METI
【星野佳路】家業があるのはチャンス、事業承継はベンチャーの一つの形
「日本経済は非上場同族企業の成長にかかっている」
ファミリービジネスにとって事業承継のタイミングや方法は難しい。親子だからこそ、以心伝心とはいかず、かえって軋轢が生じるケースも少なくない。軽井沢の旅館から大手リゾート会社へ急成長を遂げた星野リゾートも、事業承継は「ハードランディング」を余儀なくされたという。1991年、31歳のときに一老舗旅館にすぎなかった星野温泉旅館の経営を引き継ぎ、今や国内35施設、海外2施設まで成長させた星野佳路代表に、事業承継のあり方や今後の課題などを聞いた。
-若い世代では、親の会社や事業を引き継ぐことに、二の足を踏む人も増えています。
「家業を継ぐというと、実力に関係なく経営に携わることになり、七光りとか、楽しているなど、周囲からネガティブなイメージで見られることが確かにある。ただ家業がある家は限られているし、誰もができることではない。人生にはいろいろな選択肢があるのは事実だが、チャンスがあるなら、そのチャンスはとるべきだ。社会の中で自分にしかできないこと、自分の使命は何か、と考えたとき、家業を継ぐというのは、大事な役割だ」
-事業承継に求められることは何でしょうか。
「経営者になると言うことが約束されている代わりに、絶対にリスクをとって会社を成長させなければならない。そう考えたとき、事業承継は非常にチャレンジングな仕事に変わる。その意味で事業承継は、一つのベンチャーだ。一方でベンチャー企業の大半は、軌道に乗るまでに時間が掛かり、資金がショートして、倒産してしまう。だが、事業承継の場合、当面の資金は安定しているので、成果を出すまでの時間を稼げる」
-ご自身が事業承継を意識したのはいつ頃ですか。
「軽井沢の旅館で生まれ育ち、子どもの頃から4代目として紹介されていた。そのため物心ついたときから、跡を継ぐものだと思ってた。継ぐことを迷ったこともないし、自然とそうなっていた。日本にはホテルのマネジメントを学ぶ学校がなかったので、跡を継ぐことを前提に米国へ留学してホテル経営を学んだ」
-事業を引き継ぎ、まず、会社の課題がどこにあり、どのように会社を大きくしようと考えたのでしょうか。
「1991年に31歳で父の跡を継いだが、その時の最大の問題点は人材不足。当時、旅館で働きたいという人が全然おらず、探すのがたいへんだった。ここから2001年までの10年間、私は軽井沢を動かず、働き方改革を進めつつ、戦略を練った。その頃はバブル経済が終わろうとしていたとき。日本中でリゾート開発が進み、投資競争が激しかった。ホテルの数も大きく増えたが、この先人口が減っていくことも明らかで、このままでは需給が悪化することが目に見えていた。資本で勝てるわけがないし、戦うべきではない、と実感し、資産を持たずに運営に特化した現在の業態を作り上げていった」
-やはり事業承継が有利に作用したのでしょうか?。
「私の場合、運営会社としてのメソッドや仕組みを作るのに10年かかっている。軽井沢から一歩も出ずに考えた、その10年がなかったら、今の姿はない。ベンチャーだったら、10年間成長せずに、支え続けてくれるようなところはない。私の場合は引き継いだ旅館があったので、コストさえコントロールしていたら、ある程度は回っていた。その間に淡々と仕組み作り、そこにバブル崩壊もあって軌道に乗った。多くの企業がリゾートから撤退する中、競合が出てこず、運営施設も増え、人材確保も楽になっていった」
-中小企業では後継者難が深刻です。ここで事業承継が進むことの意義は?
