【ディープテックを追え】ゲルで目指すは、手術いらずの再生医療
災い転じて福となす-。困難から有利な状況に転じるという意味のことわざだ。ハイドロゲルを再生医療分野に応用するジェリクル(東京都文京区)の増井公祐社長の人生はまさに、ことわざ通り紆余曲折の人生を歩んだ。元々、IT起業家だった増井社長がなぜバイオ分野に挑戦したのか、その先に見据える課題解決について聞いた。
失意からの出発
「当時を振り返ると、晴天の霹靂という言葉がぴったりだ」。2016年5月、友人と起業したITベンチャーを“追い出された”際のことを増井社長はこう振り返る。そのIT企業は設立1年目で売り上げを計上しており、解任は事業の拡大を推し進めていく矢先の出来事だった。自分が会社の船頭に立っていた日々からの暗転で、「ショックで何もできなかった」
失意の中、増井社長は世界各国を巡る旅に出る。ある時立ち寄ったタンザニアでは、強盗に襲われ監禁される羽目にあった。増井社長は解放され、警察に行くと「『血まみれじゃないだけましだ』と言われた」。楽しい旅行とはかけ離れた物であった。会社の追放と傷心の旅。だが、その中で得た物もある。新しい事業のアイデアだ。たどり着いたのが、人の生活を豊かにするバイオ分野。増井社長は「色々あった中で、事業は『金儲け』だけではなく、社会の役に立つことを両立しないといけないと認識した」とジェリクル起業のきっかけを話す。
ゲルを自在にコントロール
ジェリクルは取締役も務める酒井崇匡東京大学教授のゲル研究をベースにしたバイオベンチャーだ。
ゲルはゼリーやタピオカのように身近にありふれた構造物で、水分の含有量が多く、人体への安全性が高い。医療へ応用できれば、軟骨や腱など現在では再生が難しい部分を治療できる可能性を秘める。ただ、これまでのゲルでは実現は難しい。ゼリーを思い浮かべてほしい。スプーンでゼリーに小さく切れ目を入れると、たちまち裂け目が広がる。これはゼリーの構造が不均一で、弱い部分に力がかかってしまうことで形状を維持することができないためだ。
同社のコア技術は均一な構造を持ったゲルを製造できる点だ。これまでのゲルは反応点の関係で均一に結合できなかった。そこで、十字の4方向に分岐する2種類の高分子を網目状に結合させることでこの問題を克服した。ゲルが固まり始める時間や固さなど物性を自在に調節することもできるという。このゲルを使い再生医療での展開を目指す。
ゲルの物性をコントロールする様子
例えば、軟骨。従来であれば、軟骨を再生することは難しく、人工の関節を取り付けることで足の機能を維持する手術が主流だ。一方、同社はゲルを注射するだけで、軟骨機能の代替を目指す。注射だけという簡易な方法で大幅なコストダウンと、大がかりな手術を減らせることを訴求する考えだ。そのほかにも、細胞の再生を促す作用を付与し、アキレス腱や靱帯での活用を見込む。
同社は外科手術の分野を含む、この医療方法を「内因性組織再生」と呼ぶ。これまでの細胞由来の再生医療は細胞の培養期間とコストの問題があり、実用化に時間を要している。増井社長は「このゲルは20年くらいの研究の成果。我々のゲルを使ってできることは何でもやる」と自信を見せる。
先んじて開発するのが止血剤だ。メディコスヒラタ(大阪市西区)と協業し、25年の薬事承認を目指す。ゲルの性質を自在に変更できる特性を活かし、体液に触れることで止血する仕組みだ。これまで手術で止血が難しかった部分に使うことを想定する。外科手術に比べ感染症のリスクを少なくできるという。
「手術の負担を減らしたい」
増井社長は「バイオベンチャーは人が亡くなる可能性が高い病気にリソースを向けている」と話す。そのため、手術などを複数回行うことで治療できる病気ではイノベーションが起きづらい。同社の目標はそういった患者の身体的、心理的負荷をゲルで軽減すること。そのために安定的な経営基盤の確保を重視する。パイプライン(新薬候補)を社会実装することで利益を上げるのではなく、共同研究などを通じて、起業初期から利益を確保していく。増井社長は「上場などで得た資金を使い、新薬実装を目指す『博打』ではなく、あくまで持続可能なビジネスを目標にしている」と語る。その先に見据えるのは、多くの人が手術より簡単で効果を得られる医療の確立だ。
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