創業100年、小湊鉄道が進める“逆開発”とは
小湊鉄道社長・石川晋平氏「里山の案内役 使命に」
19日に創業100年を迎える小湊鉄道(千葉県市原市、石川晋平社長)は、千葉県内陸部を走るローカル線(営業キロ数39.1キロメートル)だ。人口減少で事業環境が厳しくなる中、2015年に運行を始めた観光列車「里山トロッコ」が多くの観光客を呼び、16年度は乗降客数が24年ぶりの増加に転じた。駅前に自然を取り戻す“逆開発”を進めるなど、地方ならではの魅力を高める工夫を凝らす。石川社長に次の100年を見据えた戦略を聞いた。
―鉄道事業でどんな将来像を描きますか。
「乗降者は年間約120万人で、ピーク時の約3割に減った。鉄道本来の役割を大量輸送とするなら役割を終えているのかもしれない。ただ、一度廃線してしまえば復活は難しい。時代に合わせた役割を見いだし、果たすことで長くつないでいく。地元の足であるとともに“里山の案内役”という使命を鉄道事業に担わせたい。人と自然の共存という里山ならではのテーマを観光列車の運行を通じ多くの人に体感してもらうことが目標だ」
―全国で豪華観光列車の運行が相次ぐ中、里山トロッコはシンプルに仕上げました。
「里山トロッコは外が主役。景色をさえぎらず、里山の風を肌で感じられる車両を社員が知恵を出し合い作り上げた。観光列車として一番大切なことは地元との交流。土地と一緒にやればこそ面白くなる。車窓から見えるやぶの手入れ、菜の花の種まきはボランティア。トロッコ運行日は沿線住民が有志で駅にカフェも出してくれる。沿線住民、里山を守ろうとする地元団体が“勝手連”と言って、助けてくれる。鉄道も100年経ればその土地の一部となり得る」
―駅前で進める“逆開発”の狙いは。
「都市生活の息抜きに来た観光客が最初に見る景色がアスファルトのロータリーではがっかりする。(五井駅−上総中野駅間で)観光の軸となる養老渓谷駅ではアスファルトをはがし、木を植えている。十数年かけ木を育て、房総の森を取り戻す。普通の開発と違い完成はなく、永遠に続く。地元住民も駅前が自然に逆戻りする様子を体感してもらいたい」
―“創業100年のベンチャー企業”を標榜(ひょうぼう)しています。
「小湊鉄道は養老川流域の地主や農家らが、房総半島内陸部の振興を図ろうと鉄道敷設を計画したのが始まり。1917年に会社を設立したものの資金がなく、安田財閥を興した安田善治郎氏のもとに日参し、出資を決断させた。鉄道は線路を引いてしまえば事業として安定し、ともすれば慢心してしまう。先人らが鉄道を引いた時の苦労や思いをつなぎ、ベンチャー精神で挑戦を続けたい」
【記者の目/バス事業でも新しい挑戦を】
大正時代からの木造駅舎などが2日に国の有形登録文化財に登録された。元会長の石川信太氏は駅施設の近代化を許さなかったといい、それらが今、貴重な資源となり集客につながっている。一方で観光客の増加だけでは地域の人口減少、衰退は避けられない。都市部とのアクセスや生活の利便性を高めるバス事業でも新しい挑戦が求められている。(千葉・曽谷絵里子)
―鉄道事業でどんな将来像を描きますか。
「乗降者は年間約120万人で、ピーク時の約3割に減った。鉄道本来の役割を大量輸送とするなら役割を終えているのかもしれない。ただ、一度廃線してしまえば復活は難しい。時代に合わせた役割を見いだし、果たすことで長くつないでいく。地元の足であるとともに“里山の案内役”という使命を鉄道事業に担わせたい。人と自然の共存という里山ならではのテーマを観光列車の運行を通じ多くの人に体感してもらうことが目標だ」
―全国で豪華観光列車の運行が相次ぐ中、里山トロッコはシンプルに仕上げました。
「里山トロッコは外が主役。景色をさえぎらず、里山の風を肌で感じられる車両を社員が知恵を出し合い作り上げた。観光列車として一番大切なことは地元との交流。土地と一緒にやればこそ面白くなる。車窓から見えるやぶの手入れ、菜の花の種まきはボランティア。トロッコ運行日は沿線住民が有志で駅にカフェも出してくれる。沿線住民、里山を守ろうとする地元団体が“勝手連”と言って、助けてくれる。鉄道も100年経ればその土地の一部となり得る」
自然守る「逆開発」 駅前から
―駅前で進める“逆開発”の狙いは。
「都市生活の息抜きに来た観光客が最初に見る景色がアスファルトのロータリーではがっかりする。(五井駅−上総中野駅間で)観光の軸となる養老渓谷駅ではアスファルトをはがし、木を植えている。十数年かけ木を育て、房総の森を取り戻す。普通の開発と違い完成はなく、永遠に続く。地元住民も駅前が自然に逆戻りする様子を体感してもらいたい」
―“創業100年のベンチャー企業”を標榜(ひょうぼう)しています。
「小湊鉄道は養老川流域の地主や農家らが、房総半島内陸部の振興を図ろうと鉄道敷設を計画したのが始まり。1917年に会社を設立したものの資金がなく、安田財閥を興した安田善治郎氏のもとに日参し、出資を決断させた。鉄道は線路を引いてしまえば事業として安定し、ともすれば慢心してしまう。先人らが鉄道を引いた時の苦労や思いをつなぎ、ベンチャー精神で挑戦を続けたい」
【記者の目/バス事業でも新しい挑戦を】
大正時代からの木造駅舎などが2日に国の有形登録文化財に登録された。元会長の石川信太氏は駅施設の近代化を許さなかったといい、それらが今、貴重な資源となり集客につながっている。一方で観光客の増加だけでは地域の人口減少、衰退は避けられない。都市部とのアクセスや生活の利便性を高めるバス事業でも新しい挑戦が求められている。(千葉・曽谷絵里子)
日刊工業新聞2017年5月17日