ニュースイッチ

METI

“ものづくり”にも栄枯盛衰、鉱工業指数ウェイトでみる戦後60年

 戦後の産業構造の変化を、鉱工業指数ウェイトで振り返る。鉱工業指数のウェイトとは、5年ごとの基準年に指数採用品目の生産により生み出された付加価値額で、品目、業種を積み上げる(加重平均する)際に用いる。いわば、品目、業種の日本の製造業に占める「重み」「重要さ」のようなものだ。

 ウェイトは5年ごとに作成されるので、この「製造業に占める重み」の変化を振り返ると、長期的な製造業の構造変化を跡づけることができる。今回は、通期で確認できるよう再編した10業種で、昭和30(1955)年から平成22(2010)年までの60年を振り返ってみる。
                     

昭和30年 戦後復興から世界一へ


 まずは戦後復興に湧いた、昭和30年基準。大きく目を引くのが、繊維工業と鉱業である。繊維工業では、今もなじみのある化学繊維と並び、「スフ」のウェイトが大きくなっていた。スフは綿など天然繊維の代用品としてパルプから作られていた繊維で、後にナイロン等に取って代わられ衰退してしまうが、この時期世界第1位の輸出を誇っていた。
 
 一方の鉱業では、その7割近くを石炭が占めていた。今はもう炭鉱跡に僅かな痕跡を残すのみだが、日本のエネルギーを支える基幹産業として石炭鉱業が活況を呈していた時代が、確かにあったのである。
                

昭和50年 高度経済成長の黄昏


 続いて昭和50年基準。東京オリンピックの成功、国民総生産第2位となったこともつかの間、変動相場制への移行、第1次オイルショックと大きな揺さぶりを経験した直後の頃だ。
        
 はん用・生産用・業務用機械工業、電気機械工業、輸送機械工業が大きくなっている。電気機械でいうと、ビデオレコーダー普及の一助ともなった、今はなきベータマックス方式が発売されたのも、ちょうどこの年だった。
                

平成2年 バブルの夢


 平成2年基準。年号が昭和から平成に変わった。バブル崩壊寸前の、空前の活況がまだ続くと多くの人が信じていた頃だ。この頃は電気機械工業が一大産業となっていた。エアコン、テレビなどの家電や半導体など、多くの製品が生産され、日本の製造業をけん引していた。
                  

平成22年 そして低成長期へ


 そして、現行の平成22年基準だ。平成2年からの俗に「失われた20年」とも呼ばれ多くの産業が苦しむこの時期にウェイトを増やしたのは輸送機械工業で、20年で約1.6倍となった。ただ、これは輸送機械工業自体が伸びたことはもちろんありますが、全体のパイが縮小していることも影響している。ウェイトを作成する際の基準金額は平成2年をピークに減少しており、この20年で30%近く減少している。輸送機械工業の他には、他の産業が落ち込む中で、電気機械工業と化学工業は微増となっている。
 
                       
     
 最後に、平成22年基準を昭和30年と比較すると、縮小したのは鉄鋼業や繊維工業、鉱業などで、一方躍進したのははん用・生産用・業務用機械工業、電気機械工業、輸送機械工業と、今まで名前の挙がった産業である。日々の変化が10年、20年と積み重なった結果と言える。
 
 戦後60年間、産業構造は刻々と変化してきた。平成22年以降も、東日本大震災や消費税率の引き上げなど、鉱工業指数を大きく動かした経済イベントも多く、おそらく製造業の構成も大きく変化したと思われる。足下の日本の姿は、現在改定作業を行っている平成27年基準の鉱工業指数ウェイトでお見せできればと考えている。
                     
尾本憲由
尾本憲由 Omoto Noriyoshi 大阪支社編集局経済部
かつての家電大国、電子立国の面影もないのに、電気機械工業がそこそこ頑張っているのが不思議なところ。もちろんその中身はガラッと変わっているのだろうが・・・。今後、電気自動車(EV)がますます台頭してきたら、自動車向け部品のかなりの部分が電気機械工業にカウントされてしまうのだろうか。それはそれで悪い話ではないが、子どものころから電気製品に心躍らせてきたオジサンとしては微妙な気持ではある。

編集部のおすすめ