次世代太陽電池「ペロブスカイト」の生みの親が明かす誕生の舞台裏と反省
次世代太陽電池の本命とされる「ペロブスカイト太陽電池」。その生みの親である桐蔭横浜大学特任教授の宮坂力さんが、書籍「大発見の舞台裏で!ペロブスカイト太陽電池誕生秘話」を執筆した。ペロブスカイト太陽電池の研究開発の経緯のほか、自身の学生時代や富士フイルム在籍時代などを明かした一冊だ。本書を執筆した理由や、ペロブスカイト太陽電池の誕生や発展に至る舞台裏とその時の思いなどを聞いた。(聞き手・葭本隆太)
【新刊・予約受付中】素材技術で産業化に挑む-ペロブスカイト太陽電池宮坂力:81年東京大学大学院工学系研究科合成化学博士課程修了後、富士写真フイルム(現富士フイルム)入社。01年桐蔭横浜大院教授、04年ペクセル・テクノロジーズを設立し、代表取締役。09年にペロブスカイト太陽電池の論文を発表。17年桐蔭横浜大特任教授ならびに東大先端科学技術研究センター・フェロー。主な受賞にクラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞、加藤記念賞などがある。
若い研究者を後押ししたい
-本書を執筆した背景を教えて下さい。
(元々は出版社から依頼があったのですが、)当初は自分自身を紹介するような本に気恥ずかしい思いがありました。ただ、日本におけるペロブスカイト太陽電池の研究は海外に比べて今ひとつ力が不足しています。その中で、こうした本を通して(研究に注目が集まり、)研究者の後押しになれば、社会貢献できると思いました。それに日本発の技術はこれからどんどん生まれて欲しいですよね。ペロブスカイト太陽電池という技術がどのように発見されたのかを紹介し、若い研究者の参考になればという思いもあります。
-ペロブスカイト太陽電池の仕組みを易しく紹介されるなど、一般の読者も意識されているように感じました。
(本書を通して)一般の人にもサイエンスを楽しんでもらいたいと考えました。そのため、日常生活に関連したエネルギーの知識を多く盛り込みました。
ユニークな研究を絶やしたくなかった
-ペロブスカイト太陽電池の誕生の背景に人と人のつながりがあったと語られています。その一つが2006年に当時、大学院生だった小島陽広さんを研究室に迎えたことですね。小島さんは先生が研究されていた「色素増感太陽電池(※1)」において色素の代わりに「ペロブスカイト」を使って太陽電池を作りたい考えをお持ちでした。
富士フイルム時代に「色素増感」に取り組み、基板をフイルムに置き換えたものを独自に作り上げました。その技術を桐蔭横浜大学に持ってきて研究を続けたところ、性能がどんどん伸びました。それにより研究室の知名度が上がり、(色素増感太陽電池の権威である)スイス連邦工科大学ローザンヌ校のマイケル・グレッツェル教授との交流も生まれました。研究室が有名になった中で、紹介を受けたのが小島くんです。色素増感で大きな旗を揚げていなければ彼は研究室に来なかったでしょう。
※1色素増感太陽電池:色素が光を吸収して電気に変える仕組みを使った有機系太陽電池
-ペロブスカイトを用いた小島さんの研究で初めて電気応答があった時を覚えていますか。
研究室で定期開催していた進捗発表会で報告を受けました。正直、駄目ではなくて良かったという受け止めで、特別な驚きはありませんでした。(研究室は)色素増感を中心に研究しており、それに比べると変換効率は低く、とても不安定でしたから。
-ただその後、就職予定だった小島さんを先生が客員教授の席を得ていた東京大学大学院の研究室に引き留めます。それはなぜですか。
研究に発展の可能性を感じていたことと、ユニークだから絶やしたくない思いがありました。小島くんは1人でコツコツ研究していたので、もし彼が離れたら研究が止まってしまいます。変換効率は(20%を超えた)現在ほど向上するとは思っていませんでしたが、(研究を続ければ)一定程度は上がると見込んでおり、小島くんに頑張って欲しいと思いました。ただ、結局3年間で4%程度までしか伸びませんでした。
