかもしれない。親子の絆も深まるし、一石二鳥だ。
抽象的な思考力が鍛えられれば、ビジネスにおける意思決定やアイデア創出にも役立てられる。一言でいえば「頭が良くなる」のだ。抜群の「教育力」を持つツール「地図」を活用しないのはもったいない。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
-地理空間情報と人間の未来
若林 芳樹 著
創元社
240p 1,800円(税別)>
ニュースイッチオリジナル