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ようやく日本自動車殿堂入り…「世界のトヨタ」礎築いた豊田章一郎氏の功績

日本人として7人目の米国自動車殿堂入りをしたのが2007年、「世界のトヨタ」の礎を築いた豊田章一郎氏(写真)がようやく日本自動車殿堂入りした。

章一郎氏の功績は枚挙にいとまがないが、創業家社長として繊細、緻密かつ大胆な経営者だった。初の乗用車専用工場である元町工場(愛知県豊田市)の建設が世界的企業への第一歩となった。70年代後半、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売はともに大きくなり軋轢(あつれき)があった。次期の自工社長と思われた章一郎氏が自販の社長となって販売店を回り、その後に工販合併を成し遂げ初代社長となることで、人の気持ちと組織を固めた。

日米貿易摩擦が激しくなった84年には、米国にゼネラル・モーターズとの合弁工場「NUMMI」を設立、日米の企業が協力して経済摩擦を回避した。米フォード・モーターとの提携交渉が決裂した直後の意思決定は、当時の豊田英二会長、章一郎社長という創業家出身者でなければできない決断だった。その後の世界各地の現地生産につながっている。

自動車業界初の経団連会長、愛知万博の成功、英イートン校をモデルにした全寮制学園の設立、チーム名に社名を付けずJリーグへの参加を決めるなど、あらゆる分野で日本の未来のために汗をかいた。どの場面でも章一郎氏が現れると周囲の緊張が一気に高まった。だが普段は口数少なくニコニコと穏やか、時折にやっと笑って冗談で人を煙に巻く、なんとも言えない魅力を持っていた。 

長男の豊田章男トヨタ会長は表彰式で「『新しい物を作るために知恵を絞り汗をかき熱中する瞬間が楽しい。それを誰かが使って喜んだり助かったりした時、この上なく感動する』という言葉が忘れられない」とあいさつ、根っからの技術者でもあった。

日刊工業新聞 2023年11月15日

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