山本元マツダ社長死去、「ロータリーエンジン」復活への道のり
「飽くなき挑戦」という言葉、今も精神的な支柱に
マツダ名誉相談役で会長、社長を務めた山本健一(やまもと・けんいち)氏が20日、死去した。95歳だった。山本氏は1960年に発売した同社初の乗用車「R360クーペ」の開発責任者を務めた後、ドイツメーカーと提携し技術導入したロータリーエンジンの開発を率いた。マツダの戦後の成長を支えた象徴的な技術者。山本氏の残した「飽くなき挑戦」という言葉は、今日も同社の精神的な支柱となっている。
マツダは4月上旬、次世代ロータリーエンジン(RE)「RENESIS(レネシス)」を搭載した新型スポーツカー「RX―8」を発売する。一時は撤退も取りざたされたREだが、13年ぶりにフルモデルチェンジ、新時代のREとして復活した。これを可能としたのは、開発力と生産技術。マツダは21世紀もREを差別化シンボルとしてサバイバルレースに臨む。
レネシスは90年に量産を始めた2ローター・ターボREの後継エンジン。その原型が登場したのは、95年の東京モーターショーだ。ターボをなくし小型・軽量化しながら、V6レシプロエンジン並みの出力とトルクを達成した。ネックだった燃費も1リットル当たり約10キロメートルに改善。日米欧の排ガス規制をクリアした。これで世界の主要市場をターゲットにできるようになる。規制に対応できず、02年8月にスポーツカー「RX―7」を最後に生産中止を余儀なくされた原因を完全に解消した。
マツダが世界で唯一、量産するREは2度のオイルショック後、燃費の悪さが市場で糾弾され急失速した。当初、マツダの経営権を握るフォードもREには冷淡で、リストラでREの設計図を描ける技術者が3人にまで削減されていた。
存続さえ危ぶまれた中で細々と継続したのは、マツダのブランド再構築戦略がからむ。スポーティーなブランドで差別化と経営再建を図る方針が決まり、“車庫”入りしていたREが再び路上に引っぱり出されたのだ。
99年の東京モーターショーに出展したRX―8のコンセプトカーの好評も追い風となった。予算や人員が急増し、RX―7でいったん途絶えたRE車は、RX―8でよみがえることになった。
レネシスは吸・排気口を従来のローター正面から側面に移し、燃焼効率を根本的に改善した。燃焼室の高精度な密封シール技術などの新開発技術も、随所に生されている。しかし、羽山信宏執行役員は「レネシスは開発と生産の融合がなければ生まれなかった」と振り返る。マツダには巨費を投じる余裕はない。このため、いかに生産技術で低コスト化できるかが課題だった。
そこで生産段階では、以前からのRE生産設備を約70%活用することにした。36年前の古い工作機械も制御装置や切削軸を取り換えて、見事な新鋭機に復活させた。新たに導入した工作機械は高速加工機やロボットなど10台前後で、加工機に限れば投資額は数十億円以内といわれる。「従業員から募った生産効率化のアイデアをしらみつぶしに具体化、最小投資でリニューアルした」(羽山執行役員)。
ほかにもマツダのコンピューターによる開発生産技術「MDI」での精密鋳造や精密加工、品質工学など独自技術を総動員し生産を簡素化した。生産規模は月7000基だが「5000基でとんとん」(マツダ関係者)の超低コストラインに生まれ変わった。「REラインだけは素材から加工、組み立てまでフォードの影響を排除した」(同)マツダの“聖域”を築いた。
ルイス・ブース社長は「REはマツダのスピリット」と公言する。とはいえ、REはレシプロやディーゼルとは似て非なるエンジン。素材も生産方式も異なる。生産規模が伴わないと、やはり効率が悪い。カギを握るのはRX―8の売れ行きだ。
スポーツカーとしては珍しい4ドア・4座席。価格は標準モデルで240万円に抑える。2ドアのRX―7とは明確に顧客層を分け、ミニバンなどセダンから離れたファミリー層を狙う。欧米を含め6万台以上が販売目標とみられ“ファミリースポーツ”の市場を開拓、快走することがRX―8に課せられている。
「新型車は滑り出しはよいが、後が続かない」(マツダ関係者)のが宿命。RX―8の車台(プラットフォーム)を利用したオープンカーなどの派生車開発を検討している。だが、それもRX―8の売れ行き次第。ブース社長も「派生車の投入は3―4年かけて検討したい」と、慎重運転だ。
すでにハイブリッドや燃料電池エンジンが実用化されている現在、REはいかに進歩しても「20世紀」のエンジンだ。しかも1社しか生産しない自動車市場の「孤児」でもある。開発の初期にはエンジンや技術の供与交渉もあったが、独自路線を歩んだことがマツダのアイデンティティーとなり、半面でRE市場を拡大できない要因となった。
いまやREはマツダ車以外には、コジェネレーションシステムの原動機にしか使われなくなっている。「わが社も02年は新型のレシプロエンジンとディーゼルエンジンを開発した。ハイブリッドや燃料電池ではフォードと緊密に協力している。
