“国鉄マン”に憧れた変わり者、出向で「ホームドア」と巡り会う

「達成感ってありますか」。村木克行が酒席で若手から、こう質問されたことはJR東日本からグループ会社のJR東日本メカトロニクス(JREM)に出向して以降、一度や二度ではない。村木も若手も日々、ホームドアの管理に忙殺されていた。だが、グループ外部の企業が設計した製品の品質向上に当たっても抜本的な対応にはつながらないのではないか。若手のそういう気持ちもわかった。 一方、「一から開発設計したいならやりたいって言わないと」とも心の中で呟いていた。それは「変わり者」の自覚がある村木だから可能なのかもしれないが。 村木は昔から“国鉄マン”に憧れを抱いていたが、大学の学部の時も大学院の時も募集がなかった。国鉄(現JR)は民営化への過渡期だった。大学院修了後、大手メーカーに就職するも諦めきれず、民営化直後にJR東に転職した。 村木の人生を決定づけたのは転職して4年目だ。当時、JR東は車両を外注していたが自社製造する部門が立ち上がり、村木はそこに配属された。結果的に11年を過ごしたその部署で、部門のシステムなどを担当し、社外を巻き込み、一から多くのことを立ち上げた。村木が「新しいことを始めることに免疫ができた」と語る、ここでの経験が後にホームドアの開発に期せずして役立つことになる。 11年にJREMに出向が決まった時、村木は決めていた。「おとなしく自分の仕事をしよう」。エンジニアの習性か、実現の可能性に関係なく、こうすれば、ああすればと考えてしまうのは長所であり短所でもあった。 JR東の組織改編があり、JREMにホームドア事業が移管され、村木は担当になった。「こういうホームドアがあれば」とアイデアがいくらでも浮かんだが、システムの品質管理のプロジェクトに追われた。プロジェクトが一段落した時に開かれた会議が村木とJREMの未来を変えることになる。(敬称略) <関連記事>

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