能登半島地震4分後に始動…企業連携組織「SEMA」入会希望絶えず、支援の輪拡大
市民団体から必要物資情報、適切な量を迅速に
能登半島地震が発生した元日の夕方、企業が調整して支援物資を送る緊急災害対応アライアンス「SEMA(シーマ)」が活動を始めた。21時前には加盟企業が物資の提供を表明。正月休み明けも被災地のニーズを聞き、これまでに37社が21万点近い物品を届けた。2017年の発足以後、最も大規模な災害であり、しかも年末年始休暇中の発生だったが、支援機能は揺るがなかった。(編集委員・松木喬)
SEMAはLINEヤフーが事務局を務める。災害時、被災地で活動する市民団体から現地が必要とする物資の情報提供を受け、事務局が加盟企業に伝える。物資を提供できる企業は必要な数量を送る。11年の東日本大震災や16年の熊本地震で必要以上の物資が届き、保管や仕分けが自治体職員の負担となった反省から発足した。
能登半島地震では発生から4分後の16時14分、SEMA事務局はメールを使い、災害支援を専門とする市民団体6者に「動きがあれば連絡がほしい」と発信した。同20分には当時の加盟80社にも連絡を入れた。LINEヤフーCSR本部災害支援推進部の藤岡久子氏は「休日でも、動ける人がすぐ動く体制をとっている」という。
16時32分には市民団体から「ヘリで現地に向かう」と連絡を受けた。被災地でカイロと防寒着が必要と判明した。19時35分、事務局は各社に「SEMAが稼働します」と連絡。20時55分には1社から「提供可能」と回答があった。元日でも事務局、市民団体、企業が連携できた。
2日には市民団体が石川県の穴水市や七尾市などに到着した。企業からも事務局に連絡が入った。藤岡氏は「要請があってから物資を送ると理解していても、何かできないのかという問い合わせがあった。心強かった」と振り返る。
4日には市民団体が七尾市に拠点を開設した。その地点までは企業が手配した方法で物品を運び、市民団体が各被災地に届けるようにした。道路が寸断され、被災地への直送が難しかったためだ。
発生から数日後、市民団体からウレタンマットや段ボールベッド、ブルーシート、ポータブル電源の要請が来るようになった。断水の影響があり、携帯トイレも2000個とか、4000個という単位でニーズがあったが、企業の協力ですべての物資を届けることができた。
10日あたりから依頼が変わり始めた。洗濯ができないため下着の要請が続いていたが、自衛隊が入浴支援を始めるとボディーソープやシャンプーのニーズが出た。炊き出しに必要な紙皿や紙カップ、おしぼりも増えた。
2月に入ると基礎化粧品や菓子、トイレットペーパー、ティッシュペーパーなど日常生活に近い物資が増加。また、市民団体が拠点で使ういすや机、Wi―Fi設備、パソコンの要望も出てきた。
2月22日時点で下着・肌着2万3356着、靴下7960足、非常用トイレを含む衛生用品1万9293個など合計20万9418点を被災地に提供した。37社が協力した。
入会希望が絶えず 支援の輪拡大、機能強化
SEMAは発足以来、夏場に発生する豪雨や台風被害を中心に支援してきており、飲料水の需要が多かった。今回は冬ということでカイロや防寒着、スープなどの温かい食事、布団のニーズが目立った。
また、過去よりも被害規模が大きく、長期支援に関わる課題も見えた。LINEヤフーCSR本部災害支援推進部の栗栖典夫三氏は、「物品によっては同じ企業にばかりお願いしている。長期間、1社だけが協力していると負担がかかる。業界の偏りがないように参加企業の幅を広げる必要があると感じた」と振り返る。
その点、能登半島地震後、入会希望が絶えず、20社増えて4日時点で加盟は100社・団体となって幅の広がりにもつながりそうだ。「今回の震災でもSEMAは基本的に機能した。企業が休業中でも市民団体から連絡が来た。その信頼に応えていきたい。市民団体や企業がより動きやすいように検証したい」(栗栖氏)と語る。東日本大震災から13年、いくつもの災害を経験して企業の救援・支援機能も強化された。