ニュースイッチ

アイシン精機「試練の半年」 見えてきた真の実力

地震と事故で短い間に得た多くの教訓を強さに
アイシン精機「試練の半年」 見えてきた真の実力

ドア開閉制御部品「ドアチェック」組み立てライン(17日に報道陣に公開)

 前震と本震で震度7を記録した熊本地震から半年が経過した。アイシン精機は子会社のアイシン九州(熊本市南区)が被災し、ドア開閉制御部品「ドアチェック」の供給量不足でトヨタ自動車が全国の車両組み立てラインの大半を段階的に停止する事態に陥った。アイシンではグループ会社の事故も5月、7月、8月と相次ぎ、試練の年となった。

 熊本地震からの復旧を、アイシン精機の伊原保守社長は「感謝と執念」と表現する。2011年の東日本大震災の時、トヨタ自動車の専務で調達本部長として修羅場を経験している伊原社長。アイシン九州の被災工場を目にし、復旧には時間がかかると直感した。落下した天井クレーンはプレス機を押しつぶし、ラックから金型も飛び出していた。

 しかし、「4月19日にここに来たときには想定できなかった」(伊原社長)というほど対応は早かった。設備や建屋の破損・損傷などでアイシン九州での生産を断念し、23日には取引先の工場でドアチェックの代替生産が始まった。海外工場からも緊急輸入して急場をしのいだ。

「アイシン九州がなくなるのではないか」


 本震後には、あるうわさが流れていた。「アイシン九州がなくなるのではないか」。代替生産のために次々と設備が工場外に持ち出される光景は、社員や地域関係者を不安にさせた。4月22日15時。アイシン九州の髙橋寛社長は「必ずこの地で復活する」と全社員を前に宣言。代替生産のお願いと、雇用を守って8月をめどに生産工程を戻すと約束した。

 すると、少なかった代替生産先への派遣希望者が一気に増えた。受け入れ先のトヨタ自動車九州小倉工場(北九州市小倉南区)ではサンルーフ、トヨタ紡織九州(佐賀県神埼市)やこれまで取引のなかったヨロズ大分(大分県中津市)ではシート部品を生産してもらった。

 代替生産先は九州7カ所、愛知県7カ所の合計14カ所。アイシン九州から345人が出向した。物流拠点も九州5カ所、愛知1カ所に設置して対応した。8月22日には髙橋アイシン九州社長が「生産開始宣言」を実施。今では大半の社員が出向先から復帰した。

 ドアチェックは在庫5日分を愛知県で確保し、当面のリスクを回避。アイシングループでも災害時に供給量に懸念のある約20品目で在庫を持ち、善後策を練る。

<次のページ、地震と事故で短い間に得た多くの教訓>

日刊工業新聞2016年10月18日19日
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
「岡部さんにしておいたことが最大のヒット」と伊原保守社長は強調する。伊原社長はトヨタ自動車が実践している「対策本部長は会社に歩いてこられる人」という体制を導入し、岡田均副社長を指名した。有事の際に権限委譲ができないと、初動が遅れる恐れがあるためだ。しかも、地震前日というタイミングで対策委員会を開き、遅れていた事業継続計画(BCP)を強化したばかりだった。事故については普段していないことや、これぐらいは良いとルールに沿わなかった行動が危険と把握している。アイシンの一連の出来事は、多くの企業で他人事ではない。 (日刊工業新聞名古屋支社・今村博之)

編集部のおすすめ