ペロブスカイト太陽電池はその後、英国オックスフォード大学のヘンリー・スネイス講師(現教授)が派遣し、宮坂教授の研究室でペロブスカイト太陽電池の作成法を学んだ学生が母国に戻って研究を続け、12年に変換効率10%超を達成する。これが世界の注目を集める。スネイス講師とペロブスカイト太陽電池のつながりは、宮坂教授がポスドクとして派遣した村上拓郎さん(現産業技術総合研究所)がグレッツェル教授の研究室でスネイス講師と交流したことで生まれた。
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-ペロブスカイト太陽電池は変換効率が10%を超えた12年に世界の注目を集めました。
(小島くんとの研究で変換効率10%を実現できなかったことに)悔しさがありますし、そこには反省もあります。
-反省とは。
人と人の絆作りはよくしてきましたが、(指導者として)勉強不足がありました。私がもう少し技術の中身を調べて(変換効率の向上につながる)解決策を考えて、小島くんを指導していれば…という思いがあります。残念ながら当時は色素増感の研究で一杯でした。
指導者はトップダウンで“台所”に入って細かい調査をする時間はありませんが、少なくとも「こんな材料を調べてみなさい」というヒントはどんどん出すべきです。特に教授は社会交流が広く、その交流の中で(材料などに関する)多くのネタに触れます。それを自分で握っているのではなく、学生に下ろしていく。先生がアンテナになって、見つけた情報で学生に指示を出すといった歯車を回さないといけません。
-宮坂先生の学生との付き合い方の一つとして、海外を含めて学会で積極的に発表するよう促されていらっしゃいますが、それはなぜですか。
研究を楽しんでほしい思いからです。(学生には)学会での発表を通して自分の能力を伸ばし、できれば大学院に進んで論文を書いて社会にデビューしてほしい。私自身が味わったその楽しさを味わってほしいと思っています。
国際交流への思い
-そもそもなぜ人とのつながりを大切にされているのですか。
一人っ子でさみしがり屋の性格からでしょう。大人になっても人が集まり、自分の周りで交流が生まれるのは楽しいですね。
-ペロブスカイト太陽電池の実用化を目指すポーランドのスタートアップ「サウレ・テクノロジ-ズ」と情報交換をされるなど国際交流にも熱心です。
国際交流は自分の活動を広げる好機になります。国内の交流ももちろん大切ですが、国籍が異なる研究者とはやはり研究の興味関心の方向が違います。自分の価値観をリフレッシュするためにも必要だと思います。
-一方、足元では安全保障の重要性が叫ばれています。研究の国際交流に及ぼす影響をどのように感じていますか。
「スポーツ」「芸術」「科学」は本来、国境のない活動であるべきだと思います。ただ、それほど単純ではなくなってきていることも事実です。(例えば共同研究の相手が)政治的影響を受けているかどうか事前に入念に調べる必要があるのでしょう。難しい問題ですね。
研究者の士気を高める環境を
-積水化学工業や東芝などがペロブスカイト太陽電池の実用化を目指しています。日本企業に期待することは。
(ペロブスカイトの実用化に向けては)思い切った投資をしてほしい。大きな生産技術を作ることにぜひチャレンジしてほしいと思います。
また、企業には若い研究者の士気を高め、(自分の研究に使える新たな材料の探索などに)日頃から高い関心を持つような環境作りをしてほしいです。例えば、社内でも異分野と交流する機会を作ったり、社外と交流できるようにしたりして自分の専門分野以外からヒントを探せる環境が必要だと思います。
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-研究者としての今後の展望をお聞かせ下さい。
大きな言葉でいえば、社会貢献がしたいです。太陽電池を通して何らかの形で誰かの生活を助けるような仕事をしていきたいです。