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ソニー・十時、ヤマハ発動機・西城、ZMP・谷口が語るオープンイノベーションの未来

ベンチャーも大企業も関係ない。好奇心とオーナシップを持つ人と人が共創する
ソニー・十時、ヤマハ発動機・西城、ZMP・谷口が語るオープンイノベーションの未来

左からソニーの十時氏、ヤマハ発動機の西城氏、ZMPの谷口氏

 日本でもオープンイノベーションがブームになっている。米国に比べ大きなイノベーションを起こせていないと言われる日本。大企業は社内で新規事業プロジェクトを立ち上げようとするが、縦割り組織でスピード感がない。そこで最近はベンチャーとの協業に目を向ける事例も増えてきた。米国はベンチャーの出口戦略の8割は大手企業によるM&Aだ。それに対し日本は2割。大企業とベンチャーによるオープンイノベーションのエコシステムができるのか。今月2日に開催された「トーマスベンチャーサミット2016」の特別セッション(協力=日刊工業新聞社)では、その分野の第一線で活躍する人たちがパネラーとして登壇、活溌な議論が行われた。その内容を紹介する。

<登壇者>
●ソニーモバイルコミュニケーション社長兼CEO、ソニー執行役員EVP 新規事業プラットフォーム戦略担当 十時裕樹氏

●ヤマハモーターズベンチャーズ&ラボラトリーシリコンバレー CEO兼マネジングディレクター 西城洋志氏

●ZMP社長兼エアロセンス社長 谷口恒氏

●日刊工業新聞社編集局デジタル編集部部長 藤元正

●トーマツベンチャーサポートアドバイザリーサービス事業部長 本田知行氏(モデレーター)


「未来を語る」という形で向き合う


 本田 日本は海外に比べコーポレートベンチャリング(大企業が新規事業を創出したり、大企業が外部ベンチャーを取り込むこと)がなぜうまくいかないのか。日本流のやり方があるのではないか。ヤマハ発動機はシリコンバレーにラボを設けられて、かなりオープンなことができている印象もあります。

 西城 オープンイノベーションという言葉自体をあまり意識していない。方法論の話であって必要であれば使う。ひとつ感じるのは、製造業にいると、小さな企業や組織をサプライヤーという目で見てしまう。ベンチャーと我々のような大企業、成熟企業はパートナーであって、対等であって役割が違う。なかなかそういう認識が持てないのが一つの壁。

 「比べるな」と周りの人たちによく言っている。「赤」と「青」、どっちの色が良いですか?という質問に近い。どの色が欲しいのか、何をやって欲しいのか、相手のために自分たちは何ができるのか。そういう視点で付き合うことが大事だと考える。

 もう一つ、「オープン」でいうなら、機密情報をどうしようか、という問題がある。非連続的な事業やイノベーションを目指すなら、機密情報を開示する必要もない。「未来を語る」という形で向き合えばいい。まず、未来を一緒に創るという視点で入っていく方がいいのではないか。逆に本業に近い領域、連続的な領域をオープンイノベーションでやる方が大変じゃないかなと思う。

「鉄は熱いうちに打て」「エースを送れ」


 本田 役割分担という話がありました。谷口さんにお聞きします。オープンイノベーションのポイントはどこにありますか。

 谷口 役割分担でいうと、大企業はものすごい人材と資金がある。一方でベンチャーの強みはスピード。発想力もある。私の経験から3つのキーワードがある。

 1つは「鉄は熱いうちに打て」。エアロセンス(ソニーとZMPのドローン事業合弁)を例にすると、十時さんと最初にお会いして「ドローンやってるんだね」と言われ、話がまとまったのは数ヶ月ですよね。まずやれること、始められたことからスタートした。時間かけるとリスクばかり見つかっちゃう。調査すればするほどトーンダウンしちゃったりする。

 2つは目は、「エースを送れ」。双方の企業がエースを送ること。会社に余っている人を持ってきたりすると、これがいかんのですよ。嫌々やっちゃったりするので。

 3つ目は、ベンチャーの経営者自身が継続的に関わっていくこと。私は最初の立ち上げだけじゃなくてビジネスモデルが立ち上がるところまで、営業もする。エアロセンスは社長もやっているんですけども、週一で熱い議論をちゃんとやりますし、自立するまでしぶとく責任を持ってやっていかないと、事業は立ち上がらない。

 本田 過去にうまくいかなかったケースは。

 谷口 言いにくいんですけど、そう、ありますね。割り当てられた人はなかなか自立的に動いてくれないんですね。「仕事」になっちゃう。ワクワクして情熱もってやらないと。

 本田 逆にZMPさんと組みたいと。その場合、谷口さんは相手のどこをみているんですか。

 谷口 まず経営層と、共通の価値を創ることで握れるかどうか。アサインされたメンバーがお互いやる気になっても、だいたい結果通りいかない。そこを突破するのは最初の情熱であって、そこが決め手です。

