組合解散の危機…国産ホップ再興へ、岩手・遠野市に現れた救世主
ビールの原料である国産ホップの栽培農家が減り続けている。最大の産地である岩手県遠野市でも、ホップ農家の組合は解散寸前だ。その遠野で移住者や農家、行政などが協力し、希少となった国産ホップを武器にした街の活性化に取り組んでいる。新規就農者が増えており、ホップ栽培を持続可能にする兆しが見え始めた。(編集委員・松木喬)
組合解散の危機 輸入品に苦戦… 減反で農家半減
11月中旬、日差しがあっても冷たい風が吹く冬空の下、70代の菊池光一さんはホップ畑で作業をしていた。夏に収穫を終えており、残るのは根本の株だけ。夫人と2人で株から毛のような細いツルを取り、凍結を防ぐために土をかける。春になると株からツルが伸びて成長し、ビール原料となる毬花(まりばな、雌株)を付ける。
「ここは借りている畑。向こうもそう」。手を休めた菊池さんが教えてくれた。栽培を止めた農家から託された畑だ。一つの畑でも1000株以上ある。本格的な冬が近付いており、作業を急ぐ。
遠野でホップ栽培が始まったのは1960年代。冷害による米の不作に悩まされていた農家が、冷涼な気候に適したホップ栽培に乗り出した。栽培農家が239戸となった70年代に最盛期を迎え、以降は輸入ホップに押されてきた。遠野ホップ農業協同組合の安部純平組合長は「減反に補助金が出ると3、4年で半減した」と振り返る。今、組合員は21人、農家は17戸になった。
組合はキリンビールと栽培契約を結んでおり、収穫後は決まった価格で買い取ってもらえる。安定しているようだが、収量は天候に左右される。台風の襲来で収穫がゼロだった年もある。「農家は高齢化しており、限界」(安部組合長)と表情を曇らす。組合は生産者が15人を割ると解散しないといけない。
この救世主となりそうなのが新規就農者だ。関東や関西から移住してホップ栽培を始める人が現れている。安部組合長は「お金だけではない価値を感じていて、楽しそうだ」と頼もしそうに語る。
移住就農者が救世主 「ビールの里構想」主導 世界で戦える基盤形成
JR遠野駅近くに事務所を構えるBrewGood(ブリューグッド、岩手県遠野市)が就農者を募集している。和歌山県出身の田村淳一代表が18年に起業した会社だ。24年は春に3人、秋に3人を採用し現在、研修中だ。いずれも「ホップ農家が抱える問題を解決しようとする当事者意識がある」と太鼓判を押す。
田村代表はリクルートに就職したが、地方で働きたいと16年に退社。震災復興が進む東北地方を巡り、遠野を選んだ。当初は別の仕事をしたが、遠野産ホップを地域活性化につなげるプロジェクト「ビールの里構想」に携わるようになった。
当時もホップ農家は減っていたが、「ホップに可能性を感じた。なぜならビールの味を左右する原材料であり、海外では生産が競争になっている。栽培基盤を確立すれば世界で戦える」と思った。
他の移住者と出資して18年、クラフトビールを飲める醸造所を開業した。その前年の17年秋、渡米して米国の起業家との会合に参加した。「醸造所を立ち上げると自己紹介すると祝福してくれた」という。案内された現地の醸造所を訪ね、ホップ産地から来たと伝えると「醸造所の人の目の色が変わった」と興奮気味に述懐する。醸造所は新しいビールをつくろうと常にホップの情報を求めており、「ホップ栽培が強みになる」と確信した。
続いて視察したドイツの町で、ビールの里構想の推進者であるキリンビールの担当者から「地域主導でやってほしい」と口説かれ、構想のブランディングや企画を担うブリューグッドを立ち上げた。
起業後、行政や道の駅、観光、JR、醸造所などの関係者が集まる会議を定期的に開いている。成果の一つが「ホップ収穫祭」だ。ビールと地元食材を楽しみ、ホップ畑を見学するイベントで、毎年8月末に開かれる。15年の来場は2500人だったが、24年は1万3000人に増え、国内は九州、海外は台湾やポーランドからもビール愛好家が訪れた。
地元関係者の協力はもちろん、「キリンビールとの連携も大きい」(田村代表)と話す。同社は「遠野産ホップ」を前面に出した商品を販売しており、そのPR効果によって来場者が増え、新規就農者も現れるようになった。
だが、常に順調ではなかった。収穫祭に1万人以上が来場した19年ごろ、若手のホップ農家が次々と辞めた。「街づくりで盛り上がっても、農家は減り続けていた。栽培の課題解決に集中することにした」(同)と振り返る。
まずは課題解決 施設修繕進む 来春新醸造所
遠野市と相談し、収穫したホップを乾燥する共同施設の修繕費にふるさと納税を充てることを始めた。設備は老朽化しており、農家にとって修繕費の捻出が課題だった。24年度には収入アップにつながる収穫量増加のために土壌改良剤の補助、さらに畑の新設・拡張のための補助制度も創設した。
ホップの品種開発にも着手している。新しい品種が生まれると海外から連携や資金提供の打診があるかもしれない。そうなれば栽培面積を広げられる。
25年春には新しい醸造所を開業する。ビールの販売だけでなく、試験設備も置いて農家自らが栽培したホップでビールの味を確認できる場にする。「農家のモチベーションにつながる」と確信する。また、醸造所の利益の一部も栽培面積を拡大する費用に充てる。「醸造所ができるとホップ産業の景色が変わる」と言葉に力を込める。ホップ農家や街づくりの関係者にも、ビールのように金色に輝く未来の遠野が見えているはずだ。
地球温暖化への対応急務 屋内栽培・品種改良…
地球温暖化もホップ産地の驚異だ。安部組合長によると花が咲く時期が早くなっているという。ツルが十分に成長する前に開花すると収量が減る。「栽培方法を変えないといけないかもしれない」と頭を抱える。
世界各地で高温に強い品種の研究が始まっているが、68歳の安部組合長は「実用化が10年後とすると、それまでにホップ農家が残っているのか」と心配する。だが「先の事は分からない。だから、あきらめず努力するしかない」と落ち着いて話す。
キリンホールディングス(HD)も気候変動への適応を目指す研究をしている。23年にはCULTA(東京都小金井市)と共同で、ホップの屋内栽培技術を確立した。天候に影響されず、夏以外でも収穫できる。またキリンHDは、高温に強くするアミノ酸も発見した。実用化を進め、国内のホップ栽培の持続可能性に貢献する。