<名将に聞くコーチングの流儀#01> 日本レスリング協会・栄和人強化本部長
耐え忍ぶことができる人こそ、組織をまとめていける
モノづくりとスポーツ。世界は違えども、チーム力を高めながら1つの目標に向かうプロセスは、重なる部分が多くある。そこにはチームを牽引する主導者の存在が不可欠だ。本連載はスポーツ界の名将たちに、個人や組織の力を最大限に発揮させるためのコーチングの流儀を聞く。
第1回の名将は、日本レスリング協会強化本部長の栄和人氏。2016年夏、リオデジャネイロ五輪では史上最多のメダルラッシュに日本中が歓喜に沸いた。レスリングのメダルは男女合わせて金4個、銀3個。この輝かしい成績の立役者が栄氏だ。メダリストの肩車で喜ぶ姿はすっかり五輪の風物詩に。なぜ五輪という大舞台で、選手たちは好成績を残せたのか。それを監督としてどのように支え、導いたのか。知られざる五輪の舞台裏と監督としてあるべき姿について聞いた。
─リオ五輪は、どんな五輪でしたか。
女子レスリングは他国がどんどん強くなってきており、簡単にはメダルを取れなくなっています。4連覇を果たした伊調馨選手も、リオ五輪前のヤリギン国際大会の決勝で負けています。ひょっとしたらリオでは金メダルがゼロの可能性もありました。
こうした金メダルを100%保証できない中、男子の強化本部長も兼務しました。男子は2015年の世界選手権で5位以内に入賞できなかったためにアジア予選から出場枠獲得に挑まざるを得ませんでした。その頃、監督交代の意見も上がったのですが、それでも私はリオ五輪の最後まで責任を取り東京につなげたかったのです。
リオで男子がメダルを取れなかったら、これまで男子レスリングで五輪のメダルを取り続けてきた歴史が途絶えてしまう─。リオは、危機感も重圧もすべて背負って戦った五輪でした。だから、グレコローマンスタイル59㎏級で太田忍選手が銀メダルを獲得した時、「歴史を守れた」と安堵して涙が止まりませんでした。
五輪は初出場の登坂絵莉選手には、「最初から全力で気持ちも体も前にでていけ!」と送り出し、女子で第1号の金メダルを取りました。当初、金5個を目標に掲げていましたが、結果は金4個、銀3個。逆転勝ちも多く、内容も素晴らしい試合ばかりで金5個以上の結果だったと思います。
─監督、選手ともに苦しい戦いの五輪だったのですね。そうした中でも結果を出せた要因は。
リオはレスリング協会が1つになって戦いました。五輪を迎えた時、1人ひとりに「何も心配するな」と送り出しました。絶対に負けられないという危機感や勝たせたいという想いが伝わって、選手たちも勝ちたいという強い想いで辛く厳しいトレーニングに耐えてきた結果です。
─プレッシャーをどのように乗り越えられているのでしょうか。
実は、私は神経質で小心者。まともに6時間も寝られたことがありません。眠れなくて2時間くらいで起きてしまうこともしばしば。だから電車移動などのちょっとした時間に睡眠をとっています。プレッシャーに耐えかねて、吐き気を催したこともあります。
昔は髪がフサフサだったんですが、40歳前から、髪の毛がどんどんなくなって─。これも、たぶんストレスからくるものだと思います。40歳を過ぎたら、すっかり髪がなくなってしまいました(笑)。
こんなふうに自分のネガティブな面を冗談として話し、ポジティブに変えること。私は人を笑わせることが好きなんです。これが私のストレス解消法と言えます。
そしてレスリングへの想いは恋愛と同じ感情かもしれません。恋愛って時々悩んだりして苦しいこともあるでしょう?でも、恋をしていると楽しい。だから、私はレスリングに自分のすべてを捧げることができるのです。
─そうした思いが選手の皆さんにも伝わっているのですね。チームワークの秘訣とは。
選手から好かれようとして信頼関係を築こうとは思っていませんが、選手に対して一生懸命、惜しみなく練習に付き合います。道場から1分以内の場所にまかない付きの合宿所を建てたのですが、そこで激しい練習後30分以内に温かい食事をみんなでとります。チームワークの秘訣は、強くなるためにみんなが1つの方向を向くこと。特に、吉田沙保里選手はみんなのお姉ちゃん的な存在で、上級生と下級生の縦のつながり、雰囲気、環境が整った、今までで一番いいチームです。
─東京五輪に向けて新体制が始動しました。吉田沙保里選手には指導者として期待されていることとは。
2020年まで引き続き、強化本部長を任されました。吉田選手はリオで負けた時、気持ちの切り替えが早かったのが彼女の良いところで、私にはないものを持っています。コーチになったからには、自分を超える選手を育ててほしいです。そうすれば、自分も負けられないという思いが湧くはず。人を育てることは、自分自身を助け、成長させます。そして、誠意をもって、駆け引きしないでしっかり育てること。人を育てるということは、面白いですね。
(聞き手=永井 裕子)
忍耐力=辛いことがあっても投げ出したり壁をつくったりせずに気持ちを抑え、耐え忍ぶことができる人こそ、組織をまとめていけるのです。
<略歴>
栄和人(さかえ・かずひと)1960年、鹿児島県奄美市生まれ。1976年、鹿児島商工高校(現:樟南高校)でレスリングを始め、日本体育大学に進学し全日本選手権大会6回優勝。世界選手権大会で銅メダルを獲得し、現在は至学館大学教授、日本レスリング協会の全体強化委員長、至学館大学(元中京女子大学)レスリング部監督。>
