花巻の奇跡!なぜ「箸で食べるソフトクリーム」は1年で復活できたのか 

北山公路オフィス風屋代表に聞く。若者たちが地域の価値を再発見

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マルカンビル大食堂公式フェイスブックページより
 ―著書「マルカン大食堂の奇跡」では地方デパートの大食堂閉店から復活まで激動の1年を取り上げています。
 「2016年3月、地域住民に長年愛されてきたマルカンデパートが閉店すると発表があった。憩いの場だった6階の大食堂も廃業されることになり、市民の間で保存を求める声が高まった。高校生が始めた署名活動では、人口10万弱の花巻市で約1万人の署名が集まった。多くの障壁があったが、リノベーション会社の花巻家守舎(岩手県花巻市)が経営を引き継ぎ、翌17年2月に再開した。おとなしい花巻市民がここまで熱心になるのは珍しい」

 ―再開運動をそこまで盛り上げたものは。
 「マルカン食堂は子どもからお年寄りまで、すべての世代にとって思い出の場所。市民にとって、『あるのが当たり前の場所』がなくなる驚きがあった。東日本大震災に匹敵するほどの衝撃だった。またシャッター街となった街で、唯一にぎわいを見せていた食堂がなくなれば『いよいよ花巻は終わりだ』という危機感があった」

 ―執筆のきっかけは。
 「応援グッズ『マルカン思い出写真集』を作ったり、花巻家守舎の活動をサポートしたりする中で執筆を決意した。一連の運動を記録に残そうと思った。以前、盛岡で地元民の思い出の詰まった場所が簡単に取り壊されていることを嘆いている人を見た。花巻市民にできたことは、盛岡の人はもちろん、誰にでもできると訴えたかった」

 ―食堂再開を導いた最大の要因は。
 「なんと言っても、花巻家守舎の社員ら若い人が前に出たこと。それを地元の有力者が陰でサポートしたことが大きい。地元経済界の旦那衆も閉店問題を大変気にしていたが、資金面の支援などに終始した。彼らが表に出ていれば、若者たちは引き下がっていたかもしれない。食堂の再開が決まった時、花巻商工会議所会頭からの祝辞があった。冷静な人というイメージだったが、その時の感情のこもったメッセージに目頭が熱くなった」

 ―再開後に変化はありましたか。
 「調理場などは改装されているが、お客さんの目に見える部分はほとんど変わっていない。食堂の内装なども以前のまま。大きく変わったのは、むしろ市民の価値観の方だ。それまで新しい挑戦をしようとする人がいても、保守的な考えに邪魔されて表に出られなかった。今回の大波によって不純物が洗い流され、面白い取り組みをする人がどんどん出てきた。今後はマルカン食堂を核に、皆で魅力ある街づくりを進めていくようになる」

 ―本書を通して伝えたいことは。
 「古いものにはたくさんの物語が詰まっている。そこには新たなコミュニティーを生み出す力があり、今回の運動でもたくさんの人とつながりができた。このつながりこそが一番の奇跡だと思う。他県に出ていたが、『面白そうだ』と花巻に帰ってくる若者もいる」

 「新しいものを作ることは簡単だが、単純にハードを新しくしても求心力は生まれない。物語を大切にして地域の埋もれた価値を再発見することが、地方創生の一つのカギになる」
(聞き手=東北・北海道総局 田畑元)
北山公路氏 

【略歴】84年(昭59年)日大文理卒、90年山口北州印刷入社。役員を務めた後、14年退社。15年にオフィス風屋を立ち上げ代表に就任。日本ペンクラブ会員。岩手県出身、57歳。著書『マルカン大食堂の奇跡 岩手・花巻発!昭和なデパート大食堂復活までの市民とファンの1年間』(双葉社)

日刊工業新聞2017年10月2日「著者登場」より

COMMENT

 なくなって初めて気付く価値って、ありますよね。私も花巻市の出身で、実は著者の北山さんは同級生のお父様でもあります。マルカンデパートの閉鎖が決まった時の衝撃はやはり大きく、あの食堂と、「箸で食べるソフトクリーム」という看板商品がなくなることに猛烈なさみしさを覚えました。花巻出身者としてのアイデンティティーの一つになっていたと、初めてその時に気付かされました。 「誇れるもの」に気づき、それを守っていくことは大事ですね。再開できて、本当に良かった。

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