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『宇宙から地球を見に行こう』と応募―宇宙飛行士・向井千秋さん

日本の宇宙開発「企業参入促す仕組みを」
 ―宇宙飛行士になったきっかけは
 「心臓外科医をしていた当時、新聞に宇宙飛行士募集の記事が載っていたのがきっかけだ。『宇宙飛行をしたい』というよりは『宇宙から地球を見に行こう』というノリで応募した」

 ―医師出身の宇宙飛行士になって気付いたことは。
 「医学は『臨床』『研究』『教育』が3本柱。臨床の部分が宇宙では『運用』に代わるのだと思った。スペースシャトルを利用した生命科学の宇宙実験の専門乗組員として搭乗し、朝と夜の2交代制で24時間実験に取り組んだ」

 「耳の機能の検査や下半身に血液が偏る『体液シフト』の検査などは医学的な立場から面白いと思った。また医師である自分が被験者となる経験も貴重だった」

 ―宇宙で印象的だった出来事は何でしょう。
 「地球へ戻った時の重力との再遭遇が大きな驚きだった。地球には重力があり、物が置かれていることが当たり前。だが宇宙空間では物を何かに接着し固定しなければ浮いてしまう。宇宙に慣れて地上へ戻ると、今度は多くの現象が目新しく見えた。重力について深く考察したニュートンやアインシュタインはやはりすごいと思った。また宇宙から見れば『地球環境の方が特殊なのではないか』と実感するようになった」

 ―東京理科大学で宇宙教育に取り組んでいます。
 「教育は学生の自己実現のための道具だと思っている。自分の夢をかなえるために活用してほしい。宇宙分野では他のさまざまな分野とのチームワークが大切になる。各分野の専門家たちから、宇宙の最前線についての話を聞く教育プログラムを導入しているが、こうした機会は学生に大きな刺激となるだろう。自分の可能性を広げて挑戦する人々がワクワクできるような未来にしたい」

 ―今後の日本の宇宙開発に期待することは。
 「日本の宇宙市場はロケットや衛星に関するものがほとんどで、規模としては非常に小さい。ところが、海外では多くの投資家が宇宙産業に投資している。日本は宇宙滞在技術にポテンシャル(潜在能力)がある。まず地上で実用化できる製品や技術を作る仕組みを構築し、企業参入を促すべきではないか。日本が得意なリサイクルや高効率を追求する技術を生かせれば世界をリードすることができるだろう」
(聞き手=冨井哲雄)
【略歴】むかい・ちあき 77年(昭52)慶大医卒、同年慶大医外科学教室医局員。85年米航空宇宙局(NASA)のスペースラブ―Jのペイロードスペシャリストに選定、94年スペースシャトル・コロンビア号搭乗、98年STS―95に搭乗、12年宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙医学研究センター長、15年東京理科大副学長。医学博士。群馬県出身、65歳。
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
向井さんはアジア初の女性宇宙飛行士として94、98年に2回の宇宙飛行をした。現在は大学で教育に従事する。特に注目するのが衣食住に関わる宇宙滞在技術だ。米国が月探査の再開に向けて大きくかじを切ったことで、こうした日本の技術が脚光を浴びる可能性がある。宇宙を経験した教育者として、技術開発のけん引役になってほしい。 (日刊工業新聞 編集局科学技術部 冨井哲雄)

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