なぜいまREかと問われれば、ビジネスだけでなくマツダスピリットの高揚なのだ」(ブース社長)。この公式発言とは裏腹に「ファミリースポーツ」という新市場へのハンドルさばきに自信を見せている。
(文=田井茂)
※内容、肩書は当時のもの
「RX―8」で復活
マツダは4月上旬、次世代ロータリーエンジン(RE)「RENESIS(レネシス)」を搭載した新型スポーツカー「RX―8」を発売する。一時は撤退も取りざたされたREだが、13年ぶりにフルモデルチェンジ、新時代のREとして復活した。これを可能としたのは、開発力と生産技術。マツダは21世紀もREを差別化シンボルとしてサバイバルレースに臨む。
レネシスは90年に量産を始めた2ローター・ターボREの後継エンジン。その原型が登場したのは、95年の東京モーターショーだ。ターボをなくし小型・軽量化しながら、V6レシプロエンジン並みの出力とトルクを達成した。ネックだった燃費も1リットル当たり約10キロメートルに改善。日米欧の排ガス規制をクリアした。これで世界の主要市場をターゲットにできるようになる。規制に対応できず、02年8月にスポーツカー「RX―7」を最後に生産中止を余儀なくされた原因を完全に解消した。
マツダが世界で唯一、量産するREは2度のオイルショック後、燃費の悪さが市場で糾弾され急失速した。当初、マツダの経営権を握るフォードもREには冷淡で、リストラでREの設計図を描ける技術者が3人にまで削減されていた。
存続さえ危ぶまれた中で細々と継続したのは、マツダのブランド再構築戦略がからむ。スポーティーなブランドで差別化と経営再建を図る方針が決まり、“車庫”入りしていたREが再び路上に引っぱり出されたのだ。
99年の東京モーターショーに出展したRX―8のコンセプトカーの好評も追い風となった。予算や人員が急増し、RX―7でいったん途絶えたRE車は、RX―8でよみがえることになった。
旧ライン活用で聖域守る
レネシスは吸・排気口を従来のローター正面から側面に移し、燃焼効率を根本的に改善した。燃焼室の高精度な密封シール技術などの新開発技術も、随所に生されている。しかし、羽山信宏執行役員は「レネシスは開発と生産の融合がなければ生まれなかった」と振り返る。マツダには巨費を投じる余裕はない。このため、いかに生産技術で低コスト化できるかが課題だった。
そこで生産段階では、以前からのRE生産設備を約70%活用することにした。36年前の古い工作機械も制御装置や切削軸を取り換えて、見事な新鋭機に復活させた。新たに導入した工作機械は高速加工機やロボットなど10台前後で、加工機に限れば投資額は数十億円以内といわれる。「従業員から募った生産効率化のアイデアをしらみつぶしに具体化、最小投資でリニューアルした」(羽山執行役員)。
ほかにもマツダのコンピューターによる開発生産技術「MDI」での精密鋳造や精密加工、品質工学など独自技術を総動員し生産を簡素化した。生産規模は月7000基だが「5000基でとんとん」(マツダ関係者)の超低コストラインに生まれ変わった。「REラインだけは素材から加工、組み立てまでフォードの影響を排除した」(同)マツダの“聖域”を築いた。
「20世紀」のエンジン
ルイス・ブース社長は「REはマツダのスピリット」と公言する。とはいえ、REはレシプロやディーゼルとは似て非なるエンジン。素材も生産方式も異なる。生産規模が伴わないと、やはり効率が悪い。カギを握るのはRX―8の売れ行きだ。
スポーツカーとしては珍しい4ドア・4座席。価格は標準モデルで240万円に抑える。2ドアのRX―7とは明確に顧客層を分け、ミニバンなどセダンから離れたファミリー層を狙う。欧米を含め6万台以上が販売目標とみられ“ファミリースポーツ”の市場を開拓、快走することがRX―8に課せられている。
「新型車は滑り出しはよいが、後が続かない」(マツダ関係者)のが宿命。RX―8の車台(プラットフォーム)を利用したオープンカーなどの派生車開発を検討している。だが、それもRX―8の売れ行き次第。ブース社長も「派生車の投入は3―4年かけて検討したい」と、慎重運転だ。
すでにハイブリッドや燃料電池エンジンが実用化されている現在、REはいかに進歩しても「20世紀」のエンジンだ。しかも1社しか生産しない自動車市場の「孤児」でもある。開発の初期にはエンジンや技術の供与交渉もあったが、独自路線を歩んだことがマツダのアイデンティティーとなり、半面でRE市場を拡大できない要因となった。
いまやREはマツダ車以外には、コジェネレーションシステムの原動機にしか使われなくなっている。「わが社も02年は新型のレシプロエンジンとディーゼルエンジンを開発した。ハイブリッドや燃料電池ではフォードと緊密に協力している。
なぜいまREかと問われれば、ビジネスだけでなくマツダスピリットの高揚なのだ」(ブース社長)。この公式発言とは裏腹に「ファミリースポーツ」という新市場へのハンドルさばきに自信を見せている。
(文=田井茂)
※内容、肩書は当時のもの
日刊工業新聞2003年2月26日