「日本全体で付加価値の半分は上場会社が生み出し、もう半分が非上場会社が生み出している。その98%が同族会社だ。同族企業が日本経済の半分を担っているわけだ。上場企業の利益を倍にするのは難しいが、中小の同族企業ならはるかに簡単だろう。まだまだ経営手法は洗練されておらず、経営理論の導入も遅れている。それだけ伸ばす方法がたくさんあるわけで、いわば原石。宝の山ともいえる。ここの収益が倍になれば、日本全体では1.5倍になる計算。つまり日本経済の成長力は、どれだけの非上場同族企業経営で新しい世代が事業を承継し、成長させられるかにかかっている」
-何歳くらいで事業継承するのが望ましいと思いますか。
「40歳を過ぎたら遅い。30代のうちに全権を持たせて、経営の最前線で修羅場をくぐらせないと、競争力のある経営者は出てこない。中小企業は若い発想、新しい発想、リスクを取れる年齢のときに思い切って経営することが大事だ。若いときに経験できることが、最大の教育でもある。30代で継げば、先代も10~20年は見守ることができる。だから、とにかく早く継承し、早く相続することだ。企業は早くリスクをとって、成長させなければならない」
-若くして継ぐと、先代にも遠慮があり、なかなか思うようにできないと言った悩みを抱える経営者も多いと思いますが、アドバイスはありますか。
「経営の価値観における親の世代とのギャップは、事業承継ではよくある問題だ。私も父と価値観が違った。説得してうまくいけばいいが、ダメなら押し通すしかない、古い発想の人には出て行ってもらわないといけない。権力は待っていて譲ってもらうものではなく、奪取するもの。そうなると体力のある若い人の方が有利。奪取の方法は、スムーズにいくのが一番いいが、ハードランディングであっても良い。どちらも正解だと思う」
-事業を引き継いで、次の時代を担う、若い経営者に何を期待しますか。
「ベンチャーは新しい価値を生み、日本経済に貢献する。事業承継がベンチャーの一つの形と考えるなら、同族企業にも同じ意識が必要だ。リスクをとって成長させるつもりがないなら、継がなくていいと思う。原石をもらっておきながら成長させない、成長させる覚悟がない経営者は、日本にはいらないと私は考える。原石を磨いて成長させる役割を担っているのが、同族企業の後継者であり、そう考えれば、やりがいもある。事業承継の使命を感じてもらうことによって、家業を継ぐ人が増えていく可能性もある」
【略歴】
星野佳路(ほしの・よしはる)1960年、長野県軽井沢町生まれ。1983年、慶應義塾大学経済学部卒業。米国コーネル大学ホテル経営大学院修士課程修了。1991年、星野温泉(現在の星野リゾート)社長に就任。所有と運営を一体とする日本の観光産業でいち早く運営特化戦略をとり、運営サービスを提供するビジネスモデルへ転換。2001~04年にかけて、山梨県のリゾナーレ、福島県のアルツ磐梯、北海道のトマムとリゾートの再建に取り組む一方、星野温泉旅館を改築し、2005年「星のや軽井沢」を開業。現在、運営拠点は、ラグジュアリーラインの「星のや」、小規模高級温泉旅館の「界」、西洋型リゾートの「リゾナーレ」の3ブランドを中心に国内外37カ所。2013年には、日本で初めて観光に特化した不動産投資信託(リート)を立ち上げ、星野リゾート・リートとして東京証券取引所に上場させた。>
-若い世代では、親の会社や事業を引き継ぐことに、二の足を踏む人も増えています。
「家業を継ぐというと、実力に関係なく経営に携わることになり、七光りとか、楽しているなど、周囲からネガティブなイメージで見られることが確かにある。ただ家業がある家は限られているし、誰もができることではない。人生にはいろいろな選択肢があるのは事実だが、チャンスがあるなら、そのチャンスはとるべきだ。社会の中で自分にしかできないこと、自分の使命は何か、と考えたとき、家業を継ぐというのは、大事な役割だ」
-事業承継に求められることは何でしょうか。
「経営者になると言うことが約束されている代わりに、絶対にリスクをとって会社を成長させなければならない。そう考えたとき、事業承継は非常にチャレンジングな仕事に変わる。その意味で事業承継は、一つのベンチャーだ。一方でベンチャー企業の大半は、軌道に乗るまでに時間が掛かり、資金がショートして、倒産してしまう。だが、事業承継の場合、当面の資金は安定しているので、成果を出すまでの時間を稼げる」
-ご自身が事業承継を意識したのはいつ頃ですか。
「軽井沢の旅館で生まれ育ち、子どもの頃から4代目として紹介されていた。そのため物心ついたときから、跡を継ぐものだと思ってた。継ぐことを迷ったこともないし、自然とそうなっていた。日本にはホテルのマネジメントを学ぶ学校がなかったので、跡を継ぐことを前提に米国へ留学してホテル経営を学んだ」
-事業を引き継ぎ、まず、会社の課題がどこにあり、どのように会社を大きくしようと考えたのでしょうか。
「1991年に31歳で父の跡を継いだが、その時の最大の問題点は人材不足。当時、旅館で働きたいという人が全然おらず、探すのがたいへんだった。ここから2001年までの10年間、私は軽井沢を動かず、働き方改革を進めつつ、戦略を練った。その頃はバブル経済が終わろうとしていたとき。日本中でリゾート開発が進み、投資競争が激しかった。ホテルの数も大きく増えたが、この先人口が減っていくことも明らかで、このままでは需給が悪化することが目に見えていた。資本で勝てるわけがないし、戦うべきではない、と実感し、資産を持たずに運営に特化した現在の業態を作り上げていった」
-やはり事業承継が有利に作用したのでしょうか?。
「私の場合、運営会社としてのメソッドや仕組みを作るのに10年かかっている。軽井沢から一歩も出ずに考えた、その10年がなかったら、今の姿はない。ベンチャーだったら、10年間成長せずに、支え続けてくれるようなところはない。私の場合は引き継いだ旅館があったので、コストさえコントロールしていたら、ある程度は回っていた。その間に淡々と仕組み作り、そこにバブル崩壊もあって軌道に乗った。多くの企業がリゾートから撤退する中、競合が出てこず、運営施設も増え、人材確保も楽になっていった」
-中小企業では後継者難が深刻です。ここで事業承継が進むことの意義は?
