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自分の分身を使い分ける。到来“1億総アバター時代”の行方

自分の分身を使い分ける。到来“1億総アバター時代”の行方

石黒阪大教授(中央)が手がけてきたロボット

ロボットや人工知能(AI)技術の進歩で1人の人間がいくつものアバター(分身)を持つための技術が開発されている。会員制交流サイト(SNS)の裏アカウントで自分というペルソナ(仮面)をかぶり分けるように、見た目や身体、社会的なステータスを自由に着替える社会だ。時間や空間、身体、人格から解放されて好きな自分を生き分けられる。現在とはカタチの変わった社会で人間の可能性を探る研究が進んでいる。(小寺貴之)

【社会インフラ化】機械・CG、身体の一部に

「実世界では1人の自分でしか活動できなかったが、アバターで社会は仮想化し多重化していく。ITやAIのようにアバターは社会インフラになる」と大阪大学の石黒浩栄誉教授は説明する。ロボットやコンピューターグラフィックス(CG)のアバターを着て、遠隔で働き、遠隔で友人と会い、遠隔で社会とつながる社会は実現した。現在は会議や接客、おしゃべりなどコミュニケーションが中心だが、今後は運送や点検、作業などの物理的に働きかける仕事もロボットを遠隔操作して行う場面が増えると見込まれる。

高所クレーンの遠隔化や公共交通機関の無人運転など、姿形は違えど、人間が機械に乗り移って働く場面は無数にある。現在は、機械を自分の身体と感じるほどになるには熟練を要する。だがアスリートがラケットやバットを自分の身体の一部として感じて扱うように、機械の身体やCGの身体も自分の一部として感じて扱い、暮らす社会が近づいている。この時、アバターと人間を高度に結ぶ支援技術が重要になる。

石黒教授らは対話をモデルケースに実証実験を進めている。2030年までに1人が10体のアバターを操作できるシステムを開発する。店舗での接客や施設での案内、打ち合わせ、問診など、さまざまな場面にアバターを使う社会基盤を作る。

石黒教授は「遠隔操作するテレプレゼンスロボットは10年に小さなブームがあった。30社も50社も同じような機体を開発したが、みな止めてしまった。コロナ禍で社会はリモートワークに慣れた。これまでの研究の社会実装を果たす」と力を込める。

【人格切り替え】実世界、匿名で生きる

アバター技術を利用するとさまざまな能力を拡張できる。例えばCGを使えば見た目は自由自在だ。生まれ持った容姿から解放される。音声認識技術を使えば客が話す言葉を字幕付きにできる。表情などから感情を計ることも可能だ。10人同時接客という聖徳太子のような離れ業も可能になるかもしれない。

石黒教授は長年アンドロイドを製作し、人間が機械に“いのち”を感じるか研究してきた。“いのち”が宿るアバターが実現したとき、アバターは道具や身体の延長で済むのか、価値観や倫理観を揺さぶる問題だ。そしてSNSでは1人が複数のアカウントを使い分け、職場や友人、社会的なステータスを切り替えて暮らしている。

1人が複数の人格を持ち、社会との接点がアカウントという記号から生命感の宿るアバターになったとき「実世界でも匿名で生きれることを社会としてどう扱っていくか」(石黒教授)。

倫理や法律の問題を整理し、アバター社会の倫理設計を進める。

【複数人で操縦】熟練技、初心者に継承

複数人で使うアバターも研究されている。慶応義塾大学の南沢孝太教授らは身体的共創の観点からアバター技術を開発する。名古屋工業大学の田中由浩教授と、2人で一つの身体を扱うシステムを開発した。モーションキャプチャーシステムなどで操作者の動きを計測して一つのロボットに合成する。

2人で1つの身体を操作するコラボレイティブアバタープラットフォーム

例えばロボットのアームの動きとハンドの開閉を2人で役割分担したり、上下方向と左右方向などロボットの自由度で分担したり、動作と知覚などの機能で分担したりと、さまざまな配合を試せる。合成する割合も変化させられ、2人を50%ずつで混ぜても主体性を持って操作できていると 感じることが分かってきた。田中教授は「自分の寄与率が50%でも自分といえることに驚いた」と振り返る。

これは熟練者が初心者に手取り足取り作業を教える場面で役に立つかもしれない。田中教授は「『まずは力加減だけ覚えてみよう。動作はベテランが担うから』と段階を踏んで教えられるようになるはず」と期待する。

この人が人に教える過程もデジタル化できるのが特徴だ。動作や機能を自動化してしまうと初心者が実感を持ちながら習得するのが難しい。どの程度の寄与率で体感させると体得できるか、教えるノウハウをデータ化しAI技術として実装できる可能性がある。

動作の習得は認知や情報処理とは違った難しさがある。止まったエスカレーターを登ると躓きそうになる「壊れたエスカレーター現象」が身近な例だ。分かっていても脳が無意識に処理している部分が対応できない。つまり無意識に実行できるレベルまで習熟する過程を最適化する必要がある。

田中教授は「1+1が2より大きくなるようにしたい」と力を込める。

【サブホムンクルス】一生分超の人生経験獲得

1人で複数の身体を動かす研究もある。ソニーコンピュータサイエンス研究所(東京都品川区)の笠原俊一研究員は1人で2体のロボットアームを操作して卓球をするシステムを開発した。ラリーが続くと極めて速いテンポで球が飛んでくる。これを技術でアシストして実現する。笠原研究員は「やるなら難しいタスク。デモ用のオモチャタスクでなく、ハードな卓球で人間の限界を超えてから支援システムを削ぎ落とす」と説明する。

ソニーCSL笠原研究員らのパラレルピンポン。1人で2体のロボアームを操作して卓球する

次々に飛んでくる球は高速計測システムで捉え、打ち返す動作もアシストする。アバターを自分の身体として扱うために必要な支援と主体感の醸成を両立するための研究だ。

こうした技術の先に南沢教授は「脳の中にアバター用のサブホムンクルスができるかもしれない」と指摘する。ホムンクルスは脳と体性感覚の対応地図だ。従来は自分の身体のホムンクルスしかなかったが、アバター用のホムンクルスに脳の一部が割り当てられる可能性がある。そしてアバターを通してサブホムンクルスに介入される感覚とはどんなものなのか。人間にとっての身体という概念が広がっていく。人間が身体や人格、時間、空間から解放された社会では「人間の一生分をはるかに超える人生経験が得られる」(南沢教授)。

少しマッドで未来な社会を作る研究が進んでいる。

日刊工業新聞2022年1月6日
小寺貴之
小寺貴之 Kodera Takayuki 編集局科学技術部 記者
アバター技術が普及すると、裏アカが記号でもペルソナ(仮面)でもなくなって、一人が複数の人格を演じる自分像から、一人が複数の人生を歩む自分像まで変化していくかもしれません。これは一昔前は芸能人や有名人、社会的なステータスの高い一部の方々が経験してきました。現在ではSNSでさまざまな人格を使い分ける人が増えています。その一部は、とても感情的な言葉を呟くだけの仮面かもしれません。それでも自分の多面的な部分を顕在化し自覚する仕組みにはなりました。仮に、将来、複数の人生を歩む社会ができたとして、人生の一つは匿名かもしれないし、複数人で運用し育てる人生もあるかもしれないし、いろいろあって多様でよし!となるかもしれません。

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