第1回の名将は、日本レスリング協会強化本部長の栄和人氏。2016年夏、リオデジャネイロ五輪では史上最多のメダルラッシュに日本中が歓喜に沸いた。レスリングのメダルは男女合わせて金4個、銀3個。この輝かしい成績の立役者が栄氏だ。メダリストの肩車で喜ぶ姿はすっかり五輪の風物詩に。なぜ五輪という大舞台で、選手たちは好成績を残せたのか。それを監督としてどのように支え、導いたのか。知られざる五輪の舞台裏と監督としてあるべき姿について聞いた。
危機感と重圧を背負って戦ったリオ五輪
─リオ五輪は、どんな五輪でしたか。
女子レスリングは他国がどんどん強くなってきており、簡単にはメダルを取れなくなっています。4連覇を果たした伊調馨選手も、リオ五輪前のヤリギン国際大会の決勝で負けています。ひょっとしたらリオでは金メダルがゼロの可能性もありました。
こうした金メダルを100%保証できない中、男子の強化本部長も兼務しました。男子は2015年の世界選手権で5位以内に入賞できなかったためにアジア予選から出場枠獲得に挑まざるを得ませんでした。その頃、監督交代の意見も上がったのですが、それでも私はリオ五輪の最後まで責任を取り東京につなげたかったのです。
リオで男子がメダルを取れなかったら、これまで男子レスリングで五輪のメダルを取り続けてきた歴史が途絶えてしまう─。リオは、危機感も重圧もすべて背負って戦った五輪でした。だから、グレコローマンスタイル59㎏級で太田忍選手が銀メダルを獲得した時、「歴史を守れた」と安堵して涙が止まりませんでした。
五輪は初出場の登坂絵莉選手には、「最初から全力で気持ちも体も前にでていけ!」と送り出し、女子で第1号の金メダルを取りました。当初、金5個を目標に掲げていましたが、結果は金4個、銀3個。逆転勝ちも多く、内容も素晴らしい試合ばかりで金5個以上の結果だったと思います。
─監督、選手ともに苦しい戦いの五輪だったのですね。そうした中でも結果を出せた要因は。
リオはレスリング協会が1つになって戦いました。五輪を迎えた時、1人ひとりに「何も心配するな」と送り出しました。絶対に負けられないという危機感や勝たせたいという想いが伝わって、選手たちも勝ちたいという強い想いで辛く厳しいトレーニングに耐えてきた結果です。
ネガティブをポジティブに変える力
─プレッシャーをどのように乗り越えられているのでしょうか。
実は、私は神経質で小心者。まともに6時間も寝られたことがありません。眠れなくて2時間くらいで起きてしまうこともしばしば。だから電車移動などのちょっとした時間に睡眠をとっています。プレッシャーに耐えかねて、吐き気を催したこともあります。
昔は髪がフサフサだったんですが、40歳前から、髪の毛がどんどんなくなって─。これも、たぶんストレスからくるものだと思います。40歳を過ぎたら、すっかり髪がなくなってしまいました(笑)。
こんなふうに自分のネガティブな面を冗談として話し、ポジティブに変えること。私は人を笑わせることが好きなんです。これが私のストレス解消法と言えます。
そしてレスリングへの想いは恋愛と同じ感情かもしれません。恋愛って時々悩んだりして苦しいこともあるでしょう?でも、恋をしていると楽しい。だから、私はレスリングに自分のすべてを捧げることができるのです。
人を育てるのは面白い
─そうした思いが選手の皆さんにも伝わっているのですね。チームワークの秘訣とは。
選手から好かれようとして信頼関係を築こうとは思っていませんが、選手に対して一生懸命、惜しみなく練習に付き合います。道場から1分以内の場所にまかない付きの合宿所を建てたのですが、そこで激しい練習後30分以内に温かい食事をみんなでとります。チームワークの秘訣は、強くなるためにみんなが1つの方向を向くこと。特に、吉田沙保里選手はみんなのお姉ちゃん的な存在で、上級生と下級生の縦のつながり、雰囲気、環境が整った、今までで一番いいチームです。
─東京五輪に向けて新体制が始動しました。吉田沙保里選手には指導者として期待されていることとは。
2020年まで引き続き、強化本部長を任されました。吉田選手はリオで負けた時、気持ちの切り替えが早かったのが彼女の良いところで、私にはないものを持っています。コーチになったからには、自分を超える選手を育ててほしいです。そうすれば、自分も負けられないという思いが湧くはず。人を育てることは、自分自身を助け、成長させます。そして、誠意をもって、駆け引きしないでしっかり育てること。人を育てるということは、面白いですね。
(聞き手=永井 裕子)
<私のコーチングの流儀>
忍耐力=辛いことがあっても投げ出したり壁をつくったりせずに気持ちを抑え、耐え忍ぶことができる人こそ、組織をまとめていけるのです。
栄和人(さかえ・かずひと)1960年、鹿児島県奄美市生まれ。1976年、鹿児島商工高校(現:樟南高校)でレスリングを始め、日本体育大学に進学し全日本選手権大会6回優勝。世界選手権大会で銅メダルを獲得し、現在は至学館大学教授、日本レスリング協会の全体強化委員長、至学館大学(元中京女子大学)レスリング部監督。>
日刊工業新聞「工場管理2017年4月号」