自動運転事故で自動車メーカーはどこまで責任を問われるのか

まず裁判の争点は設計欠陥の有無。わき見運転しているCMは格好の的に

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 米テスラがドライバーの責任を強調したことで、自動運転システムの急所が鮮明になった。今後、自動運転システムの利便性は宣伝できなくなる可能性がある。運転をシステムに委ねても、ドライバーは緊張感を保ち続ける必要があるためだ。

 さらにドライバーに運転を交代できなければ防げない事故があるとわかっていながら、メーカーが自動運転車を製品化して事故が起これば、対策が十分だったのかと裁判でメーカーの責任が追及される。

ドライバーを注意力散漫な状態に誘導?


 米運輸省道路交通安全局(NHTSA)の調査で、自動運転技術のドライバーを注意力散漫な状態に誘導する可能性が認められると、メーカーの責任はより重くなり、実用化に向けたハードルは跳ね上がる。

 今回はテスラのファンがテスラ車に乗って事故を起こして亡くなった。今後、自動運転車が第三者を巻き込んだ事故を起こした場合、被害者はドライバーとメーカーを訴えることになる。裁判では賠償金をとるために資金力のあるメーカーの責任を追及する。争点は製造物責任法の警告上の欠陥やシステム設計上の欠陥と言えるかどうかだ。

 例えば自動運転技術がドライバーの緊張をほぐしたり、雑誌を読むなど走行中に別の仕事をしても大丈夫かのように宣伝すれば、「メーカーがドライバーを注意力が散漫な状態に誘導している」、「過信を促している」と追及される可能性がある。ドライバーがハンドルから手を放して、わき見運転しているCMは格好の的になる。

 また自動運転の便利さが、ドライバーを運転交代できない状況に誘導するなら、利便性と安全確保が本質的に矛盾する。これをシステムとして防げなければ設計上の欠陥を追及される。設計欠陥と陪審員や裁判官が認めれば、メーカーの責任は重くなる。

運転責任の科学的な検証が足りていない


 現状では認知心理学としては最低限ドライバーのあるべき状態が明確になっていない。ドライバー状態を計測する技術を開発している段階だ。注意力をどの程度に保てば、交代して運転責任を果たせるのか科学的な検証が足りていない。

 ユーザーのシステムへの慣れや感情移入が進むと、使い方がどう変わるかまだまだわからない。つまり過信や誤使用を防ぐために、十分とされる措置が決まっていないのだ。ドライバーの意識の有無だけでなく、環境変化をちゃんと認識しているかなどを計測しようとすると、計測機器や状態判定信頼性を開発する必要がある。

 ドライバーモニタリングシステムを導入し、バスやトラックなどの業務用車体の監視を強化する流れはある。ただ一般向けの乗用車で費用負担をどうするのか。運転支援機能が高いほど、監視機能も高くなると本末転倒になる。

 またユーザーが技術を理解するには一貫性が必要だ。自動運転システムが前方車両を検出できるが斜め方向は検出が難しい、横断中の自転車は検出可能だが併走している時点では難しいなど、細かな条件をユーザーは覚えられない。AIのバージョンアップを含めて、ドライバーへの継続的なコミュニケーションが必要になる。

 事故事例ができたため、他のメーカーも警告やマニュアルで注意喚起して警告上の欠陥を回避することになる。わかっていながら警告しない訳にはいかないからだ。ただこの警告が増え過ぎるとユーザーはマニュアルを読まなくなり、正常化バイアスが働いてしまう。

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ニュースイッチオリジナル

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自動運転の実装を止めるには、裁判で安全対策について追及する方法があります。安全性をきちんと証明するには膨大なコストがかかります。単純に総走行距離の事故率が低くても、事故ごとに状況を細分化してその状況ごとの安全性を検証するとコストがかさみます。反対に自動運転を無理矢理実装させるには、自動運転する能力のある車体で人間が起こした事故に対して、自動運転AIを人間運転に変わる合理的な代替設計案として提案する方法があります。この場合、なぜ運転AIを採用しないのかメーカーが説明できないといけません。この2種類の裁判が並行して行われるとメーカーは対応に困ります。 (日刊工業新聞科学技術部・小寺貴之)

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