エアロセンスはお互いの長所を見出した


 本田 エアロセンスの話も出ましたが、十時さんはどうベンチャーを見ているんですか。怖い部分あると思うんですが。

 十時 怖い部分もあるんですけど、さっきパートナーという話が出ましたが、付き合おか、という時に親のようなふるまいをしてはダメ。「あなた方の足りないところはこうだから、こうした方がいいよ」とかは大きなお世話。

 お互いの長所を見出して伸ばしていくようにしていくこと。今は逆パターンが多い気がする。助けて欲しい時に関与しない。うまくなりそうになると、社内外で関与者が急に増えたり。成功しそうになると「僕は最初から分かってました」とかね。

 ZMPさんの例でいうと、ドローンを2年くらい社内のR&Dチームでやっていた人たちがいたんですよ。彼らはとても優秀でした。

 でもなかなか芽が出にくい状況が続いて、このままでは研究も縮小してしまう可能性もあったので、僕は何とかしてあげたいと思っていたんです。世の中の動きをみていると、ドローンのような技術を持っていると非常に面白いものができるはずだと。

 その時に谷口さんに会って、ドローンの話をしたらすごく乗ってくれたんで、メンバーにZMPに行って一緒やってみるか?と聞いたら「ぜひやってみたい」と。彼らはパッションもあってスタートアップ的なことに抵抗感もなかった。環境が整っていたのも双方がうまく行っている理由かと思っている。

 本田 ドローンをやっているベンチャーを探されていたんですか。

 十時 もう自動運転では谷口さんのところ有名だったので、「なぜソニーはZMPのところに訪ねてこないのかねぇ」と谷口さんが言ってますよ、と聞いたので一回挨拶に行った方がいいのかなと(笑)。

 最初は来て頂いて、次はお邪魔して。谷口さんは今やっていることにソニーのセンサーやカメラを使いたいと。そこから合弁へと進んでいったんです。

まだ残る外国ベンチャーへの信奉


 本田 藤元さんはメディアから見て大手とベンチャーの関係をどう見ていますか。

 藤元 大企業は人材と特許を豊富に抱えている。一方で自前主義はまだまだある。最近、大企業のトップと話していると「オープンイノベーションやりますよ」とよく耳にします。精神的にはそうかもしれないが、実際にやるとなると大変です。

 時には変なベンチャーつかまえたりもするし、目利き力が重要になる。そして外国のベンチャー信奉が根強いですね。以前、バイオベンチャーを取材している時に、「国内の製薬会社は日本のベンチャーに関心を向けてくれない」と嘆いていました。すれ違いですね。最近は日本でも力のあるバイオベンチャーもかりなり出てきていますけど。

 そこで谷口さんに質問です。ベンチャーはとっかかりが大事ですけど、ZMPは今ではすごい有名になって、あちこちから声がかかっていると思いますが、最初、相手をどうやって口説いたのか気になるんですが。

分かりやすいキャッチフレーズが大事


 谷口 インテルを例にすると、米国本社とディスカッションしますよね。その時に分かりやすいキャッチフレーズが大事だと思います。私は、インテルと一緒に開発する自動運転用コントローラーで「IZAC(アイザック)」という言葉を使いました。Intel ZMP Autonomous Controller の略です。

  一緒に名前を並べると怒られるんじゃないかとドキドキしてたんですけど。でもネーミングはかっこいいじゃないですか。それで思い切って「アイザック!」と言ってプレゼンをスタートしたんですよ。そうしたらインテル側も「アイザックいいね」という雰囲気になって、自動運転で一緒やっていこうということになりました。

 分かりやすい言葉で伝えていかないと、大企業の場合は難しい。なぜなら、社内のいろんなところに伝達しないといけないから。一つのキーワードだと伝えやすい。そしてイメージがよくなる。イメージが良くなると気分が良くなり、やってみようかということになる。

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明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役ブランドコミュニケーション担当
今日、自分が小さい頃からお世話になった企業経営者の「お別れの会」に出てきた。40代で独立、現在は石川県内でもトップクラスの収益力のある企業に育てあげた。式次第に故人の語録が記されていた。いくつか紹介したい。「会社は本業で儲けろ」、「経費削減は最終手段である」、「古い商品の技術やノウハウは価値のあるうちに売れ」、「顧客を大事にするのは当然だが、サプライヤーや工事業者も同じように大切にしないといけない」、「販売価格は末端商品の価値をみてつけよ。原価計算の積み上げで決めるな」。学生時代を過ごした神戸高等商船学校航海科(現神戸大学海事科学部)では軍隊予備群として非常に厳しい指導を受けた世代。昭和2年生まれだが、国際感覚を持った正真正銘のアントレプレナーだった。

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