企業が掲げる「環境経営」に足りないもの

平成の環境産業史(7)

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 日本の2017年度の温室効果ガス排出量は、1990年度(平成2)と比べ1700万トンほど増加した。多くの省エネルギー技術を開発した日本の産業界には“環境立国”の自負があるが、平成の30年間、国内の温暖化対策は進まなかった。  平成初期の企業を取材した元日刊工業新聞記者の山口民雄氏(循環型社会研究会理事)は、「環境対策は費用がかかるので、経済の足を引っ張ると考える経営者が大多数だった」と振り返る。それが91年、経団連が「地球環境憲章」を公表すると「二の足を踏んでいた経営者が動き始めた」(山口氏)。  96年に環境管理システムの国際規格「ISO14001」が登場すると企業の環境対策が加速する。“環境先進企業”の証を求めて大企業が競うように認証を取得した。環境担当役員を置く企業も増えた。「環境経営」という言葉も知られるようになる。98年、リコーが「環境経営」への取り組みを表明し、「環境保全と事業成長を同時に実現する」と定義すると、産業界の各社に広がった。  今はどの企業も当然のように環境経営を掲げるようになったが、日本の温暖化対策は停滞した。元環境庁(現環境省)地球環境部長の加藤三郎氏(現環境文明21顧問)は「05年から日本の努力が減った」と分析する。同年、先進国に温室効果ガス削減義務を課した京都議定書が発効した。  しかし、当時の最大排出国であった米国が議定書から離脱したことにより、「日本の経営者は“不平等条約”と口々に言い、真剣に取り組まなくても良い雰囲気になった」という。  京都議定書の後継として20年に始まる温暖化対策の国際ルール「パリ協定」は、今世紀後半に排出を実質ゼロにする「脱炭素」を目指す。日本も脱炭素を目標とすることに産業界は反対していないが、加藤氏は「表面だけは『脱炭素をやる』と言っている」と手厳しい。  海外企業は異常気象が多発すると事業を持続できないと警戒し、再生可能エネルギーの普及を政府に働きかけている。一方、日本企業には危機感が足りず、厳しい対策には躊躇している。  山口氏は「日本企業は環境経営とサステナビリティー(持続可能性)が結びついていない」と指摘する。本来は社会、企業活動とも持続可能にするために取り組むべき環境経営が、企業イメージ向上などの目的にとどまってしまった。「令和」の時代が始まり、気候変動問題と真剣に向き合う環境経営が求められる。 (文=松木喬)  1989年から始まった平成時代、気候変動、フロンや有害化学物質規制など、企業は次々と押し寄せる環境問題への対応に追われました。一方で太陽電池、エコカー、省エネルギー家電といった技術が育ち、「環境経営」という言葉も定着しました。企業活動に影響を与えた平成の環境産業史を振り返り、新時代の道しるべを探ります。

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