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自動運転事故で自動車メーカーはどこまで責任を問われるのか

まず裁判の争点は設計欠陥の有無。わき見運転しているCMは格好の的に

陪審員はメーカーをどこまで尊重してくれるのか


 今回メーカーがレベル2(ドライバーが運転主体で責任を負う)のシステムとして販売しても、実際にはレベル3(システムが運転主体で責任を負う)のように利用された。

 政府やメーカーがレベルや責任を決めても、必ずしも利用実態がそれに則したものにならないかもしれない。訴訟が起きた場合、陪審員がメーカーらが決めた定義をどこまでどこまで尊重してくれるのか。調査で運転交代の実現性を担保する対策が不十分とされれば、ドライバー計測技術などを拡充する必要が出てくる。

 ただ、これは速度違反を許す車をなぜ販売するのかという問いに近い。200km/hで走れる車つくることが交通違反の原因なのか、ドライバーの運転が原因なのか。自動運転車がより硬度になれば、地図情報や自己位置から制限速度や交通ルールはわかる。

 そのとき、ドライバーにルールを守らせないのはメーカーにも責任があるという主張が陪審員の腑に落ちるかどうか。合理的な代替設計案として交通ルールを遵守するAIが提案されれば、メーカーはルール遵守AIをなぜ採用しなかったのか説明する必要に迫られる。

 そもそも、自動運転に運転を任せても、運転状況の監視が必要なら、それは運転よりも面白くない作業になる。これは商品として成立するのか。走行中にリラックスして、いざというときに運転を交代できなくなるのであれば、自動運転の利便性と安全性が矛盾する。

ユーザーコミュニティの過信


 テスラは創業者イーロン・マスクのファンがコアユーザーになり、業績や自動運転技術の試験的な実車適応を支えてきた。本来、ユーザーを使って技術をテストするやり方は、人命を預かる車業界では受け入れられないものだった。テスラのユーザーコミュニティは一般市民よりも技術リテラシーが高く、運転中の動画をSNSに投稿するなど、技術革新を広める立場にある。

 ただ投稿の中には危険な運転動画もあり、ユーザーコミュニティが過信を助長している側面がある。コミュニティから恩恵を受けてきたものの、メーカーはどのくらいの規模までユーザーコミュニティに付き合えるのか。第三者を事故に巻き込んでしまったときに、メーカーとユーザーの責任を切り離した議論が受け入れられるのか。

 米国では死亡事故は9400万マイルに一件。自動運転では1億3000万マイルに一件だとしても、それは十分な事故低減効果と言えるのか。保険業界の評価が注目される。
(文=小寺貴之)

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日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
自動運転の実装を止めるには、裁判で安全対策について追及する方法があります。安全性をきちんと証明するには膨大なコストがかかります。単純に総走行距離の事故率が低くても、事故ごとに状況を細分化してその状況ごとの安全性を検証するとコストがかさみます。反対に自動運転を無理矢理実装させるには、自動運転する能力のある車体で人間が起こした事故に対して、自動運転AIを人間運転に変わる合理的な代替設計案として提案する方法があります。この場合、なぜ運転AIを採用しないのかメーカーが説明できないといけません。この2種類の裁判が並行して行われるとメーカーは対応に困ります。 (日刊工業新聞科学技術部・小寺貴之)

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