「日本全体で付加価値の半分は上場会社が生み出し、もう半分が非上場会社が生み出している。その98%が同族会社だ。同族企業が日本経済の半分を担っているわけだ。上場企業の利益を倍にするのは難しいが、中小の同族企業ならはるかに簡単だろう。まだまだ経営手法は洗練されておらず、経営理論の導入も遅れている。それだけ伸ばす方法がたくさんあるわけで、いわば原石。宝の山ともいえる。ここの収益が倍になれば、日本全体では1.5倍になる計算。つまり日本経済の成長力は、どれだけの非上場同族企業経営で新しい世代が事業を承継し、成長させられるかにかかっている」
30代のうちに修羅場を
-何歳くらいで事業継承するのが望ましいと思いますか。
「40歳を過ぎたら遅い。30代のうちに全権を持たせて、経営の最前線で修羅場をくぐらせないと、競争力のある経営者は出てこない。中小企業は若い発想、新しい発想、リスクを取れる年齢のときに思い切って経営することが大事だ。若いときに経験できることが、最大の教育でもある。30代で継げば、先代も10~20年は見守ることができる。だから、とにかく早く継承し、早く相続することだ。企業は早くリスクをとって、成長させなければならない」
-若くして継ぐと、先代にも遠慮があり、なかなか思うようにできないと言った悩みを抱える経営者も多いと思いますが、アドバイスはありますか。
「経営の価値観における親の世代とのギャップは、事業承継ではよくある問題だ。私も父と価値観が違った。説得してうまくいけばいいが、ダメなら押し通すしかない、古い発想の人には出て行ってもらわないといけない。権力は待っていて譲ってもらうものではなく、奪取するもの。そうなると体力のある若い人の方が有利。奪取の方法は、スムーズにいくのが一番いいが、ハードランディングであっても良い。どちらも正解だと思う」
-事業を引き継いで、次の時代を担う、若い経営者に何を期待しますか。
「ベンチャーは新しい価値を生み、日本経済に貢献する。事業承継がベンチャーの一つの形と考えるなら、同族企業にも同じ意識が必要だ。リスクをとって成長させるつもりがないなら、継がなくていいと思う。原石をもらっておきながら成長させない、成長させる覚悟がない経営者は、日本にはいらないと私は考える。原石を磨いて成長させる役割を担っているのが、同族企業の後継者であり、そう考えれば、やりがいもある。事業承継の使命を感じてもらうことによって、家業を継ぐ人が増えていく可能性もある」
星野佳路(ほしの・よしはる)1960年、長野県軽井沢町生まれ。1983年、慶應義塾大学経済学部卒業。米国コーネル大学ホテル経営大学院修士課程修了。1991年、星野温泉(現在の星野リゾート)社長に就任。所有と運営を一体とする日本の観光産業でいち早く運営特化戦略をとり、運営サービスを提供するビジネスモデルへ転換。2001~04年にかけて、山梨県のリゾナーレ、福島県のアルツ磐梯、北海道のトマムとリゾートの再建に取り組む一方、星野温泉旅館を改築し、2005年「星のや軽井沢」を開業。現在、運営拠点は、ラグジュアリーラインの「星のや」、小規模高級温泉旅館の「界」、西洋型リゾートの「リゾナーレ」の3ブランドを中心に国内外37カ所。2013年には、日本で初めて観光に特化した不動産投資信託(リート)を立ち上げ、星野リゾート・リートとして東京証券取引所に